万色の杖 1-4 出逢い

 まさに青天の霹靂へきれきとはこのことだろう、とルシカは思った。にわかには信じがたい。


 魔導の『名』も定まっていない自分が、このソサリア王国の宮廷魔導士になるかもしれないというのだ。


 もしそれが本当の話だとしても、本人にきちんと語ってくれなかった祖父ヴァンドーナに問いただしたいことが山ほどあった。それに、わざわざこんな国境近くの辺境にまで見学に来たのだと語った青年たちにも、ルシカは驚きを通り越してあきれてしまう。隣近所に出掛けるのとは違うのだ。


「見学って……こんなに遠く離れた場所まで? そんなに暇だったりするの。あなたたちはいったい――」


 思わず発せられたルシカの遠慮のない言葉に、クルーガーは頭を掻いた。テロンも困り果てたような表情で、額に片手を当てている。


「暇なのかって言葉は、正直耳が痛いが……でも、気になるだろう? 宮廷で仕えるということは、これから俺たちと毎日顔を合わせることになるからなァ」


「毎日、顔を合わせる……?」


 ルシカは青年が語った言葉を反芻し、その意味をとくと考え……ある考えに思い当たって口をまんまるに開いた。沈黙ののち、息を肺いっぱいに吸い込む。


「……あ、ああぁぁぁああっ!」


 ルシカはこれ以上にないというくらい驚いた。その声に、クルーガーとテロンも驚いたが。


「なっ、何だよいきなり。大声を出すなって」


「あなたたちって、そうよ! どこかで見たことあるような気がしてはいたんだけど。王宮で見かけたことがある……国王陛下のふたりの息子、世継ぎの双子の王子殿下……!」


 ルシカは目をいっぱいに見開いてふたりを交互に見つめ、それから頭を抱えた。一転して自己嫌悪に陥りかける。


「あぁぁ、気がつかないなんてどうかしてる、あたし……」


「……ダルメス殿の後継者の話、君は知らなかったのか。本当に?」


 そのあまりの落ち込みように、気遣わしげにテロンが声をかけた。ルシカは何とか立ち直り、顔をあげ、ふうと大きく息を吐いた。


「知らなかったの。本当よ。今日だって、いつものようにおつかいを頼まれて王宮に向かっていたところだったんだもの。……ん? そういえば、この件、さっき襲ってきた賊と、何か関係があるのかしら」


 ルシカからの問いに、クルーガーが首を横に振る。彼にも賊についての情報はなかった。後継者の件は、まだ王宮内でも限られた者たちしか知らない話のはずである。本気で落ち込み、悩んでいるらしい歳下の少女に向け、クルーガーは言った。


「君がその事実を知らなかったこと、よくわかった。てっきり俺は知っているものだと思っていたから――混乱させて、すまなかったな」


 ルシカは安堵して、表情を緩めた。クルーガーが彼女に微笑み、すっと背筋を伸ばして姿勢を正した。改めて名乗る。


「俺はクルーガー・ナル・ソサリア。この国の第一王位継承者だ」


 剣技が得意で、乗馬と読書が趣味、年齢は二十歳、絶賛花嫁募集中だと言葉を続けた。得意そうに語るその表情に、ルシカは祖父ヴァンドーナを思い出してしまう。


 その隣では、彼の双子の弟がこめかみを指で揉み解していた。その様子に、いつも祖父の言動に振り回されている自分の姿を重ねてしまった。テロンという名の青年に対し、何だか親近感がわいてくる。


 クルーガーの長い口上こうじょうが終わり、次いで彼が口を開いた。


「俺は、テロン・トル・ソサリア。体術家だ」


 彼は言葉とともに両腕を広げてみせ、腰に何も武器を帯びていないことと、いかにも動きやすそうな胴着であることをルシカに見せた。彼の自己紹介はそれで終わりらしい。


 育ちの良さそうな立ち振る舞いと端正な顔立ちをしているのに、くせのない金色の髪は惜しげもなくばっさりと短く整えられ、体は鍛えられていて背が高い。おのれの拳で闘うということだが粗暴そうな印象はまるでなく、穏やかで落ち着いた眼差しと意志の強そうな口もとをしている。


 礼儀として、ルシカもきちんと名乗りを返した。


「あたしは、ルシカ・テル・メローニ。魔導士の知識は習得しているけれど、自分の魔導の力の『名』が何であるのかはまだわからないの」


 ルシカはそう言ったあと、人差し指の関節を唇に当てるようにして瞳を伏せた。深く考え込むときの彼女の癖だ。しばらく考えを巡らせたのち、首を傾げるようにしてふたりの青年に視線を向けた。


「それにしても、このソサリア王国にとって、おじいちゃんの発言がそれほどまでに重要視されているのがわからないわ。……あたしのおじいちゃんってそんなに有名な魔導士なの? とてもじゃないけれど、そうは思えなくて」


「とんでもない! 君の祖父は、ただ有名だなんてもんじゃない。この大陸で一番の力を持つ大魔導士だ」


 クルーガーが慌てたように声をあげた。


「先王の時代――俺たちの祖父の治世のときの話だが、戦乱の中にあったこの国を平安に導いた功績者でもある。だから今でも、王国の有事を決定するときには意見を伺うし、我がソサリアの英雄であり中心人物のひとりなんだ」


 懸命に語るその口調から、この青年自身もヴァンドーナを尊敬していることがうかがえた。


 だがそれは、ルシカの知らない祖父の顔だった。


「そんな。……本当、に?」


「ああ。ソサリアを救ってくれた時の話は伝説として語り継がれるほどの活躍だったんだぜ! 何でも、自分の『生きる時間』というものを犠牲にして凄まじい魔導の力を行使したという話だ。弟子希望の魔術師は星の数ほどいるというのに、どうしてか君の他には弟子をとらず後継者も育てていない。真面目で責任感が強くて、魔導も魔術も、魔法に関する知識の幅が物凄いんだぜ。だから魔術を志す者たちにとって、ヴァンドーナ殿は憧れの存在なんだ!」


 クルーガーは熱を込めて語った。彼自身、帝王学についてヴァンドーナに学んでいるのだという。


 ルシカは口を半ば開いたまま、再びポカンと放心するしかなかった。今までずっと祖父と一緒に同じ屋敷内で暮らしてきて、そんな様子など微塵も見せることがなかったからだ。


 ただ……ふらりとどこかへ何日も出掛けたりすることは多々あった。物心ついた頃からずっと祖父は好き勝手に暮らしていたので、あまり気に留めないようにしていたけれど。


「……あたし、一度戻りたい。おじいちゃんに、今回の件、きちんと自分の口から話してほしいの」


 ルシカはこぶしをきゅっと握りしめた。彼女にとって、世界でたったひとりの信頼していた家族が、自分の知らない顔を持っていたことがショックで――ただ、しっかりと本人の口から彼女に真実を語ってもらいたかったのである。


(今までいろんな隠し事がいっぱいだったのね……おじいちゃん。それに、あたしの将来のことまで勝手に決めてくれちゃって……。しかも恥ずかしい話を知らないひとにまで話しているし……!)


「あの……ルシカ――」


 だんだん険しくなるルシカの表情に、テロンが戸惑ったように声をかけた。きっぱりと顔をあげたルシカの印象的なオレンジ色の瞳と視線が合い、彼はどきりとして言葉を呑み込んだ。


「ううん、止めないで! おじいちゃんは、今回もまた何か企んでいたわけだし。内緒なんてひど過ぎる! とりあえず全部語ってもらうまで許さないんですからねっ」


「ああ……いや。俺たちも行ってもいいのかな、と。もともとそのつもりで来たんだし。なあ兄貴?」


 テロンは頬を掻きながら言い、同意を求めるように傍らに立つクルーガーに視線を向けるのであった。





「おじいちゃんっ!」


 ふたりの王子とともに、ミルト郊外にある屋敷――大魔導士ヴァンドーナの私邸まで戻ったルシカは、屋敷の扉を開け放つなり大声で叫んだ。


「どういうこと? 今日という今日はきちんと話を……」


 屋敷の中は静まり返っていた。居間にも書庫にも、祖父ヴァンドーナの姿はない。


 クルーガーとテロンにも手伝ってもらい、一緒に家中を探してみたが、どこにも人のいる気配がなかった。使用人はもともと、ひとりもいない。


 ルシカは部屋を順に見て回っていたが、最後に、普段は入らないように言われていた祖父の書斎までたどり着いた。


 少し悩んだが、すぅっと息を吸い、コンコンと扉を叩いてから開け放つ。


 だが、その部屋にも誰もいなかった。


 正面にしつえてあった重厚な木の机の上に、一片の紙が置かれているのに気づいた。部屋の奥の床には常設の魔法陣が描かれており、そこに魔法を行使した後の残光がわずかに輝いている。


 ルシカはその魔法陣を見つめた。『空間』の魔導に属する『転移テレポート』の魔法陣だと判る。


「すまないが、入るぞ」


 入り口から覗き込んでいたふたりの王子も、声をかけて部屋に入ってきた。クルーガーが興味深々という様子で、床に描かれた円状に並ぶ魔法語ルーンと紋様の羅列を見つめる。


「それは……魔法陣なのか?」


「うん。おじいちゃんは何処かへ出掛けたんだと思う。『転移テレポート』の魔法、発動させたばかりじゃないかな……まだ魔法行使の残滓ざんしが見えるから」


 ちらちらとまたたくように消えゆく魔導特有の緑と青の光の粒を指し示して、ルシカは答えた。


 魔法陣を物理的に描く必要のない魔導士が、塗料を使って床に丁寧に描いているということは、しょっちゅうこの魔法を使っていたということだ。魔法陣を用意しておけば、魔法行使の準備動作の手間もなく、消費する魔力も最小限で済み、いつでも好きなときに発動できるからだ。


「ヴァンドーナ殿は、俺たちが来たのを知って移動したのだろうか。これが王宮と繋がっているなら、頻繁に行き来していたことに納得はいくが……」


 怪訝けげんそうに首を捻りながら、テロンはルシカを見た。表情をくるくると変える彼女の様子を気遣いながらも、どう言葉を掛ければ良いのかわからないらしい。


 彼のそんな気遣いに気付いたルシカは、肩の力を抜いた。ゆるゆると首を振りながら、口を開く。


「おじいちゃんの行動は、あたしにとっても不可解だらけなの。何か目的があってやっていることもあるけど、特に意味もなく仕掛けられた悪戯いたずらだったりすることもあるんだもの……」


 ルシカは机に歩み寄り、その上に置かれていた紙を手に取った。それは走り書きだった。筆跡は間違いなく祖父のものである。


『いとしい孫へ。詳しいことは、王宮で』


 短いメッセージの最後には、ハートマークが書いてあった。もちろん魔文字ではなく、現代の表記だ。


「…………」


 ルシカは無言で唇を引き結び、伏せた瞳のまま、その手紙をくしゃりと握り締めたのであった。


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