SS③ 科学部の生態
たとえば、ゴリラの主食はバナナというように、誤った認識が定着しているものがある。実際には、野生のゴリラとバナナの繁殖地域は全く異なるし、動物園でもバナナ以外の食べ物をたくさん与えている。飼育下にいるゴリラがバナナを剥く姿が面白かったのか、甘いものが好きなのは間違いないからか、やたら誇張されたイメージがついてしまっている。
笹ばかり食べるイメージのパンダが肉食動物と言われていることとか、ライオンが百獣の王と言われるほど強くないこととかも同様だ。馬鈴薯=ジャガイモと思われているが、もともとは全く別の種類の植物であったものを江戸時代の小野という学者が誤って結び付けてしまっただけだったりする。
オタクに関しても同様なのかもしれないと俺は思う。
オタクはゲームやアニメが好きで、男女関係に疎く、コミュニケーション能力に乏しい。そのイメージが強いだろう。
確かに、そういうオタクは多い。俺が、オタクになる前(正確には不良だったころ)は、オタクというものはそのイメージ通りだと思っていた。単純にそういった人種に興味がなかったのもあるし、実際に俺の目に映る彼らの姿はイメージ通りに思えた。
けれど、俺自身がオタクという世界に足を踏み入れたとき、そこにはいろんな人間がいることに気づくことができたのだ。アーケードゲームに熱中している者、エロ小説ばかり読み漁っている者、運動部に入る傍らでラノベを濫読している者もいる。
結局のところ、人が物事を正しく認識するには、実際にその世界に入り込んで、自分の目や耳で感じ取るしかないのだと思う。
* * *
科学部は、オタクばかりだけど、これでもかというくらいに個性のあふれたメンバーがそろっている。部長は言わずもがな、その他の部員も余すことなく変人ばかりだ。
「34、35、36……!」
今、むさくるしいほどの熱気とともに延々とスクワットを繰り返しているのは、同学年の平沢という男だ。頭のてっぺんから足のつま先までやたらと黒光りしていて、笑うたびにやたらと白い歯が見える。彼は、ゲームを1時間やるたびにスクワットを100回やることをノルマとしており、定期的に立ち上がって汗をかくのだ。
「42、43、44……!」
彼の志は立派だと思う。その努力の成果は、彼の筋肉を見ていれば良く分かる。体力測定の際に、圧倒的成績を残したというのもうなずける。
……だからといって、手が届くくらいの距離で大きな声を出しながらやるのはやめてくれないかな。気が散る……。
「おい、平沢。汗が飛んだぞ」
怒って顔を上げたのは斎藤だ。画面をシャツの袖で拭って、わざわざ臭いをかいで顔をしかめている。平沢は、スクワットをつづけたまま応じる。
「49、50、いや、すまんな、51、52……」
「もっと離れてやれよ。奥の方とか」
「これから善処する。53、54、55……!」
期待のできない返答を受けて、斎藤はゲームを実験台のうえに置き、鞄からノートと筆記用具を取り出した。シャーペンでささっと何かを書いたあと、平沢に見せる。
「スクワットしながら、この計算をしてみろ」
「56……、ええと、8×2+1200÷40か……。57、ハハ、ネットでよく見かける、掛け算割り算から始めないやつをバカにするための問題みたいだな。答えは46だな」
「正解だ」
「当たり前だ。47、48……」
時蕎麦よろしく、こうやって平沢のカウントをずらして遊ぶのも日常茶飯事だったりする。平沢は、実際バカなので、こういうのに簡単に引っかかってしまう。溜飲を下げた斎藤は、笑いをこらえながらゲームを再開する。
「50、51、52、あれ……?」
少し違和感を覚えたようだが、そのままカウントを続行している。平沢が苦労するのは構わないが、この暑苦しさが延長されたと思うとあまりいいことでもない。
俺は、ゲームをポーズ画面から解除する。
と、今度は実験室の前方から騒がしい声が聞こえてくる。ボタンを操作しながら目線を配すと、そこには部長と並んでゲームをする男の姿があった。俺よりも1学年上、部長と同学年、倉橋という先輩だ。
部長と異なりイケメンで、社交性に満ち溢れている人だ。なぜ科学部なんぞに所属しているのかと不思議に思う。
そして彼もまた、受験生であるにもかかわらず余裕がありすぎる。もうじきセンター試験も始まるというのに足しげく部活に顔を出している。
「おまえとゲームやるとマジでつまらないな!?」
「今のはいくらなんでもプレイが雑だった。ガードがまだ残ってるのに↑強Pはないだろ弱攻撃を散りばめながら隙を狙えば勝機があったものを自ら放棄しただけだ無策でハンマーを取りに行く素人と同じだ」
「早口で何言ってっかわかんねえよ!」
そういえば、彼らは俺たちが部室に入る前からゲームをやっていた。受験のため、3年生は登校日数が少なくなっている。授業があってもそこまで長くはやらないので、彼らがいったいいつから部室にいたのか見当がつかない。
「しゃーねーな、もっかい!」
「いくらでもやるようん」
部長たちの周囲には、見物する部員の姿もある。部長の腕前は言わずもがなだが、倉橋先輩も相当にうまい。二人の対戦は、視聴する価値が十分にある。
今年の秋に発売されたばかりなのに、いったいいつ練習しているのかは不明だが……。
「ああ、くそ……!」
しばらくして、倉橋先輩の悔しそうな声が聞こえてきた。案の定、また部長にボコボコにされたらしい。
思えば、倉橋先輩は部長の対戦相手になることが多い。優しい人なんだと思う。
「もっかい!」
「うん」
にしても、倉橋先輩粘るな……。俺たちが来る直前に始めたとしても、2時間は一緒にプレイしている計算になる。
……まさか、現実逃避のためにゲームやってるんじゃないよな。
俺は心配になった。けれど、俺が考えても仕方のないことではあるので、大丈夫なのだろうと自分に言い聞かせることにした。
倉橋先輩も、部長ほどではないけど、頭がよかったはずだし……。
前方を観察しながらゲームしていたため、プレイが雑になってしまった。オプション画面を開いて最初からやり直すことにする。長時間ゲームをしていたせいで目が痛くなってきた。普段、勉強するときも近くばかり見ているから、また視力が弱くなってしまったかもしれない。目の周囲をほぐして、目薬をさしたところで、今度は実験室の後方から声が聞こえてきた。
「うへ、ぐへ……」
気味の悪い声を上げているのは、一番後ろの実験台に座り、一人でにやにやしながらマウスをクリックする男。彼は、目黒という一年生だ。科学部において誰かとつるむことが少なく、いつも一人でゲームをプレイしつづけている。
愛好しているジャンルは恋愛系だから、今もギャルゲをやっているんじゃないだろうか。背が低いうえに童顔だから、見た目だけなら愛くるしさがあるのだが、いかんせんこの本性を知っているととてもじゃないが可愛いと思えない。
「かわいいよぉ、ひひ、萌え、萌え~」
声変わり済みであることを疑いたくなる猫なで声で画面のヒロインに語り掛ける様は、オタクの俺らから見てもドン引きものだ。成績も運動神経も悪くなく、クラスにいるときはそこそこ人気者らしいという話を聞いたことがあるが、今の姿を見る限り信じることができない。
「アリスたん、ぐへ、ぐへへ……」
せめて、独り言をやめてもらいたいけれど、何度注意したところでこうなるのだから諦めるしかない。目黒は紗香と似ているかもしれない。外面はうまく取り繕っているのに、その内面がダメダメなところがだ。
「あいつ、相変わらずやべえな」
斎藤が、コーラを飲んでから、ゲップまじりにそう言った。
「確かにここまでくると怖くなってくるな。家ではどんな感じか気になる」
進藤が本を読みながらそう答える。
「家でもあの調子だとしたら、親からどう思われてんのかね」
「まあ、俺たちの知ったことではないがな」
それもそうだな、と返す斎藤。ゲームに飽きたらしく、進藤と同様に鞄から本を取り出すと進藤と並んでそれを読み始めた。
俺は知っている。紀〇国屋書店のブックカバーがかけられたその本が、エロ小説であることを。
彼らのなかから、エロ小説ブームは過ぎ去っておらず、小遣いをはたいては毎日のようにエロ小説を読みふけっている。最近は、ノ〇ターンというエロ専門のWeb小説サイトにまで手を出していると、二人で熱弁していたのを思い出す。
斎藤も進藤も、その目は真剣だ。目黒のように、即座にドン引きされることはないとしても、その実情を知っている人間からすると同レベルに思える。
……お前ら、よくそれで目黒についてあんなこと言えるよな……。
人の振り見て我が振りなおせと言われるが、彼らにはまさに適切な言葉だろう。目黒にドン引きしておいて、自分の行動にかけらも問題ないと思っているのが不思議でならない。
俺が、ジト目で見ていることに気づいたのか、進藤が顔を上げた。
「ん? 大楠、どうした?」
「いや、別に……」
そっと目をそらす。
進藤は怪訝そうな表情を浮かべたあと、すぐに血走った目に戻って紙面を眺めている。
ふぅ、とため息を漏らす。
――ここは変人の巣窟だ。それは間違いない。
俺は、改めてそんなことを思う。
初めてここに来たときのカルチャーショックは大きかった。世界にはこんな人間がいるのかと思うような変人がたくさんいた。今ではある程度慣れてしまったが、ふと我に返るとやっぱりやばいところだよなと思うのだった。
――ま、俺も人のこと言えないか。
ガリ勉野郎と言われてしまえばそれまで。自分も一般的の範疇かと問い詰められれば自信がなくなってしまう。目黒に対する進藤や斎藤のように、俺も自分の我がふりを見直しながら生きていかないと世間ずれしてしまうことになる。
だからといって、ずれていることが悪いことかと問われれば、それもまた違うだろうと思っている。この科学部が好きだし、部員一人一人の変人っぷりを見ていると、細かいことでくよくよする必要はないなと元気をもらえたりもする。
それが、この部活に入ってよかったと思えることの一つだ。
昔は全く興味のなかった世界ではあるが、足を踏み入れると案外楽しかった。やはり、自分で経験してみないとわからないというのは間違いないことだ。
急に甘い匂いが漂ってきたので、発生源をたどっていくとそこには筋トレを終えた平沢の姿がある。タッパーから取り出したバナナをくわえて、もう片方の手で汗をぬぐっている。
俺の視線に気づいたのか、平沢がタオルを置いてゲーム機を掲げた。
「大楠、暇そうならこれやってみないか」
画面に映ってるのは、最近出たばかりの新作ゲーム。断る理由もないので、俺はおうと答えて、汗のにおいの残る平沢の元まで近づいた。
――でも、ゴリラがバナナばかり食べるのは本当なのかもしれない。
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