白き闇からの誘い エピローグ2

「我らの集合体は、幻精界へ帰還する決定を下したのだ。だが、ここに置いた我らの技術をどうするかが問題であった。自らが定めた戒めによって破壊することもできず、このまま移動させることもできない。だから、この世界の者で信頼できる相手に託したかったのだ――我らがここで生きた証として」


 エトワに続き、テロンたちが魔法陣へ踏み込むと、周囲の景色が変わった。光にあふれていた光景から一転、闇の只中に放り込まれたかのようだ。別の場所へ転移したのに違いなかった。


 ジュワアァァァアッ!!


 すぐ近くで凄まじい音が弾けたかと思うと、猛烈な水飛沫が柱のように天へ向けて噴き上がった。その光景には見覚えがあった。この孤島に上陸する前に海上から見えた潮吹きだ。


 ここは島の表層、地面の上なのだ。ふいに頭上から差し込んできた光に思わず眼を向けると、雲の間から月の光が見える。……いや、違う。月の光ではない。風のない魔の海域の空で、重く垂れ込めている雲が切れることはないのだ。光の粒子が集まったような巨大なものが、まるで定まった形のない生き物のように動いているのであった。


「あれが我らの集合体――『白き闇の都ホワイエリーティ』という」


 周囲の闇に光を放っているエトワが、自分の体に手を当てながら思念で語った。


「この姿もまたひとつの小さな集合体なのだ。群れという形を取った、そなたらと接触するための集合体『想いを繋げる絆エトワ』という」


「集合体だって? 小さなものが集まって、ひとつの生き物のように振る舞えるということなのか?」


「驚くようなことではあるまい……そなたらの肉体とて、たくさんの細胞が寄り集まって成り立っているのだ。それらの個々が我らのように意思を持って自在に動き回れないという違いがあるだけのこと。現生界はまったく奇妙で、まったく羨ましいものだ」


 エトワはちいさく笑うと、周囲に光り輝いている魔法陣のひとつを手で指し示した。


「さあ、そなたらもいったん船で待つ仲間たちのもとへ戻り、待っている者たちを安心させるべきであろう。一階層目に戻る魔法陣はそこにある。我らはここで見送ろう」


「ありがとう、エトワ。いろいろと」


「またね。いつかきっと再び逢えますように。あたしたちも頑張るね」


 テロンはルシカとともに感謝の想いを込めて、新しい友人の手を握った。仲間たちも白きものに別れを告げ、魔法陣に踏み込んでいった。


 転移した先であった砂浜――白と青の光に染め上げられた入り江を自分たちの帆船へと歩き戻りながら、ルシカが言った。


「本当はね、エトワたちは様々な種族が平等に暮らしているこの現生界に、ずっと憧れていたんだって。仲間として認めてもらい、定住して、一緒に暮らしてゆきたかったみたい」





 魔の海域の海面も見慣れてみると、実に様々な色彩に満ちあふれていた。遠く光る燐光は妖しくも美しい不思議な光景として愉しめたし、船ほどの大きさのある魔獣が群れとなって跳ね飛ぶように進みゆくさまは壮観であった。


「ここ、すっごく気持ちいいよー!」


 ルシカが笑顔を弾けさせながら、並走している戦闘用帆船ブリガンティンに向けて大きく手を振っていた。


 その眼で見ていなければ信じられないほどに長大な胴体を持つ魔獣の上位種が、ちっぽけな人間族の船と寄り添うようにしておとなしげに泳いでいる。その頭部の広い部分に、ルシカとテロンが乗っているのだ。


「そりゃあ、俺だって乗りたいけどなァ……」


 帆船の甲板に立ったクルーガーが、ルシカの呼び掛けにぼやいている。


 ソサリア王国の所有する二隻の帆船は無事、魔の海域を抜けつつあった。傍らで泳ぎ進んでいる『海蛇王シーサーペント』のウルの存在が、他の魔獣を一切寄せ付けなかったのだ。損傷がひどかったラムダーク王国の船は、ウルが胴体に巻きつけたロープで牽引している。イルドラーツェンや兵士たちをはじめ、船員たちは全員ソサリア側の船に乗り込んでいた。


 ルルルゥウウウウー!


「あぁ、なるほどぉ。クルーガーには剣で刺されちゃったからダメってことなのね」


 ウルのき声の意味を通訳したルシカが、冗談めかして半眼になる。巨大な眼球とオレンジ色の瞳、二種類の視線を受けたクルーガーが、抗議の声をあげた。


「なんだよ、テロンだって殴っていただろうに」


「ふふっ。テロンはちゃんと謝ったのと、ウルがあたしに免じて許してくれるって!」


「ずるいなァ、それは」


 三人――もとい、ふたりと一体の遣り取りを黙って聞いていたテロンは、眉を互い違いにしながら複雑な笑顔になってしまう。あまりに身を乗り出し過ぎていたルシカの腰を抱き支え、兄に向けて大声で言った。


「そういうことらしい。――すまないな、兄貴!」


 ウッルルルゥゥゥゥ!


 上空を覆っていた厚い雲が途切れ、風が吹きはじめる。明るい日差しが降りそそぎ、テロンは眩しさに思わず目を細めた。とうとう魔の海域を抜けたのだ。


「ソサリアまでもうすぐだね」


 先ほどまでとは打って変わったように静かな口調にテロンが視線を向けると、風になびくやわらかな金の髪を押さえながらルシカが微笑んでいた。眼が合うと、彼女はウルの後方にある船を指で指し示した。ラムダーク王国所有であったボロボロの船体が、右に左に大きく揺れながらき運ばれている。


「あれに乗っていたら、目がぐるぐる回っちゃいそうだね。もっと静かに揺れることなく走行できたら、ウルに引っ張ってもらって世界旅行できそうなのになぁ」


 ウルルルゥルル――!


 ルシカの言葉を聞き、ウルが同意するようにき声をあげた。そのとき甲板の端から、低音がかすれたような声が張り上げられた。


「心配せんでもよいぞ、ルシカ殿! このわしがそやつ専用の曳き船くらい、朝飯前にちょちょいと設計してやるわいっ!」


 ガハガハと自信たっぷりにわらっているのは、グリマイフロウ老だ。高齢であっても耳はまったく衰えていないばかりか、相当に良いらしい。


 テロンは吹き出すように笑ったあと、「良かったな」とルシカとウルの双方に声を掛けた。魔導士の娘と『海蛇王シーサーペント』が、何とも嬉しそうな声で返事をする。


 テロンは穏やかな気持ちになって、近づいてくる故郷の大地を眺め渡した。山岳氷河を抱く高い山脈を背に、緑と翠に輝く森と大河の横たわるソサリア王国――。ルシカと兄と、仲間たちとともに暮らしている自分の居場所。そして自分たちが守り、平和を維持して未来へ発展させてゆく国だ。


 ふと双子の兄の話し声が耳に届き、テロンは甲板に意識を向けた。


「戻るのか、イルドラーツェン。父上との衝突は避けられぬだろうが、それでもこちらとの結びつきを強めようと?」


「何度でも、わかってもらえるまで説得してみせるよ。ソサリア王国と我が国、双方の平和と友好の為に。ラムダークも変わらねばならない。陰謀に渦巻く澱んだ国ではなく、背中を守る必要のない安全な国にしたいんだ」


「次期国王である君の言葉ならば、心強いな」


 ソサリア王国の国王とラムダーク王国の王太子が、互いの手をがっしりと握り合う。その光景を見届けて、テロンは微笑んだ。


 ふいに袖口を引っ張られ、テロンはルシカに視線を向けた。すべらかな白い肌で陽の光を受け、透き通るオレンジ色の瞳をきらめかせ、唇を丸くすぼめるようにして真剣な面持ちのまま彼を見上げている。


「ねぇ、テロン」


「なんだい、ルシカ?」


 ルシカは桜色に頬を染め、ほんの少しだけ視線を動かしたあと、また真っ直ぐに向き直ってテロンを見つめ……首をすこし傾げるようにしてこの上もなくあたたかな笑顔になり、そっと唇を開いた。


「あたしね、あなたに出逢えて……本当によかった。テロン。あなたが好きなの」


「……ルシカ」


 そのとき、ウルの巨大な頭部がぐらりと揺れた。


 姿勢が崩れてふたりの顔が近づき、こつん、と額が当たる。間近で見つめ合ったまま、照れたテロンが微笑むと、ルシカもまた恥じらうように頬を染めた。青い瞳とオレンジの瞳が向き合い、光り輝く海面を映し込んで煌めきを閉じ込めた無限回廊となる――。


「これからもずっと永遠に……愛している」


 ふたりはゆっくりと唇を重ね、互いの温もりを確かめ合った。





 エトワは地下に戻り、最後の封印を解いていた。友人たちが王都の『千年王宮』へ帰り着いたとき、向こう側で復帰させる『転移』の門をここへとどこおりなく繋ぐことができるよう、環境を整えていたのである。


 彼は頭上を振り仰いだ。地下深くにあっても、次元を渡る光の道は通じるもの。雪崩なだれるように、天空から光が降ってくる。『白き闇の都ホワイエリーティ』が幻精界への扉を開いたのだ。世界のことわりが揺らぎ、時間の流れが混じりあう。


 エトワは振り返った。最後にもう一度、現生界の光景をしっかりと記憶としてとどめておこうとしたのだ。洞穴内を見通した視界の端に、何かがきらりと輝いていた。


 ひとかけらの石が落ちている。


 光の道のあふれんばかりの強い輝きを内に取り込み反射して、まるで高熱の炎を発しているかのような、爆ぜ割れた水晶のかけらだ。それが何であったのか、彼は理解した。友人たちの面影を思い出したのだ。


 白きものは光に透ける水宝玉アクアマリン色の瞳をそっと微笑ませ、石に、ゆっくりと歩み寄った――。





――白き闇からのいざない 完――

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