歴史の宝珠 7-17 建国祭にて
リューナ、トルテ、ディアンの三人がいる場所は、中央通りと呼ばれる広い道路に面した低い建物の屋上だ。
賑やかな演奏が聞こえ、魔導の花火がパンパンと鳴る音が立て続けに響く。
「まあ、パレードだわ」
通りを覗きこんだトルテが声をあげ、リューナとディアンも建物の端に駆け寄った。
きらきらとした紙吹雪のようなものを宙に撒きながら、二階建ての家ほどもある祭りの
「これが見たかったんだ。ほら、幻獣だよ」
「幻獣?」
リューナは目を細めるようにして、こちらに近づいてくる
六つめから八つめまでの山車は連結され、魔法で作られたひとつの檻を運んでいた。その立体結界魔法の檻のなかに捕らわれているのは、一体の巨大な幻獣だった。
まるで狼のような体躯だが、大きさは常軌を逸している。赤みがかった闇色の毛並みは美しく、一対の眼は月光のような色、尾はたっぷりとして先は徐々に白く色を変えていた。幻精界から召喚したというのならば、いったいどれほどの魔法陣を描けば実行できるというのだろう。
「あれは……?」
「『月狼王』だよ。僕、大好きなんだ。しなやかで美しい最上位種、『月狼』族の長なんだ」
その幻獣の様子を見つめていたトルテは、瞳を揺らした。
「まあ……。あれでは可哀想です」
「檻の結界、ぎりぎりの大きさしかない。見世物として窮屈な思いをさせて、ひどいな」
リューナとトルテは、同じ思いを抱いていたようだ。隣のディアンも「あぁ……」とひとつ頷き、言った。
「確かにそうだね。苦しんでいるみたいだ……僕と同じなんだ」
リューナはその言葉が心に引っかかった。ディアンに向き直って尋ねようとしたが、ふと視界の隅に入った光景に気づいて、その言葉を呑み込んだ。代わりに緊迫した声を喉から吐き出す。
「あれは――おい、『月狼王』の結界のそばのやつ、ディアンを追っていた奴らのひとりじゃないかッ?」
「えっ!?」
トルテとディアンも、リューナの視線を追ってすぐに気づいた。先程の飛翔族の兵士がひとり、山車を取り囲むようにガードしている警備兵たちの列に紛れ込んだのである。
「あのひと、魔導士ですね。自分の存在を周囲に警戒されないような魔法を使っているみたいです」
「近衛兵の隊長は、隠蔽に優れた魔導の力を持っているんだ」
トルテとディアンの言葉に、リューナは表情を引きしめた。幻獣の檻にこっそり近づいて、あいつは何をしようというんだ――?
パン、と何かが弾けたような音がした。まるで『
――『月狼王』の檻である魔法の結界の輝きが、跡形もなく消滅したのである。
すさまじい咆哮が、大通りに轟き渡った。
ダン! 山車を蹴りつけ、怒りの気配を
「すごい威圧感だな」
さすがは幻獣の最上位種だ。十
あちこちで、『月狼王』を取り押さえようと警備兵たちが『
「いけません! リューナ、早くあの子を止めないと!」
トルテが緊迫した声で叫んだ。中央広場ではさまざまな催しが開かれているのだろう。大勢のひとで溢れている。
「わかっている!」
リューナはいつものように背中に手を回し、愛用の長剣がないことに気づく。
「クソッ。剣は現代に置いてきたんだ! ナイフもねえし!」
苛立たしげに舌打ちしたが、リューナは即座に次の行動に移った。トルテにディアンを任せ、外壁を伝うように地面まで降り、すぐに駆け出す。全速力で走るくらいで呼吸は乱れない。
走りながら魔術を詠唱し、リューナは自分に対して『
前方では、屋外ステージに躍り上がった『月狼王』を捕らえようと、警備兵がバラバラと近づいているのが見える。だが、前足に一掃されてすぐに叩き落されている。
「兵といっても名ばかりじねぇか」
リューナは風のように大通りの人ごみを駆け抜け、ステージの端に跳び上がった。その場に、警備兵が弾き飛ばされたときに転がった剣があるのを見ていたからだ。
『月狼王』から目を離さないまま、落ちていた片手剣をつま先で弾き上げるようにして拾いあげる。剣全体のバランスは良いが刃はなまくらに近い。重さばかりで、まるで飾り物だ。
びゅびゅっと軽く振り回し、リューナは剣を構えた。素早く『
『月狼王』は地の底から響くような唸り声を発した。
「おまえら! この広場周辺から市民を避難させろ! 怪我のないように気を配りつつだ。暴動にならないよう、落ち着いて誘導しろ!」
周囲の警備兵達に向かって大声を張り上げる。混乱している状況下では、毅然とした態度で為すべきことへ導く指導者が必要なのだ。
この騒ぎのなかで幻獣やリューナが暴れたら、間違いなく犠牲が出るだろう。ガラではないが、ソサリアの国王を思い出しながら声に抑揚をつけて周囲に次々と指示を飛ばした。
「ちえっ、この時代には、まとめるやつが誰もいないのかよ!」
口の中で愚痴を言う。いるにはいたが、さっさと逃げ出した、とかじゃあるまいな。
周囲にそれらしき人物がいるのか、リューナがちらりと視線を向けたときだ。
ガゥッ!
『月狼王』が目の前に立つリューナに噛みついてきた。バシン! と怖ろしい速度で閉じた牙をかわし、リューナはニヤリと笑った。
「そら、こっちだ! こい!」
挑発しながら、ステージの上から降ろさないよう気を配りつつ、巧妙に幻獣の向きを誘導する。広場から市民が避難し終わる時間を稼ぐためだ。
「でかいステージで助かったぜ」
とはいえ、この巨大な幻獣をどうするか。勝てる自信はあるのだが、本気で戦えば大乱闘になりそうだ。広場の周囲に立つ高層建築の建物も、無事では済まないかもしれない。ゼロ番街区、と名前がついているのだから、きっと政治的にも重要な建物に違いない。それなのに、警備が手薄すぎることに文句を言いたかった。
リューナの挑発でいいように踊らされている『月狼王』が、何かに気づいたかのように首を後方に向けた。
「む」
そこには、子どもがいた――親とはぐれてしまったのだろうか。ステージへ続く階段に、ぽつんと座っていたのだ。子どもは『月狼王』の気を引いたことに気づいて、「ヒッ」とばかりに恐怖に頬を引きつらせて目を見開いた。
獣は這うように跳躍した。リューナと子どもは、獣を挟んで反対側だ。
「チクショウ!!」
間に合うか――? リューナは猛然とダッシュした。牙のほうが数瞬早そうだとわかる。だが、『月狼王』の牙が閉じる前に、子どもの体を空中へすくい上げた影があった。
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