万色の杖 1-5 襲来

 もう、太陽は天頂近くまで昇っていた。秋とはいえ、雲ひとつない青空から降りそそぐ陽光はまぶしかった。特に、落ち込んでいる少女の瞳には。


「まだ、ヴァンドーナ殿のことを怒っているのかい?」


 クルーガーがルシカの横に並び、ひたすらに地面に向けられているオレンジ色の瞳を覗き込みながら声をかける。


 ルシカは先行して足早に進んでしまっていたのだが、クルーガーにとっては歩調をわずかに速めるだけで追いつけてしまうらしい。


 長身をかがめるようにして眼の高さを合わせ、自分を心配そうに見つめてくれる青い瞳に気づき、ルシカは慌てて引き結んでいた唇を笑みの形に変えた。


「あ、ううん。別に、怒っているわけじゃないの。おじいちゃんはふざけることも多いけれど、相手を本当に悲しませたり、傷つけたりしない。だからもしかしたら、あたしの理解が追いついていないだけなんじゃないかなって、そう思って」


 いろいろと考えていただけなの、と言葉を続けながら謝った。


「それより、ごめんね。あなたたちまで一緒に歩かせることになってしまって」


「いいさ。俺たちは気にしていない」


 テロンがふたりの少し後ろを歩きながら、ルシカの気遣いにこたえた。


 ルシカたち三人は王都ミストーナに向かうため、再び近道であるゾムターク山脈の入り口まで戻ったのである。


 ふたりの王子は王都からここまで、自分たちの馬で一気に駆け走ってきたらしい。けれど国境近いこの地域では馬上にあるふたりの姿はとても目立ってしまうため、ミルトの村に入る手前で馬を降り、王宮に帰してしまったのだという。よく訓練された馬だから、今頃は王宮の厩舎まで帰り着いている頃だろうとのこと。


 帰りはどうするつもりだったのかルシカが尋ねると、ただ漠然と、ヴァンドーナに何とかしてもらうつもりだったらしい。


「魔法陣で王宮までひとっ飛び、というわけにいかなかったから、責任を感じているのかい?」


「あ、うん……」


 ヴァンドーナの書斎に描かれていた魔法陣は、『時空間』の魔導士本人でないと発動させることができないほど複雑かつ高等なものであった。おそらく他者に利用されないよう、慎重に慎重を極めて幾重にも魔導の技を重ねつつ描いたのであろう。『時間』と『空間』の力を併せ持つ大魔導士の魔法は、いまだ『名』を持たぬルシカにとって理解はできても扱えるものではなかったのである。


「本当に気にしないでくれ。もともと兄貴の思いつきで俺たちが勝手に起こした行動なのだから。それより……君の元気がないのが心配だ。ヴァンドーナ殿の行動はいつも深い意味があり過ぎて、俺たちにもわからないことが多い。だから、気にするな」


「ありがとう、テロン。それにクルーガー……ごめんね。おじいちゃん、どうして先に行っちゃったのかな。いま話せないことがあったのかな……」


「王宮へ着いたら訊けばいいさ。それに――歩くのは楽しいぞ。今日はこんなに天気も良いしなァ」


 こうして三人仲良く王都目指し、てくてくと歩くことになったという訳だ。王子たちは鍛え方が違うのか、はたまた辺境を歩くことが興味深いのか、疲れた様子もなく本当に徒歩の旅を心から楽しんでいる様子だった。


「……そういえば」


 祖父ヴァンドーナの深意を推し量ることをあきらめたルシカが顔をあげ、思い出したように口を開いた。


「あの、いきなり襲ってきた四人組はどうしたのかな。また襲ってこられると面倒なことになりそうだよね」


「そういえばそうだったなァ。テロン、あいつらどうしたんだっけ?」


「獣谷に誘導しておいた。あそこは戻ってくるだけでも相応の時間を必要とするだろうし、奥まで進まなければ、痛い目を見るくらいで済むから危険はないだろうから」


 『獣谷』とは、このゾムターク山脈の登り口に当たるこの場所より少し西寄りにある裂け目の名前である。近道として抜ける予定の裂け目とは別の場所だ。奥に進むにつれて岩が多くなり、薄暗くなっていく為に見通しはかなり悪い。幾度となく繰り返されている落石により、まるで迷路のように入り組んでいる。


 谷にいるのは魔獣だけではない。巨大な昆虫めいた生き物も多く生息している。今頃、巨大ムカデや大ミミズなどに追いかけられているかもしれない。多少腕に覚えがある程度の者ならば、半日ほどの足止めとしては丁度良いだろうということだ。


 実は、最奥には遺跡が隠されているしく、そこは夜行性の魔獣が日中でも闊歩かっぽしており、腕に覚えのある冒険者であっても油断できない、危険な場所となっている。


「この辺りの人も行かないような危険いっぱいの場所なのに、獣谷のことをよく知っているのね」


 ルシカはテロンに歩調を合わせながら訊いた。


「ふたりは、よく旅をするの?」


 問われたテロンはルシカに青い瞳を向けたが、オレンジ色の大きな瞳と眼が合ってしまい、慌てたように横を向きながら答えた。


「まあ……な。兄貴と王宮を抜け出してしょっちゅう出歩いているし、国内の地図は頭に入っているから」


 テロンの顔が僅かに赤くなっている。どうやら、兄クルーガーと違って女性と話すことにあまり慣れていないようだ。


 クルーガーもふたりに合わせ、テロンとは反対側のルシカの隣に並び歩くようにして、立てた人差し指を振りながらうたうように言った。


「今はまだ、俺たちも自由に過ごせる身。国民の生活を実際に見ずして良き王になれるであろうか。これは国の将来の為でもあるのさ」


 たぶん、王宮を抜け出していることへの言い訳なのだろうとルシカは思った。悪びれるところなど微塵もない兄の言葉に、テロンが反対側で呻くようなため息をついているのが、やっぱり微笑ましかったりする。


 自信たっぷりに颯爽と歩くクルーガーと、隙のない足運びで穏やかに歩みを進めるテロン。どうもこの双子は面差しは似ているが、性格は正反対のようだ。


 歳上の男性なのに何だか可愛いなぁと感じて、ルシカはやわらかに微笑んだ。だが、ふたりの顔を交互に見ていたことで、地面のわずかな出っ張りに躓いて転びかけてしまう。


「おっと」


「大丈夫か?」


 クルーガーとテロンの両方から支えられたルシカは、「ありがとう」とつぶやきながら耳まで赤くなってしまった。


「本当によく転ぶんだなァ」


 クルーガーがルシカの顔を覗き込み、「放っておけないタイプだ」と言って笑顔をみせた。


 テロンはルシカが真っ直ぐに立ち直ったのを確認して無言で手を離そうとしたが、その動きをぴたりと止めた。息を詰めるようにして耳を澄ませ、自分たちが進もうとしている先に視線を走らせる。


 彼とほぼ同時に、クルーガーも表情を引き締めて進行方向を見ている。


「どうしたの?」


 手を握られたまま、ルシカはひとり訳がわからず、頬を熱くしながらも周囲を見回した。


「……獣谷のほうだ、兄貴」


 ふたりはすでに気づいていたようだが、その言葉でルシカも気づいた。ゾムターク山脈の登り口から少しずれた先――テロンの言葉どおり、獣谷のある西の方向から、魔法による爆音と叫び声が聞こえたのだ。


「かなりの大声だな。ここまで響いてくるとは」


 クルーガーがあきれたように言う。


 叫び声は悲鳴ではない。男のものなのに、いやに甲高かった。聞いていて気持ちのいいものではなく、むしろ耳に不快にザリザリ残る感じである。


「あの四人組だろうか」


 手を離したテロンは、声のする方向に歩き出した。クルーガーも「やれやれ」という表情でテロンを追う。ルシカもふたりの後を追った。


 ルシカがテロンたちと出逢った森を通り抜け、枯れた木々がまばらに残る剥き出しの岩肌をたどっていくと、ルシカたち三人が進んでいた道から左に傾斜している坂下に、ぽっかりと開けた広場があった。獣谷への入り口だ。


 その開けた場所に、まったく揃ったところのない装備をした五つの人影がある。ルシカたちは近くにあった岩の横から顔だけ突き出すようにして、眼下にある広場の様子をうかがった。


 五人のうち四人は見覚えのある相手だ。ルシカが、テロンとクルーガーに助けられたときに樹の枝上から目撃した、謎の追っ手たちである。まるで母親に悪戯を叱られる子どもたちのように、真っ直ぐに整列させられ、ひどくなさけなさそうな表情をしていた。


 彼らの前で、ふんぞり返るように立っている男に、容赦なく怒鳴られているのだ。


「あの襲ってきた人たち、変な格好の人に叱られているみたいだね。あの服と装備は魔術師かしら――それにしても趣味悪いような」


 ルシカのストレートな感想に、危うく王子ふたりは吹き出すところだった。


 怒鳴り散らしている男はルシカの言葉どおり、他の四人と雰囲気が異なっていた。その身なりは豪奢で、赤と金と緑を基調にした丈の長い衣服は魔術師のような印象である。腕や首、腰紐に、魔道具マジックアイテムだか魔石だかアクセサリーだかよくわからないものをジャラジャラと大量に提げていた。それらは陽光にギラギラと輝き、まるで宝石で飾り立てることを好む見栄っ張り貴族のような印象であった。


 確かに、服の趣味として良いとは言えないだろう。音は鳴るし動きにくそうであるし、何より獣や魔獣に狙ってくださいといわんばかりの注目度の高さだ。


「お前たちは、いったい何をやっていたんだかっ!」


 赤っぽい金髪を引っ掻き回しながら、その男は甲高い叫び声をあげ、地団太を踏み、無能な四人の部下たちに向けて怒鳴り散らしている。


 追っ手であった男たちは、もともと景気の良いとはいえない格好であったのだが、今はさらに砂や土にまみれて、ひどく散々な目にあってきたことが窺えた。さきほど響いていた爆音は、追ってきた魔物を追い払うための攻撃魔法であったのかもしれない。少し奥に、粉々に砕かれた岩の破片が散らばっている。


 追っ手のなかに魔術師はいたが、彼に岩を砕くほどの魔法が撃てる実力があるとは、ルシカにはどうしても思えなかった。彼女は注意深く瞳を凝らし、怒鳴り続けている派手な男を見つめた。


 間違いない、彼も魔術師だ――魔導士であるルシカの瞳には、相手の体の内に流れている魔力マナが視覚的に見えるのだ。


「代々魔術師という家系の、道楽息子って感じだけれど、かなり実力はあるみたい。そうは見えないけれど……ね」


「君を狙っていたやつらで間違いないと思う。だが、もう『獣谷』から脱出してきたとは……」


 少し悔しそうなテロンの言葉に、クルーガーが表情を引き締める。


「それも意外だが、そもそもどうしてルシカを狙っているんだ。王宮にも関係なさそうだし、理由として何か思い当たることはないのか?」


 視線を向けられたルシカは無言のまま、ふるふると首を横に振った。


 あんなに派手な相手にどこかで会っていたのならば、強烈な印象が残るはずだ。堅実な辺境の村ミルトの住人ではなさそうだし、祖父を訪ねてきた客人としてもまったく覚えがない。


 そうしている間にも、下の広場では男の金切り声がわんわんと反響し続けていた。


「小娘ごときに、まんまと逃げられたというのかッ?」


 いつまでも叫び続ける男に、追っ手であった四人の中の魔術師の男がおずおずと進み出て、気の乗らない様子で口を開いた。


「しかし……メルゾーン様。小娘といえど、宮廷魔術師に推薦されるからには相当な実力があるんじゃないですか? だからたぶん、俺たちどもの手には少々余る――」


「黙れえッ!」


 見ていたルシカたちがあっと思う間もなく、メルゾーンと呼ばれた男が手下を殴りつけていた。


「自分の無能ぶりを相手のせいにするというのか、ハッ!」


 ふんぞり返るようにして手下たちを見回すメルゾーンの視線に、手下たちはおろおろと不安げに体を揺らした。口の端を歪めるようにして笑ったあと、メルゾーンが声を高くして言い放つ。


「よし! この私自らが出て相手をしてやろう。おまえたちのような役立たずには任せておけん」


 そして、自分の言葉が面白いジョークでもあったかのように、クックックッと笑ったのであった。


「うわぁ、最悪の性格……」


「なんなんだ、アイツは」


 ルシカとクルーガーが、あきれたように同時につぶやく。テロンは自分のこぶしを握り締めた。


「小娘というのはルシカのことだろうな。何故あいつらは、ルシカを……」


「テロン、ルシカ。ともかく、ここを離れるぞ」


「ああ、わかった」


 テロンは頷き、兄クルーガーに続いて動きはじめた。ルシカも音を立てないように気をつけながら背を低めて立ち上がり、ふたりの後に続いて素早くその場を離れた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る