歴史の宝珠 7-33 黄昏のはじまり

「ルエイン……とは、どういう関係だったんだ?」


 ソーダ水の入ったボトルを手に、リューナはハイラプラスと並んでモニターの前に立っていた。


 少し離れた場所ではトルテとディアンが椅子に座ったまま仮眠を取っている。ダルバトリエは公務や各方面への連絡で席を外していた。


「裏切りの可能性に気づいていても、いろいろ頼んだり、一緒にいたり……まるで昔からよく知っていて行動パターンを熟知しているみたいじゃないか」


「幼なじみがいるあなただからこそ、そこに気づくのでしょうね」


「……幼なじみだったのか?」


 リューナは年上の青年の横顔に目を向けた。


 モニターに表示される情報を読み取るためにオレンジ色の瞳を小刻みに動かしながら、ハイラプラスは手元の小さな魔法陣を矢継ぎ早に指で弾き、次々と現れる文字の羅列を叩き続けている。


「――ルエインは幼なじみです。ちょうどあなたとトルテちゃんみたいにね。幼い頃から一緒に過ごしてきました。私が十歳でアカデミーに入った後、二年後に彼女も同じように……」


 ハイラプラスはモニターからは目を離さなかったが、目をわずかに細めて声のトーンを落とした。


「ダルバトリエと組んで、とある研究に関わっていたときですかね……ちょっとした事件がありまして。そこから歯車は狂いはじめたんだと、私は思っています」


「事件?」


「ドゥルガーです」


 名前を発したその一瞬だけ、ハイラプラスの手が止まった。……再び検索の作業を続ける彼の目は鋭く厳しいものになっていた。


「彼は、私と同等、もしくはそれ以上の魔力を欲していました。自分たちの研究に夢中だった私としては、彼のことは正直目に入っていなかったんですが、私をライバルと公言していた彼にとってはそれが侮辱と捉えられたのでしょうね。ある日、彼は――」


 ハイラプラスは完全に手を止め、落ち着いた声で言った。


「――私の右目を奪っていきました」


 リューナは驚きに目を剥き、青年を見た。――今何て言った?


「この右の瞳は、作り物なんですよ」


 ハイラプラスはリューナにゆっくりと顔を向けてみせた。その右の瞳の虹彩はきれいなオレンジ色で、瞳孔も動くし、左のものと全く区別がつかなかった。一瞬、冗談を言っているのかと思ったくらいだ。


「よくできているでしょう? しかし、これは紛れもない人の手で造られた物……正確には、友人であり錬金術士であるダルバトリエが造ってくれた新しい瞳なんですよ」


 ハイラプラスは淡々と語り、少しだけ微笑んでみせた。


「尋常ではない事件でした。それはもう大混乱でしたよ。結果的にドゥルガーはアカデミーを追放され……私がドゥルガーとの関係を疑ってしまったルエインとも、そのとき疎遠になってしまいました。彼女はあのとき、必死になって私を助けようとしてくれていたのに……ね」


 私も若かったんですよ、と冗談めかして自嘲気味に笑ったハイラプラスだが、その表情が裏切っていた。どれほどの苦悩と衝突があったのか――考えるだけでも苦しくなるような事件だったことはよくわかった。


「魔導を操る力の秘密が『瞳』にあるみたいでしてね。ルエインはその方面の研究をしていて、論文も幾つか発表していました。……彼女は医療系の分野専門、『生命』の魔導士なのです。アカデミーを去ってからはその道を捨て去り、情報処理の方面に進んでしまいましたけどね……」


「その論文を読んだドゥルガーが、力を欲してあんたの瞳を奪ったっていうのか? そんなことのために他人の肉体の一部を?」


 信じられない、というようにリューナは首を振った。


「アカデミーは特殊な環境ですから。知恵と知識、技術や論理に溺れる者もいたんです」


「それで、ドゥルガーとかいう奴、奪った目はいったいどうし――」


 ドガンッ!


 そのとき扉が音を立てて開かれ、がっしりした背の高い人影が執務室に入ってきた。木製の分厚い扉なのに、すさまじい勢いで壁にぶつけられたのだ。


「ダルバトリエ。自分の部屋だからといって困った人ですね、もう……。それにしても頑丈な扉ですねぇ」


 もしやと思ってリューナが部屋の中の椅子に目をやると、案の定トルテもディアンも眠りから覚め、目をぱちくりさせて扉を見つめていた。


「ハッハッハ。まぁ月に一度くらいは修理されておるがの。おっとそうだ、客人だぞ。さきほど到着なされたのだ」


 豪快な笑い声をあげたダルバトリエはわきに寄り、後ろに立っていた客人を部屋に通した。


 流れるような翠の髪とアメジストのような紫の瞳が印象的な、背の高いほっそりとした女性だった。肌は抜けるように白く、優美なかたちの耳の先端がはっきりと尖っている。


「エルフ族の王、フェリア殿」


 ハイラプラスの呼びかけに、女性はにっこりと微笑んだ。


「ハイラプラス殿。しばらく見ないうちに大きくなりましたね」


「あはは。いやですねぇ、子どもではないのですが。……まぁ、あなたに最後にお会いしたのは十六のときですから、子どもだと記憶されていても仕方ないですかね」


 ふふ、と優しげに微笑み、フェリアは部屋を見回した。ハイラプラスの横に立っているリューナ、そして椅子から立ち上がったトルテとディアンを順に見つめる。


「あなたが飛翔族の王、ディアン殿ですね。それから……あなたが人間族の新しい王になるひとですね?」


 そう言ってフェリアが視線を向けたのは、他でもないリューナだった。


「――俺!?」


 あまりの驚きに、思わず素っ頓狂な声が喉から滑り出てしまった。


「違いますの? ミドガルズオルムではその話と王宮襲撃事件で持ちきりだとナライアが話していましたので、てっきり」


 フェリアの言葉に、「おやおや、そんなことになっていましたか」とハイラプラスが笑う。トルテは口をまるく開けてぽかんとし、挨拶をしようと一歩踏み出したディアンはその場で動きを止めた。


「ちょっ、いや、笑い事じゃねぇったら」


「でもまぁ、そんなふうに言われてもおかしくはない状況だったよね、あのとき」


 ディアンが、祭りの騒動のときに屋外ステージでリューナと手を握ったことを思い出しながら頷いていた。


「まぁ、なごんでいる場合でもないのですけれど」


 ハイラプラスがいきなり話を変えた。


「フェリア殿も到着されましたし、我々には時間がありません。さっそく本題に入っても良いでしょうか」


 そう言われたみなに異存はない。リューナは『終末の書・時の章』をちらりと確認した。――あと一日半というところか。


「『場所』の候補は、かなり絞っておきました。あとは現地の様子が見えればほぼ特定できるでしょう。それから友好の証であるエルフ族管理の誓約の書については――」


「ありますよ、ここに」


 フェリアが、たっぷりとした衣の下から一冊の本を取り出した。装丁からみて間違いなく『終末の書』だ。


 フェリアが何事かつぶやくように唱えると、そのたおやかな手の上で『終末の書』のページが開いた。


「……この書には、鍵について書かれているのです。つまり、世界を終わらせるための方法、そのきっかけ――次元の揺らぎの一点を突き崩し、全てを消し去る……そのための鍵です」


「方法を記した書がここにあるのなら、ドゥルガーたちはどうやってそれを実行するつもりなのでしょうか。その……世界の破滅を?」


 ディアンの質問に答えたのは、ハイラプラスだった。


「この『終末の書』が作られたのは、王国が建国された時です。それは王でしたらみな知っていますよね? 実はその方法を伝授したのが、他でもない、神界に存在する神々なのです。だからこの書は読まなくてもある程度は予測できる、もしくはこう言ったほうがいいですかね……方法は幾つもあるのだ、と」


 ハイラプラスの言葉に、息を呑む音が幾つか聞こえた。


「建国に携わった五つの種族の長たちの名は伝わっていません。ですが、その者たちが神界に渡り、知恵と力を得て混沌としていた世界を統一したのは事実です。その者たちが現生界に帰ってきたとき、神々の干渉を断つために信仰を禁じ、自分たち自身の力――『魔導』による統治の基礎を作り上げたのがこの国なのです」


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