破滅の剣 5-5 森の中の出会い

「え、あなた、そこまでわかるんですか!」


 自分より幾つも歳若くみえる女性の言葉に、ティアヌは驚きの声をあげた。まさか魔法の残滓ざんしを見分けたのだろうか――それほどの実力をもった魔法使いであるとは思えなかったのである。


「あたしは魔導士だから。魔力そのものの流れを見ることができるの」


「ま……」


 さらりと告白された内容に、ティアヌはポカンと口を開け、目の前の女性を見つめた。細く小柄で、透き通るような太陽色の瞳をもつ、少女と言っても違和感のないほどに幼げな印象の容姿を。


 なるほど魔導士と聞いたあとならば、見知らぬ相手に対峙しているというのに落ち着き払った物言いと、隠すことなく告げられた正体も、相応の自信があるからなのだと納得できる。


 大陸でも数少なくなったとされる魔導士に出逢えるとは、なんと幸運な巡り会わせなのだろう。ティアヌは感激を通り越し、呆然とした面持ちのまま言った。


「古代魔法王国の末裔すえといわれる魔導士だとおっしゃるのですか。それはまた何と――」


「エルフに、サラマンダー……やはりこの村に来たのはあいつで間違いないのか」


 傍らの少女のつぶやきに、ティアヌは思わず言葉を切って視線を向けた。抜き身の刃のような鋭い輝きを宿した少女の眼差しは、ここではないどこか、あるいは誰かに向けられた、静かに研ぎ澄まされた憎悪と憤怒を含んでいる。


「あなた……何か知っているんですね? 初めて僕に会ったときにも、エルフ族だと警戒していましたし」


 ティアヌの問い掛けに、少女が弾かれたように顔を上げた。どうやらつぶやいたときからずっと、自分の考えに沈んでいたようだ。一同の視線が集まり、場の雰囲気が静かなものになった。けれどすぐに静寂は破られた。


「わ、た、大変!」


 魔導士の娘が、突然大きな声を出したのである。


「――な?」


 少女が疑問を投げかける間もなく娘が駆け寄り、彼女の腕を掴んだ。少女の腕には無造作に布が巻かれ、痛ましいほどの赤濃い色が滲んでいる。娘が手早く布をほどくと、今なお流れる鮮血に染まりゆく肌があらわになった。狼の牙にえぐられたばかりの傷が幾つも穴のように穿うがたれている。


「あなた、ひどい怪我じゃありませんか!」


 ティアヌは叫び、蒼白になった。ふたりとも獣たちの返り血で赤黒く染まっており、少女の傷の深さに気づかなかったのである。少女はむっつりと押し黙ったままだ。


 魔導士の娘は少女の腕を押さえたまま意識を集中させ、手にしていた長杖で地面を軽く突いた。あたたかな光が出現し、ふたりを取り囲むように空中を駆けはしる。具現化された白い魔法陣に呼応し、同じ色の輝きが少女の腕をふわりと包み込む。


 傷が、みるみるうちにえていく。傷を負っていた少女はもちろん、ティアヌも目を丸くしてこの光景を見守った。


「うん、これでもう大丈夫ね」


 痕も残さず傷が消え失せたことを確認して、魔導士の娘は安堵しながらも、しょんぼりとして言った。


「シャールさんなら、もっと早く気づけただろうなぁ」


「でもさっきの突然の行動なんかは、シャールさんに似ていたと思うぞ」


「行動だけじゃ、駄目なんだもん」


 金髪の青年の言葉に含まれた優しさを理解し、魔導士の娘が頬を膨らませる。呆気に取られたようなティアヌたちの視線に気づき――魔導士の娘は照れたように顔を赤くした。


「ごめんね、びっくりさせてしまって。失う血は少ないほうがいいと思ったから、その……もっと優しくふんわり癒せるといいなって思ってはいるんだけれど……」


 娘がすまなさそうに謝ると、ポカンとしていた少女が弾かれたように顔を上げた。慌てて首を横に振る。


「その……あ、ありが……とう」


 頬を赤らめ、娘に向かってぎこちなく礼を口にする。少女の腕の傷は消え、張りのあるなめらかな肌の表面には、渇いた血が薄くこびりついているだけであった。


「まどーのちから、すごい、すごぉい」


 青年の足元で、ミルク色の生き物が嬉しそうに声をあげた。丸っこい胴が独楽こまのように、たのしげな笑顔とともにくるくると回る。


「そ、そうだ!」


 少女は叫び、ミルク色の生き物に駆け寄ってストンと座り込むように身をかがめた。自分の眼の高さを相手に合わせ、琥珀色の瞳に並ならぬ力を篭めて詰め寄る。


「村を焼いたやつのこと、見たか? そいつはいったい何処へ行ったんだ!? ――答えて!」


 その迫力と鋭い声音に、ミルク色の生き物は動きを止め、青いつぶらな目をまんまるに見開いた。「ヒッ」とばかりに硬直してしまっている。


 あれでは答えられるものも答えられなくなるに違いない、とティアヌは思った。


「あ、あの、ちょっと待ってくださいね。えぇっと……」


 少女の勢いを削ごうとして話しかけ、まだ相手の名前も聞いていないことに気づいた。


「えぇっと……やはりここは、まず順序だてて話しませんか? あ、僕はティアヌっていいます。見ての通りの、エルフ族です。この森で道に迷っていたんですよ」


 場違いなほどにのんびりした物言いになってしまったが、その言葉に嘘はない。ふたりの若い男女は互いの眼を見合わせ、ミルク色の生き物は金縛りが解けたようにつんのめった。


「それで、彼女は――」


「リーファ」


 短く自分の名前を告げ、ティアヌの狙い通り勢いを削がれた少女は深い溜息とともに立ち上がった。彼とは逆の方向に、唇を突き出した顔をぷいと向けてしまう。拗ねてしまったようだ。


「俺はテロン」


 青い瞳をした長身の青年が、低いがよく通る声で言った。改めて耳に通しても、洗練されてよどみのまるでない涼やかな発音である。身に纏っている衣服は、飾り気は少ないが上質のおりと針運びであることが窺えたし、仕立ても良い。ティアヌは優れた目利きではないが、身に着けている物のどれをとっても価値が高そうだ――こちらも、只者ではなさそうである。


「彼女はルシカ。とある旅の帰りだったんだが、このトット族の村に住んでいたマウに襲撃の話を聞いて、駆けつけてきたんだ」


「そのエルフの襲撃者というのは、何を狙っていたのかしら。こんなに穏やかな村に……優れた細工師が多いけれど、連れ去るのではなく皆殺しだなんて。技術ではなく品として奪う物があったとしか考えられない……」


 ルシカという名前の娘は優しげな表情から一転、オレンジ色の瞳に怒りのいろを浮かべた。非道な行いというものを心から嫌悪しているようだ。


「……わたしの生まれた村も、皆殺しにされた」


 ティアヌの傍に立っている少女、リーファがぽつりと低くつぶやいた。涙に揺れはじめた琥珀色の瞳を隠すように顔を伏せ、震える声のまま言葉を続ける。


「四日前のことだ。エルフ族の魔術師と黒装束の人間族の男たちに襲撃されたんだ……村は焼かれ、全滅した」


「黒装束の男たち?」


 驚きと憎悪に満ちた声をあげ、テロンとルシカが互いの顔を見合わせた。どちらの表情も、厳しく引きしめられている。


「……何か心当たりがあるんですか?」


 ふたりの様子にただならぬものを感じ、ティアヌは訊いた。リーファも、相手のいらえを待つように息を詰めている。


「半年ほど前になるわ。王国の北の街道で、『黒の教団』と名乗る魔術師の集団が町や村を次々と襲っていた事件があったの。首謀者が失われて組織は壊滅したと思われていたけれど、そうではなかった――」


 ルシカはそこで言葉を切り、瞳を上げて傍らの青年の顔に向けて言葉を続けた。


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