万色の杖 1-11 継承

 ルシカはぬくもりに満ちた空間で夢見心地のまま、うっすらと目を開いた。


 どこからか滔々とうとうと溢れ出てくるような光があり、少女のからだを優しく包み込んでいる。護られている、という感覚があった。


「あたし……死んだ、のかな?」


 ルシカは思わずつぶやいたが、そうではない、と直感が告げている。


 まだズキズキと残っていた体中の傷みが、潮が引くように、氷が溶けるように消え失せていった。再び動くようになった体を捻るようにしてひじをつき、顔を上げて光の根源に両の瞳を向ける。


 そこには、ひと振りの杖があった。


 その杖は周囲に膨大な光を発し続けていたが、不思議なことに、ルシカはまぶしいと感じることがなかった。オレンジ色の稀有なる瞳で光を受け止め、杖から視線を離さぬままゆっくりと立ち上がる。体を動かしても苦痛を感じることはなかった。


 戸惑いながらも、ルシカは光に惹かれて静かに歩み寄った。何の支えもなく空中に浮いたままの美しい杖の前に立つ。彼女はおずおずと腕を伸ばし、しっかりと杖を握った。


 その途端、放出されていた光が収束するように、杖の先端の魔晶石の内側へ収まってゆく。光は、様々な属性をもつ生命の魔力マナそのものであった。


「……『万色の杖』……」


 何ものかが心を通じ、杖の名をあるじたる少女に伝えた。杖のもつ魔力の脈動は少女の魔導の力に同調し、杖そのものはぴたりと手のひらに吸い付くように馴染んでいる。


 全身に負ったはずの傷は、完全に癒えていた。


「ルシカ!」


「ルシカ……!」


 同じ響きをもつ力強い声がふたつ、耳に届く。テロンとクルーガーが、ルシカの傍に駆け寄ってくるところであった。


「怪我はないか。無事なのか」


 傍に来るやいなや、テロンが彼女の顔を覗き込むようにして心配のあまり必死の表情で尋ねた。


 何事もなかったかのように真っ直ぐに立っているルシカに、クルーガーも心配そうな、戸惑うような視線を向けている。


「無事って……何が?」


 何事もなかったかのようなルシカのいらえに、ふたりの青年は思わずよろめいてしまう。ルシカが慌てて『治癒ヒーリング』の魔導の技を行使した。「いや、そういう訳ではないのだが」とつぶやくクルーガーの顔を、ルシカはきょとんとした表情で見上げる。


「とにかく、君が無事ならいい」


 テロンが息をつき、無意識にルシカの肩を掴んでいた自分の手に気づいて姿勢を戻す。


 先ほどの爆発的な白い光を浴びたからか、魔神は焼かれたあとのように全身からうっすらと煙を立ちのぼらせていた。凄まじい形相をしてルシカたちをめつけている。


 グゥゥルルル……。


 『闇の魔神』は怒りと同時に、激しい戸惑いも感じていた。ちっぽけな魔導士は、死んだのではないかというほどの傷を負ったはずだった。信じがたいことだが、そんな様子は微塵も残されていない。しかも、先ほどとはまったく気配が違うのだ。


 まるで少女の小柄な体全体が、内より溢れる魔導の力で光り輝いているようだった。自身が感じている感情が『恐怖』であると思い至ったことは、幻精界の上位種に属している魔神にとっては、屈辱にも等しかったのである。


 魔神は再び腕を振り上げ、目の前の事実を否定するかのように叩きつけようとした。だが、魔導士の少女のほうが僅かに早かった。


 振り上げた腕ごと、魔神の右半身が凍りつく。それが瞬時に組み上げられた魔法陣による『空間凍結フリーズエア』であると理解した次の瞬間、まばゆく輝く光球がその腕に衝突した。


 千切れこそしなかったものの、魔神は激しく混乱して動きを止めた。


「できた……。十分な集中ができなかったから威力は小さいけれど……」


 ルシカは魔法陣を描いた腕を宙に留めたまま、ぽかんとして目の前の光景を見つめていた。光の属性をもつ『衝撃光インパクトライト』。どちらも魔導の最上位魔法であった。


「威力が小さいって……あれでそうなのか?」


 テロンが呆気に取られたように言った。凄まじかったはずの魔神の力を明らかに圧倒している。


「ルシカ。今の魔法はその杖のおかげか? いったい……」


 クルーガーが魔神の動向から目を離さないまま、訊いた。


「魔法の理そのものは習得していたの。今までは魔力の制御がどうしてもできなくて……。でも、この『万色の杖』をおかげでコントロールできるようになった。おじいちゃんの手紙にあった『必要になるもの』って、これのことだったみたい」


「『万色の杖』だって?」


 驚いたテロンが訊き返す。たとえ子どもであろうとも昔語りとして、または知識として知っているほどに有名な宝の名前なのだ。グローヴァー魔法王国の遺した大いなる遺産、ひとびとが捜し求める『五宝物』のひとつであった。


 ルシカは言葉を続けた。


「封印の鍵は、おじいちゃんから託された魔晶石だわ。封印を解いたことで内側から崩れて、あんなに頑丈そうで壊れることのなさそうだった水晶柱が――」


 ルシカはそこで言葉を切って、次の瞬間叫んだ。


「そうだわ!」


 魔神を警戒して神経を張り詰めていたテロンとクルーガーが、心底驚いたような目をしてルシカを見た。


 ルシカは想いを籠めた眼差しで、ふたりの瞳を交互に見つめる。


「テロン、クルーガー。あたしに考えがあるの」


 ルシカは声をひそめ、自分の思いつきをふたりに語って聞かせた。ふたりがしっかりと頷いてくれたので、ルシカは右手に『万色の杖』、左手に『水晶柱』の欠片を持ち、低く構えた体の前でゆっくりと両腕を交差させた。息を吸い、吐いて、心を落ち着かせる。


 これから行使しようとしている魔法の詳細を、丁寧に頭のなかに思い描き、そのイメージを組み立ててゆく。知識は既に、祖父から勉学の日々の中で完全に託されている。けれど本当に成功させることができるのか、ルシカは正直不安であった。


「でも、今はできると確信している。あとは自分を信じるだけ」


 『万色の杖』の柄をぎゅっと握り締めると、不安が薄らいで、勇気と自信が湧いてくる。揺れていたルシカの瞳は、ようやく落ち着きを取り戻した。


「さあ、いくぞッ!」


 テロンとクルーガーが同時に飛び出した。テロンが魔神の向こうに回り込みながら、クルーガーとともに交互に隙を作ることなく攻撃を繰り出す。双子ならではの、ぴたりと息の合った動きだ。


「何としても、魔神の注意を逸らせておかなければならない」


 ふたりが魔神の攻撃を引きつけてくれている間、ルシカは深い呼吸を繰り返して、自身の内なる魔力マナを高めていった。手の内に握り込んだ水晶柱に意識を集中させ、物質を形成している魔力と自分の魔力を同調させていく。


 意志の力で存在自体を侵食し、その構成元素を支配してゆくのだ。自分の望む品へと変化させるために。


 ルシカは、新たな『封魔結晶』を作ろうとしているのだ。


 魔法には本来、創造、破壊、空間、時間、召喚、幻覚などの様々な区分が存在する。下位から中位までの魔法であればどの種類でも行使できるが、最上位魔法ともなると、どれかひとつ、もしくはふたつまでしか行使することができなくなる。


 しかし、たったひとつだけ例外があった。それこそが、力の制限のない『万色』の魔導士である。


 これまでのルシカは、多種多様の力が向かうべき方向をひとつに定めることができず、無限の可能性をもつ力を制御できなかった。けれど今は万能を表す『名』を継承したことで、すべての力を意のままに導くことができる。


 ルシカは『封魔結晶』を完成させた。あとは、闇の魔神を封じるだけだ。


 素早く自分自身に『力の壁フォースウォール』の魔法をかけ、ルシカは魔神の注意を逸らすために攻撃を続けていたふたりに呼びかけた。こちらの準備ができたことを知らせるために。


「テロン! クルーガー!」


 ルシカの声を聞いたふたりは、それぞれの後方に素早く退いた。魔神の間合いから充分な距離を取り、牽制しながらも状況を見守るために動きを止める。


「ルシカ、気をつけるんだ」


 彼女の身を案じたテロンが、彼女に向けて声をかける。


「もちろんよ。だいじょうぶ。絶対にあたしに近づかないでね」


「承知した」


 クルーガーが頷き、ルシカの言葉に応えた。テロンは一瞬、心配のあまり口の端を歪めたが、すぐにしっかりと頷いた。


 テロンの顔に浮かんだ感情は、ルシカだけを危険に晒すことに納得いかない、という想いだった。彼女のことがたまらなく心配であった。


 だが今、ルシカが自分に近づくなと言っているのは、これから行使する封印の魔導の技にふたりを巻き込まないためでもある。テロンは決意した声で言った。


「わかった、君を信じる。思うままにやってくれ」


 握り込まれたルシカの左手のひらの内側から、赤い輝きが広がってゆく。『封魔結晶』となった水晶柱の欠片が光を放っているのだ。魔神の周囲にも赤い魔法陣が現れ、その大きなからだを完全に包囲する。同時に『封魔結晶』の光も輝きを増してゆく。


「コレハ、マサカ!」


 闇の魔神は、魔導士の少女の行動の意味に気づいた。その輝きは闇の魔神にとって覚えがあるものだ。いや、はっきりと体に刻み込まれているといっても良い。


 魔神は恐怖した。無駄とは知りながらも、自身を取り囲んでいる魔法陣を破壊するために、腕をめちゃくちゃに振り回す。


 だが、『万色』の魔導士の力はあまりにも強大であった。


「魔導士ガアァァァァああッ!」


 魔神は苦しみながらも凄まじい形相でルシカを睨みつけ、魔法陣によって包囲されたまま、前のめりにどうと倒れた。


 倒れた魔神の腕の先には、ルシカが立っている。魔神は口の端を曲げてニヤリと笑った。術者である魔導士に手が届く距離――。


「ルシカ!」


 見守っていたテロンは、彼女に向けて飛び出すところであった。だが、ルシカの言葉をハッと思い出し、危ういところで踏みとどまる。


 ルシカの周囲には、『力の壁フォースウォール』による不可視の力の障壁が張られている。握りつぶそうとする魔神の手のひらを押し返していた。


 だが、魔神はあきらめることなく、魔力の侵食にあらがいながらも手に渾身の力を込める。禍々しい黒い爪が、ルシカのすべらかな肌に触れそうになる――。


「ルシカ……!」


 テロンは、もし彼女が魔神に握り潰されることがあったならば、全力で突っ込んでいく覚悟を決めた。クルーガーも同じ思いなのであろう。彼の剣を握る腕に、尋常ではないほどの力が籠められているのが見て取れたからだ。


 『闇の魔神』は最後の力を振り絞り、まるで断末魔の叫びさながらに凄まじい声で吼えた。


 刹那、ルシカの姿が魔神の黒い手の内側に消える――。


「ルシカッ!」


 テロンが叫ぶ。


 だが次の瞬間。魔神の巨体は赤い粒状の光となって霧散し、すぐに再び集束した。ルシカは無事だ。粒状の光は、彼女の手の中で脈動している『封魔結晶』へ静かに吸い込まれていく。


 すべてを為し遂げたルシカは、大きく息を吐いた。テロンとクルーガーが彼女の傍に駆け寄ってくる。


「ありがとう。ふたりが注意を引きつけていてくれたおかげよ」


 礼を言いながら笑いかけたルシカだったが、強大な魔導を行使したことへの疲労と脱力感で目の前が真っ暗になり、ふっとくずおれるように倒れかけた。


 ルシカのもとに先に着いたテロンが、倒れる前に彼女の体をしっかりと抱きとめた。


「無茶をするんだな、ルシカ。でもすごかったよ」


 テロンの腕の中でまばたきをした魔導士の少女は、彼の言葉を聞き、花がほころぶようにゆっくりと笑顔になった。


 クルーガーも彼女に向けて微笑みかけた。ルシカを見つめる眼差しには、彼が師と仰ぐヴァンドーナに対するものと同じ尊敬の光がある。


「君の実力、そして度胸。見せてもらったよ、ルシカ。やはり君は、我がソサリアの宮廷魔導士に相応ふさわしいと確信できた」


「うん。あたしでいいなら、あなたたちと一緒に王宮に行きたい」


 やわらかな口調でクルーガーの言葉に応えながらも、ルシカは自分の指先が細かく震えているのを感じた。無理もないよね、と彼女は思う。はじめての実戦、しかも幻精界の上位種、魔神という恐ろしい相手と真っ向から対峙したのだから。


 抱き支えていたテロンが、彼女の震えに気づいた。彼は迷いながらも、自分の大きな手で震える少女の細く小さな手を包み込む。ルシカが驚き、テロンの腕の中から彼の顔を見上げた。


「はじめてだったんだろう。よく、頑張ったと思うぞ」


 温かい言葉とともに、ゆっくりと力が籠められる。

 

 ルシカは昇りたての太陽さながらの色彩をもつオレンジ色の瞳を、自分の手を包み込んでくれている大きな手に向けた。そうして心の底から安堵したように微笑み、顔を上げ、彼の青い瞳と見つめ合った。


 そのとき、コン、と天井から小石がひとつ落ちてきた。


 ズズズズズ……という、まさに地の底から響いてくるような不吉な振動。ルシカたち三人は天井を振り仰いた。押し寄せる轟音が周囲を圧する――。


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