歴史の宝珠 7-18 建国祭にて

 目を上げると、そこには両腕に子どもを抱えたディアンの姿があった。その背中には美しい、大きな白い翼が広がっている。


「ナイスだ、ディアン!」


 リューナは剣を逆手に『月狼王』に突っ込んだ。足を斬り、相手の動きを封じるつもりで。


「待ってリューナ、傷つけないで!」


 その言葉と同時に、『月狼王』の四本の足の下に四つの魔法陣が具現化された。トルテの行使する『足止めフットストップ』だ。『月狼王』が苛立ち、激しく体を震わせる。


 グアアアウ!


 リューナに向けて噛みあわせる牙を跳躍してかわし、顎が届かない位置へ降り立った。


「トルテ! 策はあるのか?」


 ステージの下にトルテが立っている。両腕を真横に伸ばし、魔法効果を継続させていた。『月狼王』の体全体に足元から魔力の鎖が絡み広がっていくのを、リューナは見た。――こんな魔法、あったか?


 思わずトルテに視線を向けると、トルテは魔法に集中したまま、口だけを動かして彼に語った。


「今、教えていただいた複合魔法です。あの子の全身の自由を奪っているのです」


「え、今?」


 リューナは周囲に視線を向けた。その瞬間、どこからか発生した煙にステージ全体が包み込まれる。


 空中にいたディアンが驚いて高度を下げ、視界が閉ざされる前に慌ててリューナの傍に降りてきた。子どもは泣きながら、ステージ上から走り去っていった。


 煙は、特に匂いもなく害もなさそうだった。煙幕、といったところか。


「おやおや、老院は私の警告を無視したようですね。幻獣を捕らえて見世物にするなどという思いあがりを」


 煙の切れ目、リューナたちからのみ見える位置に、背すじを伸ばして立つ銀髪の男がいた。オレンジ色の瞳を細め、口元だけを微笑ませている。


「ハイラプラスのおっさん!」


「おっさん、は聞き捨てなりませんが、まぁいいでしょう。トルテちゃん!」


「はい」


「この幻獣に名前をつけてあげてくれますか。あなたの実力ならお友だちになれるはずですよ。ただし、急いだほうがいいです」


「はい」


 トルテは『月狼王』に向き直り、真っ直ぐに両腕を伸ばした。


「あなたの名前は『スマイリー』。あたしとお友だちになってくれますか?」


 リューナはその光景を見守っていた。『月狼王』の巨大な牙口は、トルテの体をひと噛みで食い千切れそうだ。剣の柄を握る手に、無意識に力が篭められていく。


 だが、地獄の底から響いてくるような幻獣の唸り声は、急速に失せていった。『月狼王』はこうべを垂れ、尻尾を下げた。


「目立たないように、小さくしてあげてください」


 ハイラプラスの声に、トルテはすぐに反応した。『小型化ダウンサイジング』の魔法陣が具現化される。一度見た魔導の技を、完璧に再現したのだ。


 トルテの記憶力はすげぇよな……。リューナは素直に感心し、周囲を見渡した。ステージ上から煙が晴れたときには、周囲の騒動も完全に収まっていた。


「うふふっ。可愛いです」


 トルテが嬉しそうに笑った。見ると、『月狼王』は手のひら二枚分ほどの大きさになり、トルテの肩上に乗っている。トルテは指を近づけ、ミニチュアのようになった幻獣の喉を撫でてやっていた。


「大丈夫か、ディアン」


 リューナが差し伸べた手を握り、床に座り込んでいたディアンが立ち上がった。


「うん、君は?」


「俺も大丈夫だ。おまえ、結構根性あるな。見直したぜ」


 にかっとリューナが笑うと、ディアンもにっこりと微笑んだ。


「君はすごく強いね。もしかして、君が新しい人間族の王なのかい?」


「ええっ?」


 ディアンの言葉に、リューナは驚いて声をあげた。


「魔導の力、そして判断力、行動力。どれをとっても王に相応しいと思うけど」


「あぁ、それはいい考えですねぇ」


 のんびりした賛同の声に振り返ると、ハイラプラスがにこにこ笑いながら立っていた。


「どうですか、リューナ。私たちの王になっていただけたら、私もお役御免で嬉しいのですが」


「おっさん! どこまで本気なんだよ!?」


「まあ、リューナが王子さまに」


 トルテが微笑んで胸の前で手を組み合わせた。幼い頃に絵本の前で交わした約束のことを、トルテは思い出しているのだろう。


「それとはまた違うと思うが」


 リューナは半眼のまま手をひらひらと振り、次いで頭を抱えた。


 煙はすっかり晴れ、屋外ステージの周囲には逃げ出していた市民や警備兵たちが戻り、集まりつつあった。


 ワアアアァァァァ!


 怒涛のように響き渡った歓声に、ハイラプラスはにっこり微笑み、ディアンはリューナに握手を求めてきた。握り返すリューナの横で、トルテが嬉しそうに微笑んでいる。


 騒ぎを収めた、人間族の若者と飛翔族の王。ふたりの背後には、今は亡き人間族の国王を陰ながら常に支えてきたと噂される、政治的にも名高い魔導研究の権威の姿――ひとびとは期待を込めた眼差しでそれらの光景を見守っていた。


「なんだか、妙なことになってきたぞ……」


 リューナは笑顔を引きつらせながら、口の中でつぶやいた。





 そんな光景を目にして歯噛みしていた人物が、ふたりいた。


 ひとりは『月狼王』を解き放った飛翔族の近衛兵隊長だ。


「くそっ! 混乱の中で魔導の軌跡を追えばディアン様を捕らえられると思ったのだが――失敗だ」


 そしてもうひとりは、見失ったふたりを捜し回っていたルエインだった。


「あああ! ハイラプラス様……あんな目立つところに何故いらっしゃるんですかあぁぁ! それに、あのふたりもあんなところに。何だか妙なことになっているような……」


 どちらも『遠視マジックアイ』の魔導の技を使っているので、広場からは離れていた。片方は広場からさらに遠ざかる方向に、そしてもう片方は広場に向けて歩き出したのである。


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