生命の魔晶石 3-4 襲撃

 上階へ向けて階段を駆け上がるテロンに追いつこうと、ルシカは必死に走った。


「テロン、気をつけて!」


 苦しい呼吸の中から声をかける。肌がピリッとするような嫌な感覚に気づいたのだ。敵が何を仕掛けているのかわからないが、容易に追いつかせるはずがないだろうと思われた。


 彼の隣で危険を見極めたかったが、彼我ひがの距離は一階層分だ。追いつけない――。


 ルシカの心配は当たっていた。テロンが最後の段を駆けあがった瞬間、それは起こった。


 彼の足元の床に突如、魔法陣が生じたのだ。床から巨大な影が凄まじい冷気とともに出現し、テロンもろとも宙へ跳び上がる。


 吹き飛ばされたテロンの体が、螺旋階段の手すりを越える――。


「くそっ!」


 とっさに体勢を整えて衝撃を逃したテロンは体をひねり、かろうじて手すりを掴んで落下を免れた。


「テロン!」


 テロンが腕に力をこめて体を引きあげたところに、ルシカがようやく駆けつける。


「何だ、あれは」


 彼を吹き飛ばした巨大な影は、大蛇のように長い体を広間の壁にぶつけながら体の向きを変え、階下で戦う兵士数名と闇の幻獣を下敷きにしながら広間に降り立った。


 ジャアアアアァァッ。


 ふたりに向かって威嚇するように、巨大な顎を開いて凍てつくようなきらめきとともに冷たい息を吐いた。


「『氷竜』……!」


 ルシカが息を呑むように言葉を発し、新たな脅威の姿を凝視した。幻精界に住まう、氷の属性を持つ足のない竜である。


 おそらく、階段をのぼりきったところに『封魔結晶』が仕掛けられていたのだろう。用意周到な敵のトラップに、テロンは舌打ちした。


 氷竜は首をもたげ、巨躯をねじ込むようにして螺旋階段の柱に巻きついた。ルシカとテロンが立っている場所目掛けて突っ込んでくる。


「こんなところで足止めを喰うわけにはいかない!」


 テロンは構えながら低く言った。ルシカが頷き、『万色の杖』を眼前に構える。


「テロン、お願い」


「わかった」


 短い言葉のやりとりだけで、ふたりの意思は通じた。ルシカの魔法行使のための準備時間を作るため、テロンの全身を金色の光が包み込む。


 ふたりに迫った氷竜が、巨大な顎を開いて噛み砕こうと仕掛けてきた。『聖光気』をまとったテロンが、その鼻面を容赦のない力で殴りつける。


 彼が戦っている間、ルシカは自身の魔力を集中させはじめた。





「何だ、今のは」


 クルーガーは自室で読んでいた本から目を上げた。足元から響いてきた衝撃音に気づいたのである。


「王宮内で何かあったか?」


 ヴァンドーナから贈られた魔力を帯びた長剣をさやごと掴み、クルーガーは廊下に飛び出した。慌しく駆けてきた兵士に、何が起こっているのかと訊くと、兵士は緊迫した口調で答えた。


「侵入者です! 見たこともない魔法の獣を多数従え、こちらに向かっているようです」


 クルーガーはそれを聞き、父王の私室に向かって走り出した。


 駆け込んだ室内には、ファーダルス王が自ら宝剣を手にして立っていた。クルーガーが着いてすぐに、ルーファスと近衛兵たち六人が走り込んできた。


「何が起こっている」


「賊が侵入しました。並みの者ではありません。王宮内に、召喚した複数の幻獣を解き放ち、我が兵と交戦中です」


 王からの問いに、騎士隊長ルーファスが厳しい表情で報告した。


「王宮東の図書館棟では炎に身を包んだ魔神らしきものが現れ、現在ヴァンドーナ殿とダルメス殿が交戦中とのことです」


「テロンとルシカは?」


「兵たちの報告ではわかりません」


 ふたりの行方についてクルーガーがさらに問おうとしたとき、バン! と音を立てて扉が開かれた。兵たちが抜刀し、王をかばうように構えながら前に出る。


「何者だ」


 人影の見えぬ扉の先に向け、ファーダルスが鋭く問うた。


「別に貴方の命をいただくわけではありませんよ、国王陛下」


 大胆不遜な声がして、開け放たれた扉からふたりの人物が王の私室に入ってきた。近衛兵たちが床を蹴り、ふたりの男との間合いを詰める。


 ヴンッ! 音が空間を駆け上がるような振動が奔り、兵たちの足元に突如として赤い光の魔法陣が現れた。


 次の瞬間、魔法陣から鞭のようにしなる細長いものが飛び出した。兵たちを物のように弾き飛ばしたのは、赤黒い触手のようなものだった。魔法陣の中央に開いた穴からずるりと這い出し、それぞれが独立した生き物のようにうごめいている。


 飛ばされた兵士たちは天井に叩きつけられ、落ちて動かなくなった。


「ぬっ!」


 騎士隊長は鞭がしなるように覆いかかってきた触手を一閃いっせん、断ち斬った。


「ほう……。魔法剣とは、さすが魔導と繋がりのあるソサリア王国」


 抜き身の刃が燐光めいた光をまといつかせているのを見て、侵入者の片方がくぐもった声を発した。


 ルーファスの剣は、魔法を帯びた特別な長剣である。魔法陣から現れた触手は、魔法的な存在であった。おそらくは幻精界から引きずり出されてきた幻獣なのだろう。魔法を帯びた武器でなければ、断ち斬ることはもちろん攻撃することすら叶わなかっただろう。


「魔法を使っているのは、背後の男だ。詠唱なく魔法陣を出現させたのだ、魔導士に違いない」


 クルーガーも自身の剣を抜いている。彼の剣も魔法を帯びた業物であった。ルシカと一緒にいるおかげで、魔法に対する彼の知識は幅広いものになっている。長杖に嵌め込まれている黄色の魔石は、『召喚』に属する魔法の増幅に使われるものだ。


 魔導士は、敵対すれば怖ろしい相手となる。目の前に立つ男の放つ気配にも、得体の知れないものを感じる。


 だが、ファーダルスは気圧されることなく対峙していた。


「平和な時代とはいえ、剣の腕を鈍らせているつもりはない。何が目的かは知らぬが、そう簡単には行くまいぞ」


 王は低い声で相手に告げた。


「さて、それはどうだろうね」


 皮鎧の男はにやりと笑ったらしい。頭部全体を黒っぽい布で覆っていたが、布の隙間から黒い瞳をした両眼が鋭くこちらをめつけている。その背後に立つ魔導士は、すっぽりとフードをかぶり、丈の長い闇色の衣服で、どんな顔をしているのかすらわからない。ただ、長身と動きから人間族の男であることが判別できるのみ。


 魔導士が杖先で床を打つと、一斉に触手の猛攻が開始された。


 ファーダルス、ルーファス、そしてクルーガーは必死に剣を振るった。


 だが、斬り捨ててもまた次の触手が召喚され、いっこうに減る気配はない。増え続ける触手は、何故かクルーガーを執拗しつように狙っているのだった。


「殿下……!」


 そのことにルーファスが気づいたが、複数の触手が彼を阻んで、援護に動く隙もなかった。


「ならばっ」


 ルーファスは腰の後ろに留めつけてあったもうひとつのさやから小剣を抜き放つと同時に、投げた。魔法の中断を狙ったのだが、『召喚』の魔導士の顔を貫く前に、その前にいた皮鎧の男が素早く長剣を抜き放ち、ルーファスの小剣を叩き落した。


 金属と金属のぶつかる凄まじい音が鳴り響く。


「狙いは悪くないが、そうはいかん」


 皮鎧の男が不気味にわらう。ついに触手の一本が、クルーガーの腕に絡みつき、長剣を奪い去った。別の触手が彼の腰に、足に、首に、胴に絡みつき、動きを完全に封じる。


「クルーガー!」


「殿下!」


「しまった……う……ッ!」


 容赦のない触手の力で首を絞められたクルーガーは、意識が遠のくのを感じた。離れた場所で彼の剣が床に落とされ、硬い音を立てる。それを聞いたのを最後に、クルーガーの意識は暗転した。


 触手はぐったりしたクルーガーの体を持ち上げると、魔法陣に吸い込まれるように戻っていった。息子の名を呼びながら腕を伸ばしたファーダルスだったが、触手とともにクルーガーの姿も消え失せた。侵入者ふたりの姿も、すでにない。


 あとにはズタズタになった室内の惨状と兵士たち、一振りの魔法剣が床に残っているのみであった……。





 立て続けの詠唱で、苦しげな荒い呼吸を繰り返しているダルメスに、ヴァンドーナが手で合図を送った。


 それを見た老魔術師は気力を振り絞り、最後の攻撃魔法を魔神にぶつけた。力尽きたように後方へ下がる。


 魔神が苦痛に身をよじり、どうん、と地響きを立てて片膝をついた。


「今じゃ!」


 ヴァンドーナは素早く印を組み替え、結界を解くと同時に新たな魔導の力を行使した。


 『送還センドバック』の魔法である。召喚魔法のなかでも最上位ではないので、専門の魔導士でなくても行使することができる。ただし、上位幻獣である魔神が相手であった。


 ヴァンドーナは渾身の魔力を込め、注意深く組み上げた巨大魔法陣を発動させた。用意に時間はかかったが、仕上がりは完璧だ。


「逃がさんよ……!」


 魔神が暴れ、力を振り絞るように魔法陣の効果に対抗しようとしたが、ヴァンドーナの魔法は容赦なく魔神を縛りつけた。巨大な体躯が、白と黄色のまばゆい光に包み込まれてゆく。


 グアァァァァァ……。


 魔神の咆哮が、小さく、小さくなっていく。やがてその姿が解けるように宙に消え失せた。本来存在している幻精界に還されたのである。


 図書館棟の内部に、歓声が巻き起こる。しかし、ヴァンドーナはそれに応える余裕はなかった。


「急ぎ、王宮へ戻る」


 複数の魔導行使にかなりの気力を消耗したヴァンドーナは、ふらりとよろめいた。だが、休息を取る時間はない。同じく立て続けに魔術を使い続けたことで倒れかけていたダルメスを文官たちに託し、ヴァンドーナは王宮へと向かった。


 だが、ヴァンドーナは理解していたのだ。もう、すでに遅かったのだと。





 濃くなる魔導の気配に気づいたのだろう、氷竜はぎょろりとルシカに視線を向けた。瞑目した小柄な魔導士の姿が、殺気を宿した巨大な眼球に映る。


「こっちだ!」


 テロンは大声をあげ、ルシカから氷竜の視線を逸らせた。冷たく鋭い尻尾に自身の腕を回す。気合いとともに力いっぱいに引き、馬の三倍はある氷竜の巨体を反対側の壁に投げつけた。


 揺るぎない石壁に叩きつけられた氷竜は凄まじい唸り声を発し、大広間の床に落ちた。掛けられていた巨大なタペストリーが傾き、落ちて氷竜の視界を塞ぐ。


「テロン!」


 ルシカの声が響いた。テロンに声をかけ、右足で床を踏むように動きながら頭上高く左腕を掲げた。白と黄色の光がルシカの眼前に出現し、同時に氷竜の頭上へ魔法陣が出現する。


 ヴァンドーナが行使した魔法と同じ『送還センドバック』であった。ルシカの魔法陣が弾けるように消えたあとには、氷竜の姿はなく、落ちたタペストリーと大広間の惨状だけが残った。


 そこへ、剣を握ったソバッカと神官衣のシャールが駆け込んできた。


「あっ、ソバッカさん!」


 気づいたルシカが、上層から声をかける。


「剣に魔法をかけますから、王宮内の幻獣を殲滅せんめつしてください。シャールさんは怪我人の救護をお願いします!」


 ルシカは階上からの距離をものともせず、ソバッカの剣に『武器魔法強化エンチャンテッドウェポン』の魔法を行使した。階段を駆け上がって戻ってきたテロンとともに、最上階へ向かう。


 ふたりの背に、シャールが声をかける。


「神殿にはすでに連絡してあります! 至急こちらへ救護班を向かわせるということですから安心してくださいね!」


 傭兵隊長ソバッカは見事な剣さばきで、大広間に残った闇の幻獣を次々に斬り捨てていった。





「親父! 兄貴!」


 テロンは開け放たれたままの扉に気づき、急いで王の私室に駆け込んだ。そして彼の後に続いたルシカとともに、部屋の惨状に愕然としたのである。


「……テロン、無事だったか」


 ファーダルス王が宝剣を支えにして、よろめきながら立ち上がった。


「親父!」


 テロンが駆け寄り、父王を支えた。ルシカは素早く『治癒ヒーリング』の魔法を行使して王とルーファスの傷を癒したが、兵士たちは全員すでに事切れていた。


 ルーファスは半身を起こしたが、ファーダルスと同じく憔悴しょうすいした様子で部屋の一点を見つめている。


 ふたりの視線の先をたどり、眼を向けたテロンとルシカの表情が厳しいものに変わる。床に焼け焦げたような跡があり、光る白い線で書かれた魔法文字のメッセージが残されていた。


「――王子の片割れはこちらの手中にある。古代宝物『生命の魔晶石』と『万色』の魔導士、このふたつと交換だ。……そう書いてあるわ」


「兄貴が……。何てことだ……」


 侵入者によってクルーガーが連れ去られたのだと、テロンとルシカは理解した。無事なのかどうかすらも定かではない。


 だが、テロンは自分の胸を押さえた。


「兄貴は生きている」


 それは間違いない――直感だ。彼らは、双子なのだから。


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