万色の杖 1-10 戦闘

 テロンが床を蹴って跳躍した。裂帛の気合いとともに、魔神の顔面に向かって『衝撃波』を放つ。


 魔導士であるルシカの動向を注視していた魔神はふいを突かれ、唸り声とともに両眼をかばった。


 その隙を逃さず、クルーガーはテロンの背後から飛び出し、跳躍した勢いのまま長剣を突き出した。ソサリア王国騎士隊長も一目置く鋭い突きが、狙いあやまたず魔神の左腕にザクリと刺さる。


 ガアアッ!


 魔神が苦痛の声をあげた。ルシカの魔法でこの世ならざる相手にも通用するよう特別な力が付与エンチャントされた剣は、期待どおりの効果を発揮している。


 だが、並みの人間なら腕が動かなくなるだろう深い傷も、魔神の怒りを強くしただけのようだ。それがわかっているのだろう、クルーガーが床に降り立ちながら悔しそうに舌打ちをした。


 そのクルーガーを握り潰そうと動きを追ってかがみこんだ魔神の右眼を、ルシカの魔導の技『氷剣アイスダガー』によって生み出されたナイフのごとき氷塊の切っ先が狙う。外とは違い神殿の内部、しかも柱や瓦礫が積み重なる狭い空隙くうげきだ。窮屈そうに姿勢を低めた魔神はかなり狙いやすくなっていた。


 刺すような右眼球の傷みに我慢ならず、『闇の魔神』は怒り狂った。


「ちょこまかト動ク、チッぽけナ存在ドモメェェッ!」


 魔神が狙い定めた敵に一撃を加えようとすると、別の方向から他の敵が攻撃を仕掛けてくるのだ。特に魔導士が厄介な存在だ。二千年以上も彼を小さな石に閉じ込め、以前には彼を汚い用ばかり言いつけ、自分たちの手足のごとく使役させていた。


 彼は思う。何故に、目の前の魔導士はちゃちな攻撃魔法ばかり仕掛けてくるのか。彼を打ち倒すか、或いは封じてしまえば済むことなのだ。幻精界に還してくれれば願ったりだ。


「ソウカ」


 敵が与えてくる苦痛に顔を歪めながらも、彼はニタリと口もとを歪め、得心した。自分を封じ込めたグローヴァーとやらの魔導士たちは、すさまじく強大な力を持っていた。目の前の若い魔導士はまだ未熟なのだ。見るからに小さく、細く、あどけない。魔導士として、まだほんのひよっこなのだろう。


 全身を駆け巡る傷も痛みも、彼にとっては命に係わるにはほど遠い程度。しかも、僅かずつではあるが彼には再生能力もある。


 魔神はわらった。この、ひよっこどもには、我を倒すなど絶対に不可能だ!


 グオオオオォォォォオオォ!!


 魔神が吼えた。苦痛の叫びではない。背筋を走った冷たい予感に、ルシカはハッとして思わず動きを止めた。


 その瞬間、魔神から周囲に向けて圧縮された空気の塊のような不可視の力が放出された。まるで真横から鼓膜を殴られたような凄まじい衝撃の渦が、高温の烈風となって周囲のものを一瞬にして薙ぎ払う……!


 圧倒的な破壊力のあまり天井の大部分が粉々に砕け、深部から抜けた巨石が地響きを立てて幾つも落下した。壁にも大きな亀裂が走り、天井とともに崩落した箇所が幾つもある。壁際に身を潜めていたメルゾーンの手下たちのなかには、その下敷きになった者もいるようだ。


 メルゾーン自身は、ルシカたちが戦っていたときすでに割れた床石の間に挟まっていた。ようやく身を捻るようにして隙間から脱出したところだった。


 テロンとクルーガーは魔神に接近していたために衝撃をまともに喰らい、一気に壁まで吹き飛ばされた。後方の壁面に激しく叩きつけられ、そのままドサリと爆ぜ割れた床に落ちる。


 ルシカは咄嗟に防御魔法を使おうとしたが間に合わず、凄まじい勢いで吹き飛ばされた。


「むぎゅっ!」


 そこに丁度、メルゾーンがいた。魔術師に衝突したルシカの体はそれでも勢いが止まらず、かなりの距離を転がった。


「き……貴様ぁっ」


 衝突されて倒れたメルゾーンが、騒々しくわめきながら飛び起きる。


「ふ、不意打ちとは! 卑怯だぞ!」


「……ゲホッ、ゲホゲホ……。狙ってやっているわけないじゃない」


 ルシカはよろめきながらも身を起こした。呆れを通り越して、腹が立ってしまうほどだ。少女は、いい歳をした魔術師の男に毒舌をぶつけた。


「でもいいクッションになったから、感謝しておくね」


「わ、私に何か恨みでもあるのかぁっ」


「……ないわけ、ないじゃない」


 制止したのに聞く耳を持たず、あの魔神を解放したのはメルゾーン自身なのだ。だが、ルシカはそれ以上彼に構っていられなかった。ずきずきと痛む頭を手で支えながら、周囲を見回す。


「テロンっ! クルーガー!」


 なめらかであった石の床は見る影もなく無残な有様と化している。瓦礫の中に倒れているふたりの体は、衣服だけでなく皮膚までもが痛ましく傷ついていた。周囲に散っている血らしき色を見て、ルシカの顔が蒼ざめる。


 ルシカは戦いの場に戻ろうとした。テロンとクルーガーに『治癒ヒーリング』の魔法を行使するためには、距離が開きすぎている。だが、一歩を踏み出そうとしたルシカの視界が激しくぶれた。


 ガクリと膝をついたのだと理解し、体の内部に広がる強い傷みを感じて、自分もまた浅からぬダメージを受けていることに気付いた。口の端から生温かいものが伝うのを感じる。


「ルシカ、来るな!」


 腕をつき、身を起こしながらクルーガーが叫ぶ。そのクルーガーに『闇の魔神』が迫っていた。おそらく、踏み潰してとどめを刺すつもりなのだ。


 テロンは血が滴るのも構わず上体を起こし、立ち上がろうとしている。折れているらしい腕をついて体を支え、膝に、脚に力を籠める。


「テロン……!」


 彼は、あきらめていない。ルシカは華奢なこぶしを握り締めた。


 魔導士の少女は覚悟を決めた。その場で、魔法を行使するための精神集中を開始する。魔力を極限まで高めるのは、これが初めてだ。体がガクガクと震え出すのを感じる。彼女は構わず集中を続けた。


 テロン、クルーガーとの距離は、それぞれ二十歩以上も離れている。魔法を行使する対象としては遠すぎる。魔術師たちの使う魔法ならば、行使自体が不可能であるはずの距離だ。


 もしそれを可能とする存在があるならば、現生げんしょう界では『魔導士』をいて他にない。


 衣服の胸の隠しに入れておいた、祖父から託された魔晶石が温かくなるのを感じる。気のせいでも構わない――おじいちゃんも応援してくれている、今度こそ遣り遂げる!!


 ルシカは『生命』の最上位魔法『完全治癒パーフェクトヒーリング』を行使した。


 あたたかい白の輝きが空中を駆け奔り、ふたりの体の周囲に具現化された魔法陣――。生命そのものの光が周囲の闇を圧倒し、魔神すらも後方へと押し退けるほどの濃い魔力が吹き荒れる風のように渦を巻く。


 テロンとクルーガーの傷が塞がってゆく。流れ出ていた血は止まり、裂かれていた皮膚も、折れた腕も、急速に回復していった。


 ルシカは、意識が遠のくのを感じた。意識を失う寸前の危うい状況で、かすかに微笑む。


「あたし、やればできた……ね」


 ルシカは膝をついて顔を上げた姿勢のまま、ことんと横倒しに床に倒れた。やわらかな金の髪がふわりと広がる。


「き……貴様、ま、『魔導士』……だったのか」


 メルゾーンが少女を凝視したまま、呆然とつぶやいた。小生意気な『魔術師』の娘だと思い込んでいたのだ。魔術師と魔導士では、行使する魔法の規模も強さもすべてが異なる。最上位魔法は、魔導士でないと発動すら叶わない……。


 メルゾーンは自分が考えていたことがくつがえされて、動けずにいた。魔神が近づいているのに、だ。


「ルシカ!」


 ルシカが意識を失ったことで魔法陣が消え、我に返ったテロンが叫び、床を蹴って駆け出した。クルーガーも急ぐ。


 魔神は低い唸り声を発し、忌々しげに心の内でつぶやいた――未熟であっても魔導士、ということか。


 闇の魔神は腕を振り上げ、素早く床もろとも眼前の空間を薙ぎ払った。テロンもクルーガーも間に合わなかった。


 すさまじい衝撃が床を一直線にはしり、背後の壁までもが吹き飛んだ。傍に立ち尽くしていたメルゾーンがあおりを受け、床に倒される。


 魔神の攻撃を向けられたルシカのほそやかな体は木っ端のように弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。鮮血が飛び散り、壁を、瓦礫を染める……。


 すでに意識を失っているルシカは、悲鳴すらあげることなく伏せるように床に落ちた。その胸元から、光がひとつ転がり出る。


 祖父から託された魔晶石だ。それは一瞬、すぅっと光を失ったかに思えた……次の瞬間。目もくらむほどの膨大な光の本流が放たれた!


 神殿全体が、まばい光に満ちあふれる。水晶柱の中の杖と、魔晶石がその光の根源であった。


 不意を突かれた『闇の魔神』は凄まじいまでの光に瞳を貫かれ、両眼を押さえるようにして苦しそうに身をよじった。


「ルシカ……ルシカ!」


 テロンが叫び、視界を奪われながらも少女のもとに駆け寄ろうとした。そのとき、すさまじい破砕音とともに、水晶の柱が崩壊したのである。


 破片が周囲に散らばり、澄んだ落下音を幾つも響かせる。まるで様々な音が鳴り響き、燦然と光り輝く音楽、古より伝わる魔導の歌を奏でるように――。


 水晶柱という封印から『杖』が解放されたのだ。


 蔦が絡まるかような先端の装飾部分が、ゆるゆるとほどけるように広がってゆく。同時に、床に転がったルシカの魔晶石が、何の支えもなしに宙に浮かび上がる。


 光と光。滑るように空中を渡った魔晶石と杖は、ひとつになった。先端の蔦が魔晶石を迎え、巻き絡まって、しっかりと固定する。蔦は優美な意匠を凝らしたようなしかるべき形に落ち着いてゆき、杖は本来の姿を取り戻した。


 『万色まんしょくの杖』である。


 グローヴァー魔法王国が伝え遺したとされる、大いなる宝物。すなわち、万色の杖、生命の魔晶石、破滅の剣、従僕の錫杖、歴史の宝珠という五宝物の、ひとつであった。


 まばい光はしずまるどころか、ようやくひとつに揃ったよろこびを歌いあげ、脈動する魔導の力を確かめるように、強く、強くなってゆく……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る