SS④ 秘密主義の山崎
足を止めた。
思い返せば、こんなことは何度もあった気がする。避けるようにしていたから未然に防がれただけで、遭遇する機会は数えきれないくらい存在したのかもしれない。だから、その事態が繰り返されていることに必然性を見出すことはないが、やはり妙なめぐりあわせだなと感じ入ることだけは許してもらいたい。
「どうした大楠」「ぼけっとすんな」
横を歩く斎藤や進藤がそう声をかけてくるけれど、俺は返事をすることもできなかった。
――前方、奥の方に山崎がいる。
斎藤や進藤は、顔を見合わせてから俺の立ちすくむ場所まで戻ってきた。それから俺の視線の先を探り、ポケットに手を入れて歩いているガラの悪そうな男子生徒たちの姿を見つけてしまう。
「うわ、なんだあれ」「こえー」
まともに制服を着ているやつなんて一人もいない。他校の生徒であることが明らかに分かる学ランのボタンは、存在しているいないに関わらず全開放だ。髪型についても、やたらとつんつんにしていたり、金髪に染めたりしている。路側帯を横に占有しているものだから、他の人の迷惑になっている。
その後ろのほう、仲間なのかそうでないのか微妙な距離をとって、山崎がつづいている。
山崎とつるんでいたとき、こんなに多人数で歩くことはなかった。人の迷惑になるようなことはしないやつだったから、前の連中とどういう関係か不明だ。以前にゲーセンから出てきた不良たちと同じ顔ぶれかと思ったが、そもそもそのときに誰といたかなんてほとんど覚えていないのが実情だ。
俺たちが立ち止まっていると、容赦なく不良たちが迫ってきた。横に広がっていた彼らに、与えられた道幅に合わせて縮まるという選択肢はないので、「どけ」と言われてしまった。
斎藤も進藤も素直に従う。塀のぎりぎりまで体を寄せて道を作ると不良たちは感謝の言葉もなくその場を通りすぎていく。
「お前もだ、どけ」
ほんとはさっさと道を譲ればいいものを、なぜか俺はそうする気にならず目の前の不良をまじまじと見つめてしまった。目の端に切り傷の跡が見られる。山崎と比べるといかつさはないが、こいつも相当喧嘩しているのかな、と思った。今の俺で勝てるのだろうか。足や腕の筋肉を見る限り大して鍛えているようには見えないが、素早さ重視のタイプということも考えられる。俺よりも背が低いから体重任せでどうにかなるかもしれない。この手のタイプは先に掴んでしまえば、有利に事を進めることができるだろうな。
「おい!」
強くにらまれたところで、俺は我に返った。
――いったい、何をしてるんだ、俺は……。
もともと不良だったときは、一瞥して相手の強さを測ることが癖だった。河川敷での一軒があったせいだろうか。また、あの当時の癖が蘇りそうになった。
あわててそれようとしたとき、奥から低い声が響いた。
「おい」
一斉に不良たちが振り返る。後ろに立っていても、その背の高さから存在感が際立っている。赤い髪。不機嫌そうな表情。他の不良たちの面々から察するに、やはりこの場でも強い発言力を持っているようだった。
「無意味に絡むな。時間の無駄だ」
「けどよ」
「……俺に指図するつもりか?」
さっきよりも低い声に空気がピリつくのがわかる。目の前に立っていた不良が、不満そうな顔をしたまま俺の横を通り抜けていった。最後、山崎が通るときにちらっと俺を見てきたのがわかったけれど、素知らぬ顔で返しておいた。
嵐が去ったあと、斎藤がぺろりと舌を出す。
「あんな連中いるんだな……。赤い髪なんて初めて見たわ。やたらと背が高いし、威圧感すごかったし、別世界に入りこんだ感じ……」
「でも、あれって助けてくれたってことなのか?」
進藤の不思議そうな目線に対し、俺は「さあな」と答えるだけにとどめた。
「お前もさ、さっさと逃げておけばいいのに……。なんでガンつけられたからって、睨み返してるんだよ。おまえ、ゲーセンのときのこと忘れたのか。たまたま運が良くて逃れることができたけど、争いごとには巻き込まれないようにしておいた方がいいぞ」
「そうなんだけどさ……。うまく頭が働かなかったというか……」
「ぼけーっとしてたもんな」
しかし、斎藤の言う通りだ。山崎を見かけるたびに緊張してしまうが、向こうも俺と積極的にかかわるつもりはないようだ。
進藤が、遠ざかる不良たちの背中を眺めながら言う。
「ま、あれだけ奇抜だとな。初めて見た瞬間、ドラマの撮影に紛れ込んだのかと思ったくらいだから。特に、あの背の高い赤髪は、俳優だと言われても不思議ではないくらいにオーラがすごかった」
「確かに。他の不良たちもビビってたもんな」
俺も心の中で同調する。ここだけの話、山崎はモテた。一時期は、ちょっとヤンチャなタイプの女たちに追い掛け回されていた。山崎はあんな性格なので、当然相手にすることはなく、ことごとく散っていったが……。
「ここらへんに、あんなガラの悪い学校があるなんて話は聞いたことがないから、何か理由があってこっちに来てるのかね。俺達には関係のないことだけど」
「どうだろうな……」
一度、山崎の通う学校を教えてもらい、ネットで調べたことがあった。その学校は、ここから2駅間隔分くらい離れたところにある。たまに、ここに訪れたとしても何の不思議もない。
とはいえ、俺がここの学校に通っていることも伝えたので、理由がないとここに来ることはないんじゃないかと思える。
「行くか」
ひとまず、俺たちはさっきのことは忘れて、そのまま帰ることに決めた。
* * *
こういう事態というのはつづくもので、その2日後にも山崎と遭遇することになった。
今度は、休みの日。買い物を済ませて家に帰ろうとしているときに、一人で歩く山崎の姿が目に入った。
「あ」「……」
俺は思わず声を上げてしまったが、山崎は小さく息を吐くだけだった。まだ家からは距離があるから俺に会いに来たわけではないだろう。
どうしようか迷った。あまり関わるべきではないと思いつつ、気まずい空気に耐えられなくなっている自分もいた。
「よ、よぉ」
話しかけられるとは思っていなかったらしい。山崎は片目を見開き、困ったように首の横をさすっていた。
「……なんだ?」
「いや、何だって言われてもたまたま会っただけだから……」
そこで、山崎の足が止まる。すぐに、俺の手元にあるビニール袋を見て、
「買い物か?」
「ああ、見りゃ分かるだろ。だいたい休みの日にまとめ買いするんだ。親父や紗香に買ってきてもらうこともあるけどさ」
「あっそ……」
興味なさそうだった。
昔であれば、同じ生き方をしていたので話題などいくらでもあった。最近少し話すようになったとはいえ4年近くのブランクがあったし、方向性も変わってきてしまったため、探り探りで言葉をつぐむしかなくなってしまう。
そこで、俺は一昨日の出来事を思い出した。助けてくれたにもかかわらず、礼も言えなかったことを申し訳ないと思っていた。
「一昨日はどうしてあそこに……?」
それでも素直に言葉が出てこないのは、妙な気恥ずかしさが残っているからだろうか。
山崎は目を細める。
「さぁな。おめえには関係ねえよ」
「あ、まぁ。そうだな……。すまん……」
また沈黙。いつも機嫌が悪いとはいえ、今日はさらに虫の居所が悪いようだ。
結局、俺は素直に言うことにした。
「あのときは悪かった。それから、空気読んで行動してくれて助かった」
最初、意味が理解できなかったらしい。数秒程度斜め上を見つめてから合点がいったというように「ああ」と声を出した。
「別に、おまえのためだけにやったことじゃない。俺は、戦う気のない奴と争いごとになるのが嫌いだ。あの馬鹿どもが俺の意向に反して行動したから、にらみつけただけ。そのことは、お前も理解していたと思っていたけどな」
「だとしてもだ。ありがとう」
細まっていた目が少し開かれる。機嫌が直ってきたかもしれない。
山崎の頬の緊張が解ける。
「しかし、ほんとに優等生やってるんだな。間近でその姿を見たことはなかったが、中学のときにあれだけ暴れまわっていた奴と同一人物とは思えなかったぞ。あのお友達も、俺とは正反対のタイプだろうしな」
「……お前のこと、俳優が不良を演じているみたいだって言ってたぞ」
初めは、珍しくきょとんとした顔。それからうつむいて、くっくと笑う。
「まぁ、わからないやつにはおとぎ話の世界なんだろう。しかし、俳優が演じている、ね。面白いお友達だな」
その奇抜な髪のせいだろうと思ったが、言うと怒られそうなのでやめておいた。
「なんにせよ、おまえが気にすることは一つもない。おまえと俺とは、住む世界が違うんだ。こうやって話していることさえ奇跡的なことだ。どうせ俺はろくでなしだからよ、真面目君には用はないんだ」
「そうだな、俺はタバコも吸わないし、喧嘩もしない……。ちなみに、そのケガは?」
「ん?」
山崎が唇の端をさする。
ついさっきまで気づかなかったが、少しだけ血の跡が残っていた。一昨日にはこんな傷はなかったはずだ。
「繰り返させるな。おめえには関係ねえよ」
「あそこまで来ていたことと関係がありそうだな」
別の質問をしたはずなのに、「繰り返させるな」というのはおかしい。それは、どっちの質問に対しても同じ答えになるからではないかと思った。
ち、と山崎が舌打ちする。
本当に詮索されたくないのだろう。あまり深く訊くつもりもなかったので、「悪かった」とだけ返して濁すことにした。
「……余計なことに頭が回るのは相変わらずだな。それともこっちに戻るつもりか?」
「そんなことがあるわけないだろ」
「そうだな」
なぜか山崎は俺の手元に視線を注ぐ。それから言った。
「わざわざそんな重い物を買いに徒歩で行くんだな。自転車でも使えばいいのに」
「……なんとなくだ」
「そういうことにしておいてやる」
俺は何となく見透かされている気になり、落ちつかなくなる。別に俺の言葉には何一つ嘘はないけれど、その奥にあるものを一瞬で理解されてしまった気がした。
――かなわないな。
山崎は、それから一言も発さずに立ち去っていく。
その背中が相変わらず大きく見える。かつて、お互いの背中を預けていたころと全く変わりない逞しさが、その背中から感じられる。
「ふぅ」
俺は、ため息を一つこぼす。
立ち話の影響で、腕の筋肉が少しずつ悲鳴を上げ始めている。山崎の背中が見えなくなったところで、俺も踵を返し、家路を急ぐように速足で歩くのだった。
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