歴史の宝珠 7-35 黄昏のはじまり
『月狼王』の背に乗るのはコツが
リューナは体の前でトルテの肩を抱き、ふたりはぴたりと寄り添うように巨大な妖獣の背に
「なるほど、一夜で大陸を渡ったのが納得できるな」
リューナのつぶやきに、トルテが頷いた。
「――もう間もなく見えてくるはずだって、スマイリーが言っています」
周囲を流れ飛ぶように過ぎ行く森、川、岩肌……それらが途切れたとき、遠く無数の都市の灯火が見えた。その上空に浮かぶ雲を闇夜のなかの幽霊のように明々と照らしている。美しいながらもどこか不気味な光景だったが、夜を押し退け昼のように照らし出す大都市の光が、今宵はありがたかった。
「スマイリー、速度を緩めて、ゆっくりと都市へ入ってくださいね」
トルテが口に出してスマイリーに話しかけた。心が繋がっているので声に出す必要はないのだろうが、その
「メインの大通りを――はい、そこです。いろいろ踏まないように注意してくださいね」
『月狼王』は背筋を伸ばし、駆ける速度を緩めた。目の前に都市の入り口が見えてくる。
大陸が消えるかもしれない――。メロニア王宮の執務室でその話をしていたとき、未来を知るリューナとトルテの反応に気づいたハイラプラスがミッドファルース大陸全域の総避難を提案、一同を説き伏せ、全ての民を確実に避難させる計画を一時間で作成した。
評議会や老院をはじめ、魔導の力のある者たち全てに、大陸に生きるものたち全員の避難を確実に実行するよう要請を出したのだ。
人口八十万と六十万。人間族と飛翔族の統べるふたつの都市の完全な避難。途方もないその計画は、不安という一本の針で突くだけで大混乱になる危険がある。だがもし象徴たる王が決まったならば、まとまるのは簡単になるだろう――それは、ハイラプラスの発案だった。
「老院と各省、門に連絡は回っているはずだ。ちゃんと間に合っているといいけどな。それに俺、できるかどうか――」
「大丈夫です、リューナ」
リューナの深い
「リューナならできます。――だって、リューナは皆を救いたいのでしょう?」
オレンジ色の瞳に映る自信無さげな自分の顔を見つめ、そしてゆっくりと口に、頬に、力を入れていく。
毅然とした、力ある者が浮かべる微笑……自信たっぷりの王の顔を作る。衣装はすでに王の印が入った正装に着替えてある。豪奢なマントが翻った。藍と白を基調にした配色の衣装はリューナの黒髪によく似合っている。
「ああ。俺は王とかいうガラじゃないが、演技でも何でもいい、俺にできるだけのことをしたい。ここまでの道中で覚悟は決めたつもりだ」
リューナは『月狼王』の背に立ち上がった。その隣で同じように立ち上がったトルテの腰に片手を回して抱くように支える。
幻獣であるスマイリーが都市の門を跨ぎ越えるが、門番達は全員敬礼をして押し留める事なくリューナたちふたりと幻獣一体を通した。
あとは、ハイラプラスの整えた作戦通りに進めるだけだ。
トルテは両腕をまっすぐ天に伸ばした。昇りたての太陽のようなオレンジ色の虹彩に白い光が現れ、瞳に宿る
都市のメイン通りに巨大な『虹』が具現化され、美しくもすさまじい迫力で大地と夜空を
「ど派手なパフォーマンスだな……」
リューナが思わずつぶやき、ごくりと喉を鳴らした。王宮の者や計画を知る者たちに、これで到着したという合図になるはずだ。
トルテが魔法への集中を乱さないよう、視線だけをリューナに向けた。リューナはしっかりと頷き、声を張りあげた。
「よし、いこう!」
ミドガルズオルム王宮の前の広場には、すでに人だかりができている。世界滅亡の噂がまことしやかに語られていることもあり、市民全員が浮き足立っているとのことだった。
王宮の前には、老院の面々、王宮の兵士や関係者たちが集まってきた市民を
お膳立ては整っており、あとはリューナが動くだけとなっている。さすが策士のハイラプラスというところか。屋外ステージこそないが、スマイリーが壇の役目を担ってくれるはずだ。
スマイリーは広場の端から中央の広いスペースまで苦もなくひょいと跳び越えてみせた。頭上を通り過ぎる影に、オオォ、とあちこちからどよめきがあがる。
『月狼王』の上によろめきもせず真っ直ぐに立ち、リューナは広場を見回した。かなりの数の人々が集まっている。広場はしんと静まり返り、ほとんど全員が自分に注目しているのを感じる。驚きが疑問に変わってざわめきはじめる前に、リューナは口を開いた。
「――俺はリューナ、新しい『王』だ! これから俺の話すことを聞いてくれ」
ハイラプラスは、あえて
「この現生界に生きる全ての命に反旗を
ざわり、と集まった数万の人々の声が波となって押しよせたが、リューナは動じずさらに声を張りあげた。
「我々、王宮の魔導士たちが『
言葉が終わるのと同時に、トルテが両腕を広げた。スマイリーの足元に巨大な『転移』の魔法陣が展開される。再び、オォというどよめき。
リューナはトルテを抱えて地面に降り立った。そして、自ら率先して王宮の兵士たちとともに人々を案内し、押し合いや騒動にならないよう順番に転移されていくよう手伝った。
驚くべきことに、広場に集まっていた者たちも、そこかしこから集まって来る者たちも、そして広場ではない都市のあちこちに設置された『転移』の魔法陣にも、人々はきちんと列を作り、並びはじめた。リューナが到着する前とは違ってたいした混乱もなく、先を争う者もいなかった。
ただ、生まれ育った場所を捨て去ることを是としない人々がいた。この都市を、家を離れることに逡巡し、戸惑っている。リューナが
「王よ! もしここに戻れなくても、新天地であなたさまが我々を導いてくださるならば、行きましょう」
「約束してくれ、王よ。私たちを見捨てないと」
その言葉に、リューナは迷った。だが、迷いを顔に出すわけにはいかないこともまたわかっていた。瞳に力を込めて内心の迷いを映さぬように気を使いながら、その人々の目を見つめた。
「もちろんだ。戦いが終わったら、俺はみなとともに新天地へ行こう。そこで落ち着き、不自由なく皆が暮らせるように全力を尽くすよ」
おぉ、ありがとう、頼むよ……と口々に言い、しっかと手を握り……そうして人々はおとなしく列に加わったのだった。リューナは目を伏せそうになるのをこらえながら、しっかりと背筋を伸ばした。
「……リューナ……」
聞こえるか聞こえないかぎりぎりのか細いつぶやきに首を巡らせると、トルテが自分の衣の胸のをキュッと握りしめ、そんなリューナを見ていた。
その不安そうな視線に気づいたリューナがトルテに微笑んでみせたが、彼女の表情は晴れなかった。
王を演じていた少年の胸の内にぽとりと落ちた、おもりのようにズシリと質量を持った何か……これは責任、というものなのか?
リューナは民に向けて偽りの微笑みを浮かべながら、人知れず握り込んだ手のひらに爪を立てていた。
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