生命の魔晶石 3-3 襲撃

「よう、今日はもう上がりか?」


 背後からかけられた声に、王宮の正面門の門番は苦笑しながら振り向いた。


「交代なら、あとで一杯付き合えよ」


「不良魔術師め」


 門番の男は笑いながら、目の前の魔術師見習いの男を押しやった。


「明日ならいいぜ。今晩はずっと勤務なんだ」


 闇空に月のない夜だったが、王都のあちこちに『光球ライトボール』の魔法で生み出された灯りが設置され、どの通りも歩くのに困らないには明るかった。


 宮廷魔導士が就任してから半年、今魔術を習うのが流行りになって、この王都ミストーナの魔術師人口は急激に増えた――門番である彼の目の前に立つ、若い友人のように。


 王宮は、今日も静かで平和な夜を迎えていた。


 ……その時までは。


 何かが弾けるような、乾いた音が次々と響き、門番と魔術師見習いのふたりは驚いて周囲を見回した。門の前に、いつの間に来たというのか、闇のように黒く丈の長い衣服を着けた人影が出現している。


 黒髪のその人物の手には、背丈ほどもある杖が握られていた。先端には黄色の魔石が輝いている。その者は、胸の前に突き出した両腕を交差させるように動かした。


 刹那、青い光が周囲を飛び交い、空間が歪んだ。ひとの背丈ほどもある魔法陣が、幾つも現れる。


 ウゥガウウガガウッ!!


 それら全てから、獣のような影が飛び出し、門周辺の灯りを次々と破壊した。魔法の光が弾け飛ぶ高く澄んだ音が響き渡り、周囲が闇に沈む。


「何だっ、何が起こったんだ!?」


 魔術師見習いの男は、叫んだと同時に、頭部を吹っ飛ばされて地面に倒れ伏した。


 門番の男はガクガクと震えながら、目の前に静止した影と対峙していた。


 その姿は狼にも似ていたが、人間族の倍以上はある体躯、鋭く長い牙がずらりと並ぶ口蓋は、ただの獣でありはしない。赤々と燃える二対の目が、門番の男を見据える。


「ひっ、ひいっ。だ、誰か――!」


 叫び終わる前に、肉片へと変えられてしまった。


「平和というぬるま湯に浸けられた人間族など、ちょろいものだな」


 杖を持った人影の背後に、もうひとつ、人影が現れる。


「さて、おっぱじめるか」


 声をかけられ、杖を持つ男は黙って頷いた。杖の先端の黄色い魔石が輝きを増す。周囲を、青と黄の光が走り踊る。それらは複数の魔法陣を描き、ひとつひとつから先程と同じ影が飛び出した。


「さあ、行こう、タナトゥス。我らが目的はこの中だ」


 背後から来た人影は、黒い皮鎧を身に着けていた。腰に提げているのは、黒く塗られた長剣である。杖を持つ男を追い越し、王宮に踏み込んだ。


 途端に、甲高い音が鳴り響く。


「警告のための結界を張ってあるのか。まあ無駄だが」


 皮鎧の男は不敵に口の端を引き上げで笑い、黒塗りの長剣を引き抜いて、背後の男に声をかけた。


「放て」


 その声を合図に、獣のような黒い影は王宮になだれ込んでいった。





「これは……!」


 北の庭園から急ぎ戻ってきたテロンとルシカは、目の前に展開されている光景に驚いた。普段の、美しく静かな王宮の気配は微塵もない。


 王宮の建物内に入ったときにはすでに、混乱と喧騒のさなかにあった。抜き身の剣を手に、兵たちが走り回っている。


「敵の姿は見えないが……いや、気配がある。あそこだ!」


 テロンは回廊の柱の重なる向こうに動いた黒い影を指差した。ルシカがオレンジ色の瞳を狭め、素早く位置を変えている相手の正体を見極めようとする。


「『闇の幻獣』に間違いないわ。でも、いったいどこから……」


 テロンとルシカの声を聞きつけたのだろう、ひとりの兵士が振り返った。


「テロン様、ルシカ様! 襲撃ですッ!」


 その兵士の前に迫る幻獣。兵士は前に向き直ると同時に剣を振るったが、相手の獣は傷ひとつ負うことはなかった。仰け反るように身をかわした兵士の横をすり抜け、幻獣は床を蹴って方向を転じた。


「今、魔法を!」


 ルシカは右手で『万色の杖』を掲げ、左手をぐるりと回すようにして魔法陣を完成させた。『武器魔法強化エンチャンテッドウェポン』の魔法を行使する。


 見える範囲にいた兵士たちの手にしている武器全てが、次々と青く細かなきらめきをまとう。その瞬間から、兵士たちの武器に触れた幻獣たちの体躯に傷が生じた。


 仮そめに与えられた一時的な魔法効果だが、通常剣の攻撃が通じない魔法的な存在にも攻撃が通用するようになる。複数同時に、しかも広範囲にこの魔法を行使できるのは、ルシカが『万色』の魔導士だからだ。


 形勢は、一気に逆転した。攻撃が通じるようになれば問題はなかった。十分な訓練を受けた兵士たちである。連携の取れた動きで、回廊内を荒らし回っていた幻獣を追い詰めていく。


「ありがとうございます! ここは我々に任せてお進みくださいっ」


 兵士たちが次々に、テロンとルシカに向けて叫ぶ。


「魔導士と思われる侵入者がふたり、広間の螺旋階段に!」


「なにッ!」


 それを聞いたテロンは、顔色を変えて走り出した。広間の階段から伸びている通路は、王族の居室まで続いている。テロンに遅れまいと、後にルシカが続く。


「まさか狙いは陛下なの?」


「わからない!」


 ふたりは一気に回廊を駆け抜けた。ルシカは途中の兵士たちの武器に次々と魔法で力を与えながらも、前を走るテロンの背中を必死に追う。


 中庭の回廊を抜け、中央棟の大広間に入った。ここでも激しい戦闘が繰り広げられていた。


 付与魔法を行使しながら、ルシカは頭の中で考えをまとめていた。


「これほどの幻獣をひとりやふたりで操るなんて、魔導士でないと不可能だわ」


 立ち止まったテロンが螺旋階段を見上げ、隣に走りこんできたルシカに注意を促した。


「ルシカ、あそこだ!」


 吹き抜けになっている螺旋階段は、大広間から見上げることができる。上階に向けて階段を進む、ふたつの人影があった。高さがあるので種族すらも判別できないが、付き従うように動くほうが長杖を手にしているのが見て取れた。


「待て! おまえたちッ!」


 テロンは声を張りあげた。


 この隙に魔法で足留めができれば――ルシカが周囲に視線を走らせる。それで気づいた。テロンの背中に向けて、兵士と戦闘中であった幻獣の一体が飛び掛ってきたのだ。


「危ないっ!」


 ルシカが悲鳴のような声をあげる。だが、振り返ったテロンは素手で影をぎ払った。いや、よく見れば、テロンの全身が金色の陽炎かげろうのようなものに覆われているではないか。


「『聖光気せいこうき』を習得したんだ。幻獣と素手でも戦えるから、俺の心配はしなくていい!」


 胸を押さえて彼を見ていたルシカに向けて声をかけ、テロンは階段の上り口に走った。


 ルシカは呼吸を整え、その場で魔法陣を描き出した。宙に紡がれたかのように現れた眩い白光が、頭上の侵入者たちに向けて放たれる。光の攻撃魔法『衝撃光インパクトライト』だ。


 だが、ルシカの攻撃魔法は割り込んできた闇の幻獣に当たり、爆発した。幻獣は跡形もなく吹き飛んだが、侵入者たちはついに最上階まで到達してしまった。


「『召喚』の魔導で操っているんだわ」


 悔しげに見上げるルシカと、長杖を持つ者の視線が、ふいに交わった。その瞬間、ぞくりと肌が泡立つのをルシカは感じた。彼女を見つめる視線に、強烈な意思の力を感じたのだ。


 だが立ち止まっている暇はない。ルシカもまた階段に向けて走り出す。


 テロンはすでに、螺旋階段の半分ほどまで到達しているはずだ。敵に魔導士がいるのならば、彼だけにしておくわけにはいかなかった。


「テロン、陛下、クルーガー。無事でいて!」


 ルシカは祈るような思いで、必死に階段を駆け上っていった。





「ヴァンドーナ様、『火の魔神』です!」


「やはりか」


 文官からの報告を受け、ヴァンドーナは唸った。


「この残された魔法の気配、『封魔結晶』に間違いあるまい。仕掛けていたことを、このわしにも気取らせないとはな……」


 ヴァンドーナは今、身動きが取れずにいた。図書館棟を護るため、屋上に出て、建物全体に強大な結界を張っているのだ。


 凄まじい火炎の攻撃力をもつ幻精界の魔神により、建物のあちこちが燃えている。新たな攻撃を弾き、延焼を食い止めるための結界だ。


 建物内には古文書の整理と解読のため、文官をはじめとする多くの人間たちが残っていた。人命がかかっているだけでなく、各地から集められた貴重な知識や歴史までもが危険に晒されているのだ。


「ダルメス、魔神の気を引きつけてくれるか。他の者は怪我人の救護と消火作業に当たってくれ」


「承知した」


「はい!」


 指示を聞いた文官たちは、屋上から階下に降りていった。


 ダルメスは腰から外した護符アミュレットを足元に置き、長い詠唱を始めた。魔術師が魔法を行使するための力ある言葉が、朗々とした声で紡ぎ出されていく。


 足元の護符が、まるで折りたたんだ紙が広げられるようにぱたぱたと展開し、地面に赤く描き出された魔法陣として定着する。図書館棟の屋上に、ヴァンドーナの行使する魔導特有の青と緑の光の魔法陣と、ダルメスが用意した魔術行使のための赤い魔法陣が光り輝いた。


 対する幻精界の魔神は、五階建ての図書館棟を上回るほどの背の高さがあった。魔導の気配を放つ老人に憤怒の表情を浮かべながら、叩き潰してやろうと巨大な腕を振り上げ、図書館棟の建物に何度も打ちつけている。その苛烈な炎の打撃のほとんどを、魔導の結界が阻んでいるのだ。


 ダルメスの詠唱が完成した。


 鼓膜に響く音ともに頭上の空に大量の水が出現した。魔神に向け、横殴りの激しい雨となって降り注ぐ。雨どころか、まるで滝のようである。ジュウジュウと激しい蒸気が上がり、魔神が苦痛の叫び声をあげる。


「私もまだまだ衰えてはおらんぞ!」


 蒸気の上がる凄まじい音に負けないように、ダルメスが大声で言った。友人の元気な様子に、ヴァンドーナはニヤリと精悍な笑みをみせた。


「いいぞ。その調子で魔神の体力を奪い続けてくれ!」


 結界の効果を維持しつつ、さらに集中力を高め、ヴァンドーナは『減速スロウ』の魔法を魔神に向けて行使した。大魔導士と称されるヴァンドーナであろうとも、これが限界であった。


「……だが、策はある」


 ヴァンドーナは呼吸を整え、次なる魔導に向けて精神集中を開始した。けれど彼には、ひとつだけ気がかりがあった。


「こちらは陽動だ。真の狙いはあちらで間違いあるまい」


 友人の魔法による雨に濡れた目を上げ、視線を向けると、水煙の向こうに王宮の東の棟と中央棟が見えた。


「無茶はするでないぞ……ルシカ」


 祈るように口の中でつぶやく。少しでも早く決着をつけねばならない。隣に並び立ち、魔神に向けて攻撃魔法を繰り出している老魔術師の魔力が尽きる前に。


 そして、王宮で取り返しのつかぬことが起こる前に……。


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