歴史の宝珠 7-19 タラティオヌの飛翔王

「でもさ、どうしてそいつの名前がスマイリーなんだ?」


 リューナは疑問を口にした。トルテの肩に、動かなければ襟巻きのように見えなくもない、しなやかな胴を持つ生き物を見つめる。幻獣なので、正確には生き物とはいえないかもしれない。


 漆黒といえる闇色の胴体は見事な毛並みに包まれていて、腹や脚は赤みがかっている。たっぷりとした尻尾は先に行くにつれて白く輝くような色に変わっている。瞳は一対。色はえとした月光のような、灰色がかった乳白色だ。


 眺めていたら、視線が合った。ぐるるる、とドスのきいた低い声で唸られる。


「やるか、こいつ」


 とばかりにリューナが睨み返すと、相手も小さな牙を剥き出してくる。


「どこがスマイルっぽい名前なんだ、ちっとも笑ってないじゃんか。とはいえ、本体はでかいんだよな……メナスとか他の名前に改名したほうがいいんじゃないか」


 リューナがぶつぶつと口の中でつぶやいたら、トルテの手が幻獣のミニチュア版の顔をそっと掴んだ。


「ほら、見てください」


 トルテが後ろから手を伸ばし、幻獣の頬と顎を持ち上げるようにしてリューナに向けた。口を半ば開いている獣は……確かに笑っているみたいな顔になった。リューナは思わずぷっと吹き出してしまう。


「確かに、可愛いな。そうやると」


 つられるように手を伸ばすと、容赦なくガウと吠えられた。手を引っ込めたリューナは、むぅ、と顔をしかめる。


 そんなふたりと一体の様子を眺めながら、ディアンが楽しそうに笑った。


「うふふ、みんな仲良しだね。それにしても、幼なじみがいるなんて羨ましいよ」


 笑う動きに合わせて、その背中にある翼もふるふると動いた。今はたたまれているその翼が、空を舞うときにあれほど大きく力強く羽ばたけるのが不思議になるくらい、繊細な印象の羽毛だった。


「こいつとは仲良しじゃねぇ!」


 ガウガウガウ!


 同時に返事がふたつ返ってきて、ディアンだけではなくトルテまでもが笑うことになった。


「微笑ましいですね~、みなさん。若いっていいですねぇ」


 のんびりした声に目を向ければ、にこやかな表情をした銀髪の青年が、飲み物の入った杯を手にゆったりと椅子に座っていた。


「若いって、いくつなんだあんたは」


 リューナが半眼になる。


 ここは、ゼロ番街区にあるミドガルズオルム王宮の一室である。いちいち建物に長い名前がついているのがリューナには面倒に思えてしまうが、なるほどたいそう立派な建物だったのだ。


 騒ぎになった広場を囲むようにしていくつも連なる建物全てが、この王宮の一部だった。


 銀髪の青年――ハイラプラスは、身を隠すために長くこの王宮に立ち入ることを避けてきたのだが、騒ぎで姿を現してしまったことと、まだ少年とはいえ飛翔族の王であるディアンが一緒に居るので、遠ざかったままではいられなくなったらしい。


 単に面倒くさくなっただけじゃねえか、とリューナはこっそり心の中で修正しておいたが。


 もっとも、歓待を受ける飛翔族の王は居心地の悪そうな様子で目を彷徨わせてばかりいる。


 ちなみに、この場に居るのはリューナとトルテ、ディアンとハイラプラスのみだ。人払いをしてあるのだが、それでもきらきらと輝く薄壁の向こうには、警備兵たちがぎっしりと詰めているのがリューナには気配で判る。


「ディアン、落ち着かないみたいですが、どうかしたんですか?」


 スマイリーの頭の上の毛を指先で優しく撫でながら、トルテが訊いた。笑いが収まった途端、またディアンが足を踏み換えてそわそわとしはじめたからだ。


「えぇ、実は、僕は正式にここまで出向いてきたのではありませんので。いつタラティオヌから迎えが来るかと思うと、なんだか不安で……」


「あの王宮の兵……だっけ。なんだか妙に荒っぽい連中だったもんなぁ」


 リューナが追っ手たちの様子を思い出しながら言うと、ディアンは苦い表情で頷いた。


「ええ。それに僕は王ではありますが、自分自身で決定を下すことが許されていないほど、弱い立場なのです。配下たちにも、僕は……形だけあればよいと揶揄やゆされているようで」


「即位して間もないから、まだ兵たちに侮られているのかもしれませんね。歳若いあなたですから――。しかし、あなたは立派に民たちを引っ張って行ける器の持ち主だと私は思います。亡き先王の御名に隠されてしまって、まだ民たちに真のお姿が伝わっていないのでしょう」


 ハイラプラスが言った。彼は本心から言ったのだろうが、その人柄をよく知らない者からすれば、慰めの言葉に取られたかもしれなかった。


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