生命の魔晶石 3-5 襲撃

「被害の状況を報告せよ」


 ファーダルスが重い口を開いた。


 執務室には今、国王ファーダルス、テロン、ルーファス、ダルメス、ソバッカの姿があった。兵士が報告書を読み上げるのを、王は眉間を指でほぐしながら聞いている。


「つまり侵入した賊は、陽動として図書館棟に『火の魔神』をけしかけ、王宮内に多数の闇の幻獣を放った。そして、狙いである王子を誘拐、交換条件を残してこの王宮から消え去ったと」


 うなる王に、騎士隊長は苦い表情で言葉を継いだ。


「王宮の警備体制を再構築する必要がありますな」


「賊が魔導士であること自体が、普通ではあり得ないことだがの……」


 ダルメスが、長く息を吐いて言葉を続ける。


「力ある魔導士が本気で国家を攻めてきたら、人間族はおろか五種族のどの国でも太刀打ちできるものではありません。魔導士は、味方であれば繁栄をもたらす大いなる天恵だが、敵となればこれほど恐ろしい存在はないでしょうな……」


 老魔術師の言葉に、ルーファスは腕をさすった。武術の心得があるとはいえ強大な魔法に関しては常人にも等しい。考えるだけでも背筋が冷たくなる話だった。


「ヴァンドーナ殿やルシカ殿が友人で良かったですなぁ」


 ソバッカが大仰に溜め息をついてみせる。あのふたりは決して敵にはならない存在だからと、一同が揃って安堵の息を吐いた。


「片方が魔導士であるのはわかったが、もうひとりの正体はわからぬままだな。剣の腕は相当なものだと確信しているが……」


 ファーダルスの言葉に、ルーファスが頷いてみせる。彼は、自分が投げつけた小剣を叩き落とした賊の動きを思い出していた。


「そやつがまっとうな生き物かどうかすらも、わからぬな」


 重々しい声に、部屋に詰めていた者たちは扉のほうを振り返った。そこには、大魔導士ヴァンドーナの姿があった。彼の後ろには、分厚い書物を腕に抱えたルシカが立っている。


 ルシカの姿を見て、テロンは何となくホッとした気持ちを感じていた。騒ぎのあとで姿が見えなかったので不安だったのだ――なぜなら、残されていたメッセージにあった交換条件には……。


「感じた気配に、何やら妙な魔力が混じっておったんじゃよ」


 ヴァンドーナが言い、執務室に入ってきた。祖父から視線で合図を受けたルシカは、テーブルの上に自分が抱えていた古い書物を置いた。


「『生命の魔晶石』に関する文献です。解読も済ませてあります」


 祖父に促され、ルシカは緊張した面持ちで語りはじめた。


「ご存知の通り、『生命の魔晶石』は二千年前に滅びたグローヴァー魔法王国が遺した五宝物のひとつです。魔晶石とは、純粋な魔力の結晶体のことです。まだ王国初期の頃、つまり今から五千年前になりますが、当時の五種族の王のひとり、竜人族のリバトリエが命じて作らせたものです」


 文献には、その膨大な魔力を必要とした宝物を作るのに、人間族や竜人族をはじめとして数万もの命が犠牲になったと記されていた。


「生命そのものを確実に元に戻するために、それだけの犠牲が必要だったようです。王はそれでも魔晶石の精製を実行した……愛する者を生き返らせるために」


 ルシカは語り続けた。


 『生命の魔晶石』は制御を失い、膨大な魔力を放出する品となってこの世界に顕現した。石の周囲にいるだけで傷は癒えるが、それ以上に肉体が育ち増殖し続けて、異形の生き物になってしまう。……それほどに強力なものとなってしまった。


 愛する者を生き返らせるという竜人王の願いは叶った。だがしかし、その秘術は別の命を犠牲にすることで完成する。願いが叶うと同時に、竜人族の王は帰らぬひととなってしまったのである。


 彼に仕えていた賢者ヴァイルハイマーがその事態を憂え、魔晶石を封印した。自らの魔力全てと引き換えに――。その封印結界の名が、今に伝わる『ハイマーの封印』であった。


「『生命の魔晶石』の在り処は、『終末の森』ということか!」


 驚きに、ダルメスが目を見開いた。


「それで彼の地は、それほどに歪んでいるというのか……」


「そこから『生命の魔晶石』を取って来いというのだな。魔導士がいるならば何故、自分たちで取ってこようとしなかったんだろう」


 テロンは納得いかないという表情で言った。彼の疑問には、ルシカが答えた。


「しようとはした、と思うの。でも封印の地に入り、無事に出てくるには『癒しの神』の神聖魔法を使うことのできる司祭クラスの者が。さらに、封印を解いて『生命の魔晶石』を手に入れるためには、全ての魔法を識り使いこなせるほどの力を持つ魔導士が必要となるの」


「それで……『万色』の魔導士が欲しいというのか。交換だなんて……クソッ」


 いつもの穏やかさを感じさせず、険しい表情のままテロンはソファーに背をドッと預けた。


 ヴァンドーナは表情を引き締め、その場に居る全員に視線を巡らせた。


「侵入した者たちがどこに居るのかわからぬ今の状況では、『生命の魔晶石』を手に入れることが最上の策じゃと思われる。陽動として攻撃を仕掛けてきたタイミング……わしらの行動を把握しておらぬ限り、あれほど都合よくこちらの戦力を分断することはできまい」


「つまり、こちらの動向を今も監視されている可能性があると?」


 ルーファスが視線を周囲に彷徨さまよわせた。全員が重苦しく沈黙する。


「……その魔晶石を手に入れる他、選択はないようだな」


 沈黙を裂き、ファーダルス王が苦々しげに言った。人質に取られたのは世継ぎであるだけでなく、今なお愛し続けている亡き王妃の宝であり、彼女の魂に護ると誓った息子なのだ。


「では、魔晶石を入手するために封印の地へ赴く者だが――」


「俺も行かせてほしい」


「テロン殿下ッ?」


 第二王位継承者からの発言に、彼の守り役でもあるルーファスが弾かれたように立ちあがった。


「何をおっしゃるのです! もしテロン殿下の身にまで何かあったら、このソサリア王国の未来をどうなさるおつもりですか!」


「どういうことだ。もう兄貴が戻らないと?」


 思わず声が大きくなったテロンを、父王が制した。


「テロン。ルーファスには、彼の立場だからこそ言わねばならぬ言葉もあるのだ」


 幼い頃から双子の王子を見守り続けてきたルーファスが、クルーガーの無事を案じていないはずがない。……それはテロンにもよくわかっていた。見ると、ルシカが心配そうな眼差しで彼を見つめているのに気づいた。


「すみません。言い過ぎました」


 テロンは素直に謝り、立ち上がりかけていた椅子に再び座り込んだ。そのとき、静観していたヴァンドーナが、静かな声音で口を挟んだ。


「迷っているときには、自分の心に従えばよい。そうは思わぬかの?」


「ヴァンドーナ殿……」


 ルーファスがため息をつく。彼は、王国の恩師である魔導士に恨みがましげな視線を向けたが、ヴァンドーナはすでにあさっての方向に視線を向けていた。


「ソバッカ。そなたの娘はファシエル神殿の次期司祭候補であったな。相応の実力も知識も信仰心もある、と聞いたが」


 ファーダルス王が、傭兵隊長に向けて問うた。ソバッカが頷く。


「では、封印の地に赴く人員は、ルシカ、ソバッカ、ファシエルの神官シャール、そして……テロン」


 うつむいていたテロンが、弾かれたように顔をあげる。


「もうすぐ夜が明ける。急ぎ、旅の仕度を整えよ」


 ファーダルス王の言葉に全員が頷いた。ルーファスは最終的に王の判断に従う。彼にはすでに否やはなかったが、ヴァンドーナとテロンに向けた眼差しの奥にははっきりと不服であることが刻まれていた。


 ふと、テロンとルシカの眼が合う。


 ――大丈夫、きっと何とかなる。ううん、してみせる、だね。


 テロンの胸に、ルシカの心の声が届いたような気がした。彼の視線を受け止めたルシカはにっこりと微笑み、祖父の後ろについて部屋を出て行った。





「親父」


 テロンは執務室に残って、窓の外に眼を向けて立ったままの父王の背に声をかけた。


 窓の外には『千年王宮』の白亜の城壁、そして王都の街並みが広がっている。夜闇の中に浮かび上がる灯と街の明かりが連なり、その遥か向こうには黒々としたゾムターク山脈の連なりがある。


 その中でひときわ天高く突出している影が、最高峰ゴスティア山だ。山頂付近にはまだ雪が残っているはずだが、黒から淡い青に変わってゆく夜明け前の空を背に、今はただ塗り籠められたような闇色のシルエットになっている。


「テロン」


 ファーダルスは疲れたような口調で息子の名を呼んだ。


わしは……ルシカの父ファルメス殿と、母フィーナ殿のことを考えていた」


 窓に向き合ったまま紡がれる父の言葉を、テロンは黙って聞いていた。


「有能で信頼できる家臣であったが、何よりかけがえのない友人でもあった。心優しく、他人のためなら危険にも飛び込んでゆくようなふたりであるが故に……ラムダークとの和平が危うくなったとき、自分たちの危険もかえりみず出向いていった」


 ルシカが幼くして両親を失うことになってしまった、船の事故のことを言っているのだろう。表向きは事故ということになっているが、真実は違う。同盟の復活を望まない者たちの手によって、ルシカの両親は外洋の底深くに沈められてしまったのだ。


「儂が行かせたばかりに……ふたりを犠牲にしてしもうた……。そして今また、その娘をあえて危険の中に送り込もうとしておる」


「親父……」


 ファーダルスは振り返り、息子を真っ直ぐに見つめた。


「テロンよ、ふたりの娘を――ルシカを護ってくれ。おまえにこのようなことを頼む資格はないかもしれぬが……」


「親父」


 テロンもまた父の目を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりと応えた。


「俺は、ルシカを護る。親父に言われたからではなく、自らの意思で。そして、必ず兄貴も無事に連れて戻ってくる」


 ファーダルスは目を細めて息子を見つめ、無言のまま深く頷いた。


「行ってくるよ、親父。王としての立場もあるのに、許可をくれてありがとう」


 テロンは父に感謝の眼差しを向け、くるりと背を向けた。


「……王であるより前に、大切なことは多くあるのだ。為さねばならぬことを各々おのおのが遣り遂げるしかない。だが、無事で帰ってくるのだぞ、息子たちよ……」


 黎明れいめいの空を見上げたあと、ファーダルスは深く瞑目し、旅立つ者たちの無事を祈った。


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