万色の杖 1-7 魔神

 メルゾーンは、芝居がかった派手な身振りで、バッと右手を掲げた。何かを握っている。引き千切られたとおぼしき細い鎖が揺れているので、おそらく首飾りだろうと思われた。


「おまえたち、これが何か、わかるかな?」


 握っていた手のひらを開き、黒い輝石を指で支えながら、ルシカたちに向けて見せつける。


「……あれは……」


 ルシカはかすれた声を出した。オレンジ色の目を見開き、信じられない、というように。


「うそ……『封魔ふうま結晶けっしょう』……?」


「危険なものなのかい?」


 クルーガーは腰の長剣の柄に手をかけながら、ルシカに訊いた。落ち着いた声音であるが、ルシカの言葉ににじんだ尋常ではない緊張のいろに戸惑いを感じて眉が寄せられている。その視線の先――メルゾーンの指先でかすかな陽光を受けてきらりと光るものは、確かに結晶石のようにみえた。


「本来は幻精界に存在している幻獣や精霊、はては魔神をもその中の亜空間に封じ込めることができるという魔石よ」


 ルシカは胸の前で片手を握りしめ、厳しい表情でクルーガーの問いに答えた。


「鍵となる言葉を唱えるか、『封魔結晶』そのものを破壊することで封印を解き、中に封じ込めていた存在を解放できるの。そしてその魔石に黒水晶を使ったものには、かなり強い存在を封印することができるというわ」


 テロンは腰をわずかに落とし、身構えた。その構えを崩さないままルシカに尋ねる。


「で、あいつの持っているものは……」


「そう、黒水晶よ。でも現存している封魔結晶は、ほとんどがいにしえのグローヴァー魔法王国期に作られたもの。あんな高価なものを持っているなんて、只者じゃないかもしれない。……でも」


 ルシカは厳しい面持ちをあげ、メルゾーンをキッと睨みつけた。


「あなたね、その中に封印してある存在を制御できるの? もし扱えないのなら、封印を解いた瞬間、自分自身が喰われてしまうのよ!」


 メルゾーンはその言葉を聞いて、片方の頬をピクピクと引きつらせた。うぬぬぬぬ、と握りしめたこぶしに力を籠めつつ伸びあがり、その頂点で怒りを爆発させた。


「ぬあぁんだとぉ! この私を誰だと思っている。制御できないはずはない! そんな生意気な口など二度とけぬようひねりつぶしてくれるわっ!!」


 叫び、高く掲げていた黒水晶の封魔結晶を躊躇ためらうことなく地面に叩きつける。薄いガラスが砕けるような高い音を立てて、黒水晶が内側から破裂した。


「アッははハはハハッ!」


 そっくり返るような姿勢のまま半ば裏返っている笑い声をあげたメルゾーンだったが、立っていた大地そのものが一瞬にして砕け散った。


「何ィッ?」


 叫ぶ隙もあらばこそ、自信過剰の魔術師は吹っ飛び、もうもうとあがる土煙の中に見えなくなった。その土煙の中から立ち上がった巨大な影は――。


「や、『闇の魔神』……!」


 ルシカは緊迫した声をあげた。凄まじく濃い魔力の気配。生命と肉体そのものが魔法的な、脅威の存在である。


「よりによって、なんてものを!」


 グオオオォォォォオオオオ!!


 周囲一帯の空気を、崖を、遺跡を揺るがせるような声で魔神がえる。その背の高さは、街道の要所に建てられる二階建ての物見塔に負けぬほど。黒くぬめりとした輝きを放つ皮膚と、赤黒く燃え盛る炎を宿した眼をしている。いや、まとっているのは闇色の炎そのものだ。


 クルーガーが一気に剣を抜き放ち、真正面に構える。テロンは身構えたまま呼吸を整え、どんな動きにも瞬時に対応できるよう精神を集中させはじめた。


「どうしよう……『闇の魔神』に通常の攻撃は効かないのに」


 ルシカにとって、これははじめての戦闘だった。手加減などしてこないだろう強敵が、現実として目の前に立ちはだかっている。


「叩く? 逃げる? あぁ、どうしたらいいのかわからない……」


 瞬時に判断できず、ルシカの瞳が揺れた。攻撃の手段となる上位魔法の幾つかがイメージとなって次々に浮かぶが、果たして実行してもよいものだろうか。今朝の祖父との遣り取り、祖父から言い聞かせられた言葉が脳裏をよぎる。


「今のあたしの力じゃあ……」


 土煙を透かし見るように周囲を見回していた魔神の視線が、とうとう眼前に立つ人間の姿を捉えた。その憎しみに満ちた刺すような視線は、まごうことなくルシカに向けられる。ルシカの瞳に、決意の光が宿った。


「ううん。あきらめるのは、早いよね!」


 口をぐっと引き結び、ルシカは顎を上げて魔神を真っ直ぐに見た。両腕を突き出すようにして前に伸ばし、流れるような動きで腕を真横に広げる。ルシカのからだの前に、金色に輝く魔法陣が展開された。ルシカが魔法陣の中央に手を突き入れると、バチバチと激しく踊る稲妻が具現化され、ほそやかな指先に収束していく。


 『電撃の矢ライトニングボルト』だ。


 この攻撃魔法が果たして魔神に効果があるのか、ルシカにはわからなかった。もともと封魔結晶を作り出したのは、グローヴァー魔法王国期の魔導士たちだ。中に封じられた存在は、魔導士たちに対して浅からぬ憎悪とうらみを抱いている。だが、自分の力を超えている魔導の力を持つ者には、忠誠を示すだろう――封魔結晶に永遠に封じ込められることを怖れて。


 果たして、この程度の魔法で魔神を説き伏せ、自分に仕えるよう納得させることができるのか――ルシカは祈るような気持ちで、渾身の魔力を乗せた一撃を魔神に放った。


 空間を切り裂く凄まじい音とともに飛んだ電撃の矢は、魔神の胸に当たって相手を揺るがせたかにみえた。だが、魔法の雷光はそのまま弾かれるように四散してしまう。


 グオォォォォォオオォ!!


 『闇の魔神』は破片を払うかのように腕を振り、忌々いまいましげに黒い吐息をついた。ルシカの背筋に冷たいものが走る。


「あひっ! な、なんかピリピリ……する……ぞ?」


 魔神の足もとから、汚れた布きれがずるずると這い出してきた。メルゾーンだ。頭上の『闇の魔神』を見上げ、次にルシカたちを見る。


 メルゾーンは何事もなかったような表情で立ち上がり、声を張りあげた。


「さあ、魔神よ! あの人間どもを抹殺しろ!」


 『闇の魔神』は足もとのメルゾーンなど見てはいなかった。ルシカたちに向かって、一歩、無造作に踏み出す。


 危うい位置で踏み潰されそうになりながらも、メルゾーンが哄笑こうしょうを続けていた。


「ほっほっほ、私の命令が聞こえているんだな」


 とんだ勘違いであったが、それを突っ込む者は誰もいない。


「マドウシ」


 地の底から大地を震わせたような声が殷々いんいんと響き渡る。大陸共通語だ。それに気づいた人間たちは、ぞくりと身を震わせた。言語を操るほどの知性は並大抵の相手ではなく、油断ならざる上位種であることを示すからだ。


 言葉を発した魔神は、目の前の魔導士をめつけている。相手の肌を突き刺せるほどに凄まじい殺気――。


「やるか!」


 魔神がルシカを標的にしていることに気付いたテロンが、クルーガーに声を掛けた。ふたりは同時に飛び出した。


「待って! あいつに物理攻撃は効かない!」


 慌てて叫ぶルシカだったが、次の瞬間、ぞくりと肌があわ立つ感覚があった。瞬時に凝縮された魔力マナの気配――。


 魔神が開いた口から、衝撃波を放ってきた!


 ルシカは『力の壁フォースウォール』で防ごうと腕を突き出した。だが、準備動作が間に合わない。クルーガーが向きを変え、咄嗟とっさに彼女の前に出る――が、それより早く。


 ドォオオオンッ! 轟音と衝撃。風がルシカの耳もとでごうと鳴った。


 烈風が吹きつけられ、宙空へさらわれそうになる。だが、魔神の放った衝撃波にしては奇妙だ。ルシカのからだは傷つけられることなく、無事なまま立っていた。


「大丈夫か!」


 テロンの声に、ルシカはいつの間にか閉じていた目を開いた。すぐ傍には、クルーガーの後ろ姿。そしてさらにその向こうに、背を向けたまま立っているテロンが見えた。


「テロン! だ、だいじょうぶ?」


 驚きと心配に声を震わせたルシカを、テロンが肩越しに振り返る。その身体のどこにも新たな傷も火傷もない。


「俺の『技』で同じように衝撃波を作り出し、相手にぶつけて防いだんだ」


 テロンは少しだけ微笑みながらルシカに目をやったが、すぐに表情を引き締めて魔神に向き直った。


 魔神は自分の攻撃が無駄になったことを理解し、憤慨した。怖ろしい形相がさらに歪み、ぎりぎりと何かが軋む音が響く。


「待ってて。攻撃魔法が効かないなら、援護を――」


 ルシカは腕を振り上げ、新たな魔導の技を行使しようとした。濃くなる魔力の気配に気付いた魔神の視線が、再びルシカに向けられる。


 ガアァァァアアア!!


 魔神が怒りの咆哮をあげ、突進してきた。巨躯に似合わぬ速さだ。


 クルーガーが素早く反応し、剣をすくい上げるようにして魔神のけんを断ち切ろうとした。真っ向から挑もうとしても、相手があまりにも大きすぎる。戦意を挫き、移動を封じる狙いがあった。


 だが、その渾身の一撃は手応えのないまま振り切られてしまった。


「何ッ?」


 驚きに目を見張るクルーガーの一瞬の隙をつき、魔神が腕を振るって彼を弾き飛ばした。目の前に掲げた剣で直撃を防いだものの勢いを殺すことができず、クルーガーの体は離れた崖の中途に叩きつけられてしまった。


「兄貴!」


 案じて声を掛けながらも、テロンは視線を動かさなかった。力強く地面を蹴り、魔神との距離を一気に詰める。だが、彼の拳も魔神に打撃を与えることはできなかった。


 怒り狂った魔神から振り下ろされた腕の一撃を、ぎりぎりで避ける。これでは防戦一方だ。


「クッ……」


 崖に叩きつけられたあと地面に落ちたクルーガーは、したたかに背中を打ちつけたらしく、息を吸い込もうとしてあえいだ。だが、すぐに立ち上がり、ルシカの立つ位置へ戻った。


「どうすればやつを倒せるんだ」


「幻精界に属するものは、こちらとは違う形態をしているわ。あちら側には魔力でできたものしか存在していないのに、こちらには物理と魔法の両方がある……」


「相手に攻撃が通用しないのに、相手の攻撃はこちらに通じるのか。これは、厄介だぞ」


 クルーガーが青い目を鋭く細め、唇を噛んだ。彼の剣ははがねを鍛えたものだ。魔法のかかったものではない。魔力マナのみで構成され形作られている幻精界の存在が相手では、無力に等しいのだ。


「俺の『気』は魔力と同じ。形を変えたものだ。あるいは通用するかも」


 敵から眼を離さず、ルシカたちと魔神の間に立ちはだかったままのテロンが言った。


 魔神が数歩の距離を一気に縮め、邪魔なテロンを狙ってこぶしを振り下ろした。凄まじい衝撃に大地が揺れ、踏みとどまれなかったルシカは転びかけた。


 テロンは攻撃を受けると同時に跳躍していた。精神を集中させ、魔神の顔めがけて『衝撃波』を放つ。


 ドンッ! 空気を振るわせ、不可視の力の塊が魔神の視力を一時的に奪った。反動で魔神と逆の方向に飛んだテロンは、遺跡の柱のひとつを蹴るようにして地面に降り立った。


 怒り狂った魔神が、腕を無茶苦茶に振り回しはじめる。


 腕の動きを見極め、その下をかいくぐったクルーガーが再び剣を振るうが、まるで手応えが得られないらしく悔しげな表情になって飛び退すさる。彼が退いたあとの地面が、魔神の腕によって粉々に打ち砕かれた。


 あまりに激しい攻撃の連続。兄やルシカに向かう攻撃を自身の腕や体で受け、テロンも『技』を使う呼吸すら整えられないでいる。


 ただの拳の攻撃では、剣と同様にダメージを与えることができない。有効である『衝撃波』の技を繰り出すためには、呼吸を整えねばならなかった。


 ルシカが撃っていた攻撃魔法も、魔神に効果的な打撃を与えている様子はなかった。彼女はすでに魔法を切り替え、戦い続けるふたりの仲間に援護の魔法をかけている。精神集中の時間も確保できない状況では、いくら魔導士とはいえそれが精一杯だった。


 魔神は、足下をちょろちょろと動く小さなものを叩き潰すことができず、怒り狂って両腕を振り回し続けている。岩やら土くれやら砂などが大量に撥ね飛ばされ、ばらばらと周囲に降り注いでいた。


 メルゾーンと四人の手下たちはあちらこちらに走り回って、落ちてくる岩を避けるのがやっとである。こちらはまったく、戦力になりそうになかった。


「このままでは、こちらの体力が尽きるほうが早いぞ」


「でも、どうすれば……」


 ルシカは魔神の動きを警戒しながらも、注意深く周囲を見回した。


 魔導士というものは、ただ強力な魔法を行使するだけではない。窮地にあってもなお冷静に状況を見極め、みなを正しい方向へ導く者でなくてはならないのだ。そう繰り返し聞かされた祖父の言葉が、ルシカの耳によみがえる。


 斜面や遺跡の壁には衝撃の連続に堪えかね、ひび割れを起こしかけている箇所が幾つかある。深い呼吸をしながら腕先で魔法陣をひとつ、綴りあげた。赤に輝いた魔法陣が具現化したのは、炎の魔法。


「ルシカ! さっきから見ていたが、あいつに炎の攻撃は――」


「だいじょうぶ。ふたりともこっちへ戻って!」


 クルーガーの指摘に応えながら、ルシカは火球を撃ち出す魔法を行使した。魔神が狙いではない。そのすぐ傍にある、遺跡の柱や壁の割れ目だ。


 年月に脆くなっていた建造物は、破壊魔法を受けて轟然たる勢いで砕け散った。巨大な体躯の半分以上を瓦礫に埋められ、土埃で視界を閉ざされて、魔神が苛立ちの声をあげる。


「テロン、クルーガー!」


 ルシカは声を掛けながら道の先へ駆け出した。クルーガーがすぐに反応し、彼女のあとに続いて走り出す。テロンはルシカに追いつき、足もとの悪さによろめいたところを抱き支えるようにして走った。


 グオオォォォォオオッ!!


 ルシカたちの背後から聞こえたのは、魔神の怒り狂った叫び声と、かすかな人間たちの悲鳴。魔術師の取り巻きたちが、メルゾーンをかばいながら逃げているのだろう。


「ルシカ、策はあるのか」


「この場所は開放的で不利だわ。それに、考える時間が欲しいの。魔導を遣う時間も」


 テロンの問いに答えながら、ルシカは考えを巡らせていた。三人の向かう先は遺跡の規模が大きく、住居跡が集まる中心部だ――。


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