破滅の剣 5-3 森の中の出会い

 狼の、無駄な肉のない引き締まった体躯が宙を跳ぶ。むき出した牙は獲物を前にした昂揚でぬれぬれと輝き、闇色に縁取られた口蓋は、まるで血でもすすったばかりのような赤だ。


 眼前まで迫った一匹に指を突きつけ、ティアヌが力ある言葉を短く叫ぶ――。


「ヴォルト!」


 いまにもティアヌに喰いつかんと顎を開いていた狼が、空中で弾かれたように吹き飛んだ。喉奥から頭蓋に衝撃が抜けたのだろう、獣の魂消える悲鳴が細く陰惨に響き渡る。その仲間を踏み越え、次に飛びかかってきた狼も同じように後方へと吹き飛ばされた。


 風の属性を持つ『気弾』の魔法だ。一度呪文を完成させておけば、気力尽きるまで何発も連続で撃つことができる。エルフ族に伝わる初歩的な魔術のひとつだ。


 弓を構えた少女は、最初に襲いかかってきた狼に素早く矢を放ち、正確にその眉間を射抜いた。そして目にも留まらぬ速さで次矢をつがえ、放つ。狙いは正確であり、さらに速射の腕にも長けているらしい。


 だがやはり、それでも狼のほうが数が圧倒的に多い。矢を四本射たところで少女は弓を捨て、腰の後ろに留めてあったさやから短剣ダガーを抜き放った。喉もとに迫った狼を身をひねってかわし、流れるような動きでダガーを振るい、突き、斬りつける。


 まるで舞い踊っているかのような、美しく見事な動きであった。腕を振り上げようとも足を踏み変えようとも、決して全体のバランスが崩れることがない。あまりに洗練された技の連続は脈々と伝えられた伝統の舞さながら、選ばれし者のみが継承してゆく特別な剣技のよう――ティアヌの視線は少女の動きに強く惹きつけられた。


「油断しないで!」


 少女の鋭い叱咤の声が飛ぶ。すっかり少女の動きに魅せられていたティアヌは、はっと我に返り、目前に迫っていた狼に気づいた。


 慌てて体をひねるが、鋭い牙先に手の甲を深くえぐられてしまった。


 視界にパッと赤い雫が散り、激痛が脳天まで駆け上る。傷つけられたのだというショックに動きが鈍り、あっけなく体勢が崩れた。そこへ、別の方向から同時に二体が飛びかかってくる。


 血の匂いに爛々と眼球を輝かせ、涎の滴る鋭い牙を剥きだした狼が目の前にあった。自分が喰いつかれのどを破られるさまが脳裏に浮かび、回避行動が遅れる――。


 絶望を感じる暇もなく牙の並ぶ顎が迫り、閉じられようとしたそのとき。


 少女が突っ込んできた。ティアヌの首に牙が突き立てられる寸前、その狼に自身の体をぶつけたのである。少女に押しやられた狼の顎が、ティアヌの首から僅かに逸れた場所でガツリと閉じられる。


 死角から迫っていたもう一匹の狼を巻き込み、勢い余った少女が地面を転がった。ティアヌは呆けたようにこの光景を目で追っていた。


「何ぼやっとしてるのよッ!」


 少女は転がりながらも大声でティアヌを叱りつけたあと、素早く体勢を立て直した。起き上がろうと前脚で地面を引っ掻く狼の腹に容赦なく貫き、完全に絶命させる。その隙に跳躍したもう一体の狼は逃してしまった。


 少女はティアヌの傍に駆け寄り、彼の背中に自分の背中を合わせるように立った。後方から跳びかかられることのないよう、死角を消したのだ。明らかに実戦慣れしている。


 狼たちの数は半分に減っている。仲間を倒され、餌であったはずの獲物の思わぬ戦闘力にようやく気づいたかのようだ。


 ふたりから距離を取り、取り囲むような位置で凄まじい唸り声を響かせる。一撃必殺の攻撃チャンスを探るように、大地に鋭い鉤爪を喰い込ませ、油断のない眼で獲物をめつける。


 背を合わせたまま呼吸を整えながら、少女がティアヌに尋ねた。


「あんたって、もしかして実戦ははじめて?」


「す、すみません」


 言葉通り、心底すまなそうにティアヌが謝った。


「はじめてです。まさか、ここまで遅れをとってしまうとは――」


「謝るのはあとにして」


 少女の口調は厳しかったが、相棒を励ますような響きが感じられる声音でもあった。


「まず、こいつらを何とかしないとね。あんただって死にたくはないでしょう?」


 ティアヌは無言で頷いた。だが背を向けているので相手に見えていないと気づき、言葉を発する。


「もちろんです。……しかし驚きました、あなたって強いんですねぇ」


 素直な気持ちを述べたつもりであったが、あまりに能天気な物言いだったのだろう、少女のあきれたような言葉が返ってくる。


「あんたのその調子、きっと死んでも治らないでしょうね」


 背中合わせの体勢なので、少女の表情は見えなかった。だが、かすかに微笑んでいるかのような気配が伝わってくる。こんなときだというのに、ティアヌは自分の心が浮き立つように感じられた。


 緊張がほぐれ、考えを巡らせるほどの余裕がようやく戻った。魔術師としての頭脳が働きはじめる。


「それにしても、妙ですね」


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