歴史の宝珠 7-32 黄昏のはじまり

 ハイラプラスの手が動いた。テーブルの上に並べられた2冊の本を重ね、聞き慣れない言葉を唱える。『真言語トゥルーワーズ』なのだが、意味が聞き取れなかった。一見意味を成さない合言葉のようなものなのかもしれない。


 本が揺らぎ、ぼやけた。


 リューナは思わず目をこすった。トルテもディアンも同じようにまばたきしている。すぐに本は明瞭に見えるようになったが、驚くべきことにそれは一冊の本になっていた。


「すごい、こんな秘密が!」


 ディアンが声を上げた。彼は王という、本来知っておくべき立場にあったはずだが、この書については何も聞かされていなかったのだろう。


 厚みを増した本を、ハイラプラスの指が突いた。パタン、と小気味良い音を立てて本が開いた。


 ページの上に光ったのは立体魔法陣だ。だが――あまりに変わった魔法陣だった。天空にある惑星のような丸い球がゆっくりと回っている。


「時計ですよ」


 ハイラプラスが言葉短く説明した。ツィッ、と手を空中に滑らせると、ページがめくられる。


 記号だか文字のようなものが記された細かな文章だった。


「これは『きょく』という事象についての記述です。この二冊に記された内容は、この世の終わりを決するとされるタイミングについての記述なのです」


「きょく……」


 リューナとトルテは、その言葉が発せられたときにちいさく息を呑んでいた。


 それは、ふたりが生まれる前、世界を文字通り震撼せしめた事件の記憶を呼び戻す言葉だった。幸いにもふたりは話でしか聞いていない。だが、それを体験したおとなたちにとっては……。


「およそ二千年周期で訪れる、この世界を構成する次元の揺らぎの波が最大になる瞬間のことですよね」


 トルテが言った。ハイラプラスは静かに未来から来た少女と、傍らに立つ少年を見つめた。


「君たちは、次の『きょく』を乗り切った世代なのですね」


「はい。――でもあたしたちの世代ではありません、両親たちが『神の召喚サモンゴッド』を阻止したのです」


「なるほど……」


 ハイラプラスは目を閉じ、額に指を当てた。そして目を開き、その場にいる皆の顔をゆっくりと見回した。


「おそらく、それと同じか、もっと怖ろしい災いが引き起こされるでしょう。ドゥルガーたちの持つ『終末の書』には、引き金となる『場所』が載っているのです。この書が手に入らなかったので、正確なタイミングが判らなくても、おそらく現地で待つつもりなのだと思います」


「僕たちにできることはないのですか? 打つ手はないのでしょうか!」


 ディアンが叫ぶように問うた。それに応えたのはダルバトリエだった。


「――民を誘導し、避難させることくらいはできる、かもな」


 ハイラプラスは竜人族の王を横目で見つめた。


「らしくない言い方ですね、ダルバトリエ。世界が壊れて消滅してしまっては、どこへ逃げても同じだとあなたも理解しているでしょうに」


 その言葉に、背の高い竜人の男は赤い瞳をギラリと輝かせ、精悍な顔にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「もちろんだ。然るべき手を打った後には、俺が自ら出陣しようぞ。あやつらの翼をもぎ取り、不相応な野望をぶっ潰してやるわい」


 その言葉に、同じように翼を持つディアンが思わずびくりと背を震わせた。それに気づいたダルバトリエが、おまえのことではないわ、とばかりに笑いながらディアンの肩にズシリと手を置いた。


「やれやれ。私たちのほうでは、その『時』がわかっても『場所』がわからないのですよ」


 あきれたようにハイラプラスがため息をついた。


「それはおまえの役目だろうが。その叡智の全てを懸けて、何とかして『場所』を割り出すのだ」


 ダルバトリエが言い、ハイラプラスもまた不敵な微笑みを口の端に浮かべてみせた。


「なんだかおっかねぇ、おっさんたちだな」


 言いながらもリューナは安堵したように息を吐いた。傍らのトルテに顔を向けて笑いかける。


「俺たちの居た世界は、壊れてないんだ。だから、この時代を全力で守っても時間の流れは変わらないんじゃないかなと思うんだ」


「――はいっ。そうですね」


 トルテはホッとした表情で力強く頷いた。そして、リューナの手をそっと握ってきたのだった。


「守り通したら、一緒に帰ろうな」


 リューナは想いを込めて、細い手をぎゅっと握った。ディアンが目を逸らしながらもこちらをチラチラと窺っていることに、このときには気づかなかった。





「――やはり魔人族の持っていた書は奪われているとのことでした」


 ハイラプラスが部屋に戻ってくるなりそう言った。部屋に詰めていた全員が呻き、落胆した表情になる。


 ここはメロニア王宮の王の執務室だ。とはいえ、隠し部屋のひとつである。錬金術士ダルバトリエの研究室、といったほうが良いのかもしれない。


 モニターと呼ばれるパネルが壁の一面を埋め、魔法陣がそこかしこにきらめき浮かび上がっていた。そこに映し出されているのは、主にミッドファルース大陸の各エリアの地図、そして魔導行使による力場の変化と干渉の膨大な記録だった。


 彼らは今、全力を挙げて『場所』を探しているのである。


 その『場所』を示す書の片割れでも手に入れば、特定も早くなるのだがと思い、魔人族が所有していた書を求めたのだが、すでに敵に奪われてしまったという報告が届いたというわけだ。


「まぁ、予想はしてましたけどね。相手が場所を特定したのですから、当然ふたつの書を手に入れているというわけで」


 ハイラプラスだけが落胆の表情を見せずに肩をすくめていた。


「エルフ族の王フェリア殿にも連絡してきました。今あちらで最後の書の封印を解いている頃でしょう」


「んな悠長に構えている場合かよ。もう時間がないんだぞ、おっさん」


 リューナもトルテとともにモニターを覗きこんで操作しながら、奥のテーブルの上で開かれたままの『終末の書・時の章』にちらりと目をやった。


 『時』の書が表示している『きょく』のタイミングまで、あと二日なのだ――。


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