万色の杖 1-6 襲来

 『獣谷』の入り口から離れた三人は、ゾムターク山脈を貫くルートの登り口に向かった。


 ゾムターク山脈を大きく迂回することなく、王都のある北部へ一気に抜ける近道である。そこには有史以前に形成された、途方もない規模の亀裂が走っていた。その亀裂の底部分を通過するのである。過去に道として整地されたこともあって、足場は悪いが坂は緩やかで、崖登りや回り道をするよりは大幅に移動時間を短縮できる。


「……こんなにたくさんの遺跡が並ぶ場所があったとはね」


 クルーガーが感心したような表情で、慎重に歩を進めながらも魅入られたように周囲を見回している。


 千年を越える年月に侵食された道は崩れた箇所も多く、生息している獣や魔獣たちに荒らされているとはいえ、幅広く堂々とした造りをしていた。瓦礫だらけなのでもちろん馬車はさすがに通り抜けられないが、大型の獣でも余裕をもって移動できるほどの規模であった。


 テロンも青い瞳を輝かせて、周囲を眺め渡していた。


「すごいな。これらすべてが遺跡なのか。魔法王国期のものではなかったと習ったが……美しいな。両側は崖なのに、彫り刻んだように遺跡が並んでいる。かなり奥まで空間が広がっているようだ。確か、冒険者たちには『遺跡の墓場』なんて物騒な名で呼ばれていたが」


 テロンの言葉に、ルシカがにっこり笑って頷く。


「よく知っているのね。ほとんど記録が残っていないから詳しい年代は判らないけれど、確かに魔法王国期のものではないわ。たぶん『墓場』なんて呼ばれているのは、冒険者にとって価値のある宝物がなくなってしまったからだと思う」


「冒険者にとって価値のあるもの?」


「簡単に値のつく、売り買いできる品のこと。金目のものね。ここでは探し尽くされてしまって、もうほとんど見つからないんですって。この場所の本当の名は『世捨て人たちの静居』。世俗から離れて暮らしていた竜人族の住居だったといわれているの。だからほら、柱もすごく大きくて、通路の幅もたっぷりあるし、入り口の天井も高いでしょう。中もとっても広くて、びっくり!」


「そうか、入ってみたいな」


 門の造形や柱の文様跡を見ていたクルーガーが、好奇心に目を輝かせてルシカを振り返った。


「造りが大きいのは、竜人族が竜に化身するからだな」


 テロンも大きなきざはしのひとつに足を掛けようとしていた。それに気付き、ルシカは慌ててふたりに声を掛けた。


「待って! えっとね、この辺りはとても危険なの。壁も床も天井ももろくなっていて、入ったとたんに生き埋めになっちゃう。もう少し奥に行けば、まだまだ大丈夫な場所が残ってるから、そこまで待って。あたしのお気に入りの場所があるの」


「お気に入りの場所?」


「うん。大好きな場所。この遺跡群のなかでも、すごく特別な場所みたい」


「そうか。では、そこまで待とう。楽しみだな」


「うん! 魔法王国期の遺跡によくあるような、環境維持の魔導が遣われていないから、崩れかけているところが多くて。だから、歩くときや、斜面を大きな獣やなんかが移動したあとは、特に気をつけてね。大きな破片が落ちてくることがあるから」


「わかった、ルシカ。気をつけるよ」


 ふたりの王子が素直に頷いてくれたので、ルシカはホッとした。


 屋敷を訪れる客人といえば遥かに歳上であったり異国の要人であったりすること多かったので、同世代はおろか歳近い異性と親しく話すことすら今までなかった。ましてやこの国の王位継承者であるのに、目の前の青年たちはとても話しやすい。


 ふたりに傷ついて欲しくない、無事に王宮まで一緒にたどり着きたい、とルシカは思った。


「危険なのは、崩れることだけではないの」


 近道になっているこの遺跡には、夜行性の獣だけでなく魔獣も多く生息している。狭い道ということもあって、遭遇すると非常に危険だ。


 ルシカも今までに、ひどく剣呑そうな影が物陰で動ているのを幾度も目撃していた。姿を隠し、気配を消す魔法を遣いながら移動していたので、戦闘になることはなかったが――昼日中でも暗闇のようにこごってうごめく黒い影のすぐ傍を抜けたときには、胸が痛くなるほどに緊張したものである。


 ルシカはふたりの王子に、そっと眼を向けた。


 クルーガーの腰に帯びた長剣は、素人目で見てもかなりの品だ。その重量といい長さといい、腕に相当な筋力がなければ振り回すことすらかなわないはず。そして、体術家だというテロンの体格と動きは、半端な鍛え方では到達できぬほどの力量を思わせた。


「おそらく大丈夫だとは思うけれど……」


 いざとなれば姿や気配を消し去る魔法を三人分、すぐに行使できるよう覚悟しておくことにする。


「いつも、ふたりきりで冒険に出掛けているの? あ、ほら、普通は護衛とか一緒に連れていったりするものなんじゃないかなって思って」


「出掛けるのはしょっちゅうさ。自由に動きたいから、護衛は連れていかない。テロンとふたりで行動するから、たいていの危険は――」


 クルーガーが、ふいに言葉を切った。何かを思い出したように突然はじまった彼自身の笑いが、その言葉の続きを途切れさせてしまったのだ。


「え、何、どうしたの?」


 目をぱちくりさせたルシカに説明しようと、再び口を開きかけたクルーガーだが……一度笑い出すと止まらなくなってしまったらしい。それほどまでに面白い記憶なのだろうか――首を傾げたルシカは、クルーガーが笑いながらチラチラと双子の弟を見ていることに気づいた。


「む、兄貴っ?」


 その視線の意味を理解し、兄が何を思い出して笑っているのかに思い当たったテロンが慌てる。


「そういえばさ。獣谷って、やたらと巨大化したむしっぽいものが多いだろ。テロンが小さい頃、秘密基地を作るんだとか言って中庭の隅を掘っていたんだが――」


 テロンが言葉を続ける兄の口を封じようとして腕を伸ばし、クルーガーがその腕から逃れようとして奇妙な取っ組み合いがはじまった。突然のことに驚いたルシカは、呆気に取られたようにその光景を見守った。


「掘っている途中に大きなミミズが出てきて驚いたテロンがさ、そのまま背後にあった噴水に落ちて一週間寝込んじまったんだ。今でも夢に見るぐらいに覚えているみたいで」


「兄貴っ! それは誤解だといっただろ!!」


 やはりふたりの動きは只者ではない、とルシカは納得した。これがもし稽古や試合で対峙しているのならば、相当な見物みものになったであろうふたりの体捌きである。息も乱さず言葉の遣り取りをしているのも驚きであったが。


「待って! そんなことしてる場合じゃないでしょ」


 ルシカは我に返り、急いでふたりに向けて声を掛けた。追われていることを思い出したのだ。しかしどうしても最後まで言いたいらしく、クルーガーはおしゃべりを止めなかった。当然だが、彼のおしゃべりを阻止しようとしているテロンも止まらない。


「一度奥のほうまで行ったことがあるんだ。遭遇した体長八リールメートルの大ミミズに驚いて、訳のわからない叫び声をあげたかと思うと、その大ミミズと一緒に周囲をごっそり岩ごと吹っ飛ばしたんだぜ。よっぽどミミズが嫌いだったんだろうなとおもふわひぇひぇ」


 ようやくテロンが兄クルーガーを捉え、その口の両端を引っ張る。端正な顔が台無しだが、クルーガーのおしゃべりがようやく止まった。落ち着いて無口な印象のテロンだったが、実はそうでもないのかもしれない……ルシカはこっそり自分の中の第一印象を修正しておいた。


「結構元気で照れ屋で子どもっぽいところのある、親しみを感じられるひとみたいね」


 しかしこのふたりは、本当にこのソサリア王国の世継ぎたちなのだろうか――ちょっぴり疑問に思わないでもないルシカであった。


 あまりに楽しそうな光景にこらえきれず、ぷっと吹き出し、ルシカは笑い顔になってしまった。けれど何とか我慢してできるだけ真面目な表情を作りつつ、もう一度ふたりに声を掛ける。


「楽しそうなのはとってもいいことだと思うけれどね、ふたりとも。そんな場合じゃないでしょ。いつ、さっきのやつらが追いついてくるかもわからないのに」


 ようやくルシカの声が聞こえたのだろう、クルーガーとテロンが動きを止めた――そのとき。


「キャはハハハハハ!! その通りですねぇ、まったくその通りぃッ!」


 思わず耳を押さえたくなるような、甲高い笑い声が遺跡群に響き渡った。


 ルシカたち三人が揃って背後を振り返ると、崩落跡の大きな岩の上に、ルシカたちが会いたくないと考えていた人物が仁王立ちになっていた。


「クックックッ。私が、メルゾーン・トルエランだ」


 あごを逸らし見下したような視線で三人を睥睨へいげいしつつ、ど派手な身振りと尊大な態度をした魔術師の男が言い放った。吊りあがり気味の眼、多少はっきりし過ぎている鼻と顎のライン、赤っぽい金髪、男にしては甲高い声だ。


「噂でも聞いているだろう。超美形大魔術師メルゾーンとは、私のことだ!」


 周囲が静まり返る。どこかで自然崩落した石が岩肌を打つ音が聞こえた。


 嫌なものでも見るような目をして動きを止めたルシカたち三人の反応は、彼が期待していたものではなかったのだろう。メルゾーンと名乗った魔導士は、しばし呆気に取られたように硬直した。彼の名前を耳にした者は、驚き、おそれるか、あるいは逃げ出すものだと思い込んでいたらしい。


「な、何だお前ら。このメルゾーン様を知らないというのかッ?」


 明らかに狼狽した声でメルゾーンがわめく。


「うん、知らない。もう、ぜんっぜん」


 ルシカは即答した。


「それがどうかした?」


 細く小柄な歳下の少女にあっけらかんと言われて、メルゾーンは引きつった表情で動きを止めた。しばらく絶句していたメルゾーンだが、何とか立ち直ったらしい。いきなり顔を真っ赤にしてルシカを指差し、大声で叫んだ。


「きっ、貴様ぁ! ソサリア王国の宮廷魔術師に推薦されている生意気な小娘だよなッ!」


 ルシカはきょとんとした表情で、派手な服装の魔術師を眺めた。「魔術師?」とつぶやきながら自分の顔を指し示す。


 魔導士と魔術師は、魔法使いと総称されてはいるが、決して同じではない。魔術師は魔法を行使する際、魔法語ルーンと呼ばれる独自の言語を利用する。強大な効果を持つ魔法ほど、魔法語ルーンの詠唱も長くなる傾向にあった。そのため、魔法効果を封じた魔道具マジックアイテムや物理的に描いた魔法陣を利用して詠唱を短縮したりするのだが、意志の力で魔法を具現化できる魔導士は、そも詠唱自体を必要としない。


 考え込んでしまったルシカをかばうように、テロンが素早く前に出て声を張りあげた。


「何故、ルシカを狙う!」


 メルゾーンは一変して冷笑を浮かべ、相手を見下すような態度に戻って自分より若い青年を見下ろした。


「何だおまえらは? 小娘が雇った冒険者か? それとも小娘のちゃちな色香に釣られた近くの村の馬の骨か」


「なにッ!?」


 飛び出しそうになったテロンを、クルーガーとルシカが押し止める。


「落ち着けテロン! あんなやつ真面目に相手にするな」


「そうよ、テロン。魔法使いの見分けもつかないような、典型的な悪役っぽいやられ役で、お間抜け親分みたいなやつに」


「キーッ! 誰が間抜けな親分だっ。メルゾーンさまの怖ろしさ、思い知るがいい!」


 特にルシカの落ち着いた物言いがよほど気に障ったのであろう。怒り狂ったメルゾーンは地団駄を踏んだ。魔法語ルーンの呪文を唱え、複雑に指を絡めて印を結ぶ。その両腕を前へ突き出した。


 詠唱を耳にしたルシカは素早く両腕を上に突き上げ、何かを紡ぐように大きく腕先を動かした。オレンジ色の大きな瞳が、強い意思と白い星々を宿してきらめく。


 ルシカの眼前――何もなかった空間に青い閃光がはしり、多重の円陣が素早く描き出される。直径はルシカの背丈ほどもあった。複雑な紋様が円陣を埋めるように滲み出て空中に固定され、美しい光を放つ複雑な魔法陣となって光り輝いた。


 魔法陣が完成されるまで、まばたきひとつ分の時間しかかかっていない。


「――焼け死ぬがいいッ!」


 メルゾーンの突き出した両腕から、ひとの頭ほどもある炎の塊が撃ち出される!


 『火球ファイアボール』だ。高温の火球を相手にぶつけ、大爆発を起こす攻撃魔法だ。この呪文が使えるということは、メルゾーンはただの見掛け倒しではないということになる。


「魔法かっ!」


「――ルシカ!!」


 突然の魔法攻撃に、クルーガーとテロンは回避しようと動いた。だが、ルシカが自らが具現化した魔法陣を維持したまま動かないのを見て、テロンが声をあげたのだ。


 火球はルシカの眼前に迫っている。かばう余裕もなかった。


 ゴオオォォォゥンッ! 凄まじい閃光と轟音、そして高温の炎が、ルシカの立っていた場所を中心に渦巻く。


「ふん、小娘が。死に急いだか」


 鼻で笑ったメルゾーンだったが、次の瞬間、驚きに目を見張った。


「お、おおぉぉおッ?」


 渦巻いていた炎が一点に収束し、メルゾーンに向かって撥ね返ったのだ!


 仰天したメルゾーンが大慌てで立っていた岩の反対側の間隙かんげきへと飛び込む。だが炎は岩を粉々に砕き、凄まじい衝撃が荒れ狂った。砂埃と煙が舞い上がり、周囲にパラパラと土くれや岩の破片が降り注ぐ。


 それらが収まり、視界が晴れると――メルゾーンが砕けた岩の間に逆さまにまり込んでジタバタもがいているのが見えた。それを引き抜いて助けようと、四人の手下たちが血相を変えながら駆け寄る。


 ルシカ、テロン、クルーガーの三人は、無傷だった。


「『完全魔法防御パーフェクトバリア』という魔法を遣ったの。どんな攻撃魔法も受け止めるのよ」


 ふたりの青年は大きく目を開いたまま、説明を続ける魔導士の少女を見た。


「魔導士が行使した場合に限り、攻撃はそのまま術者に跳ね返される。そのかわり一度攻撃を受けたら魔法陣は消滅するけれど」


 ルシカは説明を終え、テロンとクルーガーを順に見つめてにっこりと微笑んだ。ふたりの青年は互いに顔を見合わせ、そして再び魔導士の少女に向き直った。


「すごいな、ルシカ!」


「素晴らしいじゃないか。さすが推薦されているだけのことはある!」


 ふたりの青年から尊敬にも似た眼差しを受け、ルシカは大きな目をしばたたかせた。そのすべらかな頬が、火照ったように熱く、真っ赤に染まる。


「いやこ、こちらこそ、どうもありがとう、です」


 魔法の勉強や魔導の技の修行は山ほどしてきたが、その力で他人に誉められたり感謝されたりしたのは、実はこれが初めてだった。半人前だと祖父からは言われ続け、世間を知らず長い間ぽっかりと空洞になっていた胸に、あたたかなものが流れ込んで埋められてゆくような、満ち足りた気持ちになる。


 その感情を自覚すると、ルシカの胸はうきうきと弾んだ。テロンとクルーガーの手を取って、輝くような笑顔をふたりに向ける。


「ああ! あたし、はじめて誰かの役に立てた気がする。ふたりとも、ありがとう!」


 この上もなく嬉しそうな笑顔を向けられた双子の王子は、自分たちも顔を赤くしながら互いの眼を見合わせた。


 そんな遣り取りに三人が気を取られていたとき……何処かでプツン、と何かが切れたような音がした。


「……お……のれ……らぁ……」


 怒りに満ちた声に三人が振り向くと、そこには尋常ではない光で目をらんらんと輝かせて立ち上がるメルゾーンの姿があった。四人の手下たちはそんなメルゾーンから離れようと、じりじりと後退りしている。


「メ、メルゾーンさまが、おキレになってしまわれた……」


「許さん! 許さんぞおぉぉぉッ! この私に、こんな無様な姿をぉぉぉぉぉ!」


 赤みがかった金髪を逆立て、メルゾーンがえた。もともと甲高い声が裏返ってしまい、いささか迫力に欠けていたが――その両眼に宿る輝きは、常軌を逸した狂気そのものであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る