破滅の剣 5-4 森の中の出会い

 ティアヌの言葉に、少女が戸惑いながら「何が?」と訊いてくる。


「この狼たち、動きがあまりにも組織立っています。もしかしたら誰かが操っているかもしれません」


「それって、まさか!」


 優しげだった気配が瞬時に霧散し、少女の口調が激しいものに変わった。


「操るなんて、いったい誰が――やっぱりエルフのッ!」


 ウガゥッ!!


 少女の大声が合図になったかのように、狼たちが一斉にふたりに襲いかかった。


 視界に入るだけでも狼の数は五は超えている。ティアヌは指を突きつけ、次々に風の精霊の力をぶつけた。弾き飛ばされても狼たちはすぐに起き上がり、死ぬまで何度でも突撃してくる。本能で行動する獣にはあり得ない、無益な特攻であった。


 だが、ティアヌの精神力も魔力も無尽蔵ではない。疲れが圧し掛かってくる。


「あうッ!」


 悲鳴に近い呻き声に、眼前の狼を魔法で倒したティアヌが振り返る。少女の左腕に狼の牙ががっしりと食いこんでいた。


 少女の小さな体と狼の体がひとつになって、地面を転がった。噛まれる寸前に差し入れたダガーの刃で、かろうじて腕を食いちぎられるのを防いでいる。大地に鮮血が振りまかれ、少女の顔が苦痛に歪む。


 少女は素早さに長けているが、筋力があるわけではない。ぎりぎりと締まってゆく牙口に、今にも腕がちぎられしまいそうだ。逃れようにも重量のある狼に踏みつけられ、起き上がることができない。


 ティアヌは腰に提げていた小さなナイフを抜き、少女と狼に向けて駆け出した。魔法を詠唱をしていたのでは間に合わないと判断したのだ。まるで世界が制止しかけているかのごとく、ほんの数歩の距離がやけに長い。


「これが魔導士なら間に合うのに……!」


 苦しむ少女に腕を伸ばしながら、ティアヌが奥歯を噛みしめる。


 発現に至らない魔法には意味がない。魔術師には詠唱が必要だ。力あるひと続きの言葉を一字一句間違うことなく、唱え切らねばならない。だから、距離を詰められれば剣に劣る。呪文が完成する前に攻撃を受け、たとえそれで倒れなくても、詠唱を中断されたり、精神集中が乱されてしまえば、魔法を行使することができなくなってしまう。


 だが詠唱の必要のない魔導士ならば、瞬時に魔法は発動する。そして遥かに強力な結果をもたらすのだ。


 永遠とも思えるふた呼吸分の時間を駆け抜け、ティアヌは狼にナイフを突き立てた。少女の腕に喰らいついている顎を素手でこじ開けようとする。自分の血と少女の血で目の前は真っ赤に染まったが、ティアヌは必死で腕に力を籠めた。


 そのとき、凄まじい悲鳴があがった。まるでひとの発する悲鳴のようであり、野生の狼のものとは思えない叫び声だ。


 広場の外、森の茂みから何かが飛び出した。己の意志で飛び出してきたのではな。潰れたような悲鳴とともに地面に叩きつけられたからである。


 残っていた数匹の狼はそれに気づき、仰天したように飛び退った。尾を丸めて後退あとじさり、くるりと背を向ける。次々と反対側の茂みの中に姿を消していったのだった。


 少女の腕に食いついていた狼も同様だった。ひるみ、顎が緩んだ隙に、少女のダガーによって眉間を一突きにされ、絶命した。


 よろめくように立ち上がったティアヌは、目の前に転がった異様なものに視線を吸い寄せられた。


「こいつは……いったいどこから?」


 戦っていた狼たちよりひと回り大きく、いびつだがかなり五種族に近い外観をしていた。顔に刻まれた恐怖の表情を見ても、それが獣と呼ばれるものであるとは思えなかった。


「それは『擬似人狼ワーウルフ』って呼ばれている、魔獣の上位種よ。今までにも群れを統率して旅人を襲わせていたの」


 ティアヌの耳に届いたのは、明瞭な発音の大陸公用語であった。言葉と同時に、ひと組の人間族の男女が森の木々の向こうから現れる。


「ワーウルフ?」


 ふたりの出現に驚きながらも、ティアヌは思わず聞き返した。敵味方を考えるよりもまず、好奇心のほうが勝ってしまったのだ。彼の隣に立つ少女は武器を下ろしていたが、警戒するような眼差しをふたりに向けている。

 

「そう。魔獣が野生の狼の群れを操っていたのよ」


 若い娘のほうが口を開いた。手に意匠の凝らされた美しい長杖スタッフを携えており、朝の太陽を思わせる明るいオレンジ色の瞳をしていた。


 連れの若い男のほうは背が高く、落ち着いた眼差しと、気品が感じられる端正な顔立ちをしている。剣も戦斧も腰に帯びておらず、鎧の類すら身に着けていないが、受ける印象は戦士のそれだ。


 このふたりに助けられたことに思い至り、ティアヌはまだ礼も言っていないことを思い出した。


「えっと、助けていただいたようで、ありがとうございました。何と言ったら良いか……僕は故郷の森を出て日が浅いので、どうも世間の礼儀や挨拶がよくわからないので……」


 若い娘のほうが、にっこりと微笑んだ。裏表のなさそうな明るい眼差しを向けられ、ティアヌの警戒心が一気に氷解する。


「気にしないでください。それよりあなたがたは、どうしてこの村に?」


「わたしたちを疑っているのっ?」


 ティアヌが答えるより早く、傍らの少女が挑むように口を挟んだ。叩きつけるような鋭い口調を向けられても、相手の若い男女は顔色ひとつ変えなかった。落ち着いた口調で言葉を返す。


「いいえ。あなたたちじゃないって、わかっていますから」


「何故そう言いきれるの?」


 さらりと答えた娘の言葉に、いぶかしんだ少女が言葉を返す。


「ちが、ちがう。このひとたち、なしです」


 長身の青年の足もとから、幼い子どものような声が聞こえた。見れば、ミルク色の小さな生き物がおずおずと前に進み出ている。


「トット族……?」


 少女が激しく戸惑い、琥珀色の眼をその生き物に向ける。


「ああ、わかっているよ、マウ」


 ミルク色の生き物に見上げられた青年が、かがみこむようにして視線を下げ、優しい微笑で応えた。そして顔を上げ、無残な村の有様を青い瞳に映して表情を厳しく引きしめる。


「ひどいことを。家屋のみを焼いたあとすぐに火を消したようだ。森に火が移らないようにしたんだな……。村だけを確実に全滅させておいて」


「そうね。マウの言う通り、相手は火の精霊魔法に長けたエルフ族で間違いなさそう。おそらく四体以上の『火蜥蜴サラマンダー』を召喚したんだわ」


 周囲に視線を走らせ、稀有なる色彩をもつ目を狭めた娘が、彼に同意した。


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