SS⑤ クラスの美少女たち
うちのクラスで一番目立つ存在は誰かと訊かれれば、迷わず江南さんと答えることになる。初めて彼女の容姿を見た人間は誰もが驚き、思考が停止してしまう。そのあとに湧き上がる感情が、憧れ、恋慕、嫉妬――などなどあると思うが、なんにせよ人の気持ちをかき乱す結果になるのは間違いない。
そのため、うちのクラスの女子を語る際にまっさきに江南さんの名前が挙がり、それ以上の話になることが減ってしまっているが、本来であればもっと目立っていただろう人物はたくさんいる。
女子で言えば、藤咲と西川が間違いなくそうだろう。
藤咲は、江南さんよりも可愛いという言葉が似合う。大人びた魅力というよりも、同世代らしい気安さと可憐さを併せ持つ。派手さはないけれど、ニコニコとよく笑うし、人当たりがいいし、普通に話しているだけでも癒される。だから、男女問わず交友関係が広いのもうなずける。
その一方で、西川は藤咲とは全く異なる魅力を持っている。
西川の見た目は派手だ。黒ではない明るい髪色。ゴテゴテ、という形容がふさわしいくらいに顔には化粧をばっちり塗りたくっている。声が大きいし、感情表現が豊かだし、ギャルというものを体現するのであれば西川みたいな人間になるに違いない。
江南さんがあれほど難攻不落なので、西川や藤咲に思いを寄せる男子も少なくない。直接話すことはなくとも、ふとした折にそういったものを感じることがある。俺でも気づくくらいだから、本人たちにはもっとはっきりと伝わってきているのかもしれない。
* * *
「あぁ、いいなぁ」
昼休み。弁当を食べたばかりで眠くなってきたときに、俺の斜め後ろあたりからそんな声が聞こえてきた。野球部の金村というやつだったと思う。どことなく魚のカマスに似ているやつで、他の野球部からそんなあだ名で呼ばれている姿を見たことがあった。
そのカマスが目で追う先にいるのは藤咲だった。
藤咲は同じバド部の女子と話している。
いつもと変わらない笑顔だ。藤咲は大きく口を開けるような笑い方はしない。今も目を細めて、明るい声色で、椅子に座ったまま後ろを向いて笑っている。
カマスは、つい声を出してしまったというように、あわてて口をふさぎ、周囲を見渡した。見ていないフリをしてあげたので、しばらくしてから安堵のため息をこぼしていた。
正直なところ、カマスの気持ちもよくわかる。
容姿の優れた女子というのは、基本的に自分自身の価値をよく理解している。傲慢になるかどうかは人それぞれだが、自信の強さというのはにじみ出るもので、自分にそんなに自信を持っていない人間からすると気後れしてしまうところが少なからずある。
でも、藤咲は全くそんなことはない。
純粋培養のお嬢様育ちだからだろうか。ちょっとしたことに恥ずかしがるし、傲慢という言葉の対極にあるくらい物腰が柔らかい。天然記念物的な存在だから、遠目に眺めて「いいなぁ」なんてこぼしてしまうのも無理からぬことなのかもしれない。
――だから、あんな事件もあったわけだし……。
嫌なことを思い出してしまった。あのとき助けたのはたまたま俺だったが、俺じゃなくとも普通の男であれば間違いなく手を貸しただろう。嫌われる要素のない藤咲にあんなことをするなんて断じて許されることではない。
そんなことを考えていたからだろうか。つい、藤咲をまじまじと見つめたまま数秒間静止してしまった。その間に俺の視線に気づいたらしい藤咲と目が合ってしまう。
「……!」
びっくりしてしまった。それは向こうも同じようだ。
あわててそらす。しばらくしてからまた顔を上げると、藤咲が少し紅潮した顔でちょっと目配せする。それから、後ろの子との会話に戻った。
――ぼけっとしすぎだな。
物思いにふけると、周りが見えなくなることがある。気を付けなければ。
さっきまでせりあがっていた眠気がいつのまにかなくなっていた。少し寝る計画から変更して、鞄から参考書を取り出す。と、今度は教室の後方から別の声が聞こえてきた。
「えっ、マジ!? 知らなかった~」
その声の主は西川。おそらく、他クラスの教室に遊びに行っていたのだろう。西川ほどではないが派手な女子と一緒に教室のドアを開けて、中に入ってきたところだった。
「確かに、怪しい雰囲気あったな~。でも、宮ちゃんもやるねー」
「なー」
どうやらコイバナみたいだ。西川の声はいつもでかいので、だいたいの会話が俺の耳にも聞こえてしまう。だから、連続的な出来事は無駄に理解できてしまうのだ。宮ちゃんというのは、隣のクラスの宮下という男子生徒のことだろう。
「でも宮ちゃん、前はののちゃんに言い寄ってなかったっけ~?」
「あーね。あいつ、結構やばめな感じありあり」
「さっきーは知らないだろうしねー。ま、わたしらには関係ないけど」
「かえ冷たー。……ってか、かえー。もちじゅう貸して~」
「ほいよ~」
西川は案外JK語なるものを使用しないが、その友達は容赦なく使っている。俺だったら、「も、もちじゅう……?」と疑問を呈すところを華麗にモバイルバッテリーを手渡している。
受け取った女子生徒は、「あざまる~」と言って、ぽちぽちスマホをいじり始めた。
……やっぱり、西川たちは目立つなぁ。
今は、江南さんがどこかに行っているのか空席だ。どうしても一回は西川たちのほうに視線が吸い寄せられてしまう。友達と話しているはずの藤咲も、藤咲にため息をこぼしていたカマスも、西川たちのことを気にするようなそぶりがあった。
「これもこれでいいんだよなぁ……」
またぼんやりしたことをカマスが言ったので、驚いてしまう。さっきは藤咲で陶然としていたのに、浮気性なやつだな……。
とはいえ、これもこれで彼の気持ちがわからなくもない。
ギャルにはギャルの良さがある。もっと言えば、独特のエロさがある。彼女らのスカートは他の女子生徒よりも短いし、醸し出される色気みたいなものがあるのだ。特に西川は、派手さのなかに大人びたところがあって、それもまた人気の秘訣だろうと思っている。
カマスは、やはり口をふさぎ、きょろきょろ見渡しているが、これだけ独り言が多いと俺以外にも聞いてる人がいそうだな……。
参考書に戻ろうと視線を落とす。
実のところ、そろそろ受験も視野に入れないといけない。高校2年ではまだ早いという意見もあると思うけど、3年は社会科系など暗記をメインにしたい。英語や数学は積み重ねていける部分なので、早めにマスターしないと俺の目指す東橋には届かないんじゃないかと考えている。
昼休みに買ったお茶を飲む。シャーペンを回しながら、参考書の文字に目を通す。
こんな時間に勉強をしている人間なんて俺しかいない。いや、もしかしたら、宿題やってないなどの理由で机に向かっている人もいるかもしれないが、自主的に勉強しているのは俺くらいのものだろう。斎藤や進藤がいたら、絶対に邪魔してくるだろうな。
何問か解き終えたところで、またお茶に手を伸ばす。が、弁当を食いながらほとんど飲んでしまったせいですぐに空になってしまった。
……買いに行くのは面倒だな。
我慢できないほどではないので、諦めることにする。窓わきに置いて、次の問題に目を通しているところで今度は前のドアが開く音がした。
今度は江南さんだ。
江南さんの一挙手一投足には、どうしても視線が集まる。なぜか一瞬だけ、空気が凍り付いたような錯覚があった。
江南さんは、すたすたと淀みなく教室の前方を通りすぎる。と、なぜか自分の席には向かわず俺の席の前で立ち止まった。仕方なく、俺はペンを動かすのをやめた。
「……ん?」
「はい」
俺の疑問に返事をするどころか、さらに疑問符を湧かせるようなことをしてきた。なんでか知らないが、俺に差し出されたのは500ミリペットボトルの水だった。
「……ん、んん?」
「おごり」
「え? なんで? え?」
「ま、これもお礼の一つ」
江南家の掃除のことか。まぁ、労働の対価としては安いが、これも江南さんなりの誠意なんだろう。俺は素直に受け取ることにした。
「ありがとう」
「ふふ」
なにがおかしかったのか、笑っている。そのまま、俺の横を通り過ぎ、自分の席に戻ってしまった。当然のことながら、注目の的になってしまったので気恥ずかしくなる。
――いい匂いだな、なんて思ってしまった。
ペンをまた動かす。なんにせよ、飲み物が補充されたのはありがたかった。江南さんが俺の生態を理解していたのかはわからないけど、非常に気が利いている。
しばらくそのまま勉強していた。斎藤と進藤が珍しく長時間席を外していたので、集中することができた。
それから5分くらいして――
「お、大楠君……!」
誰かの声。
手を止めると、そこにいたのは藤咲だった。両手を胸の前で重ねて、俺の席の前に立っていた。なぜか前のめりになっているので、俺は、少し背中をのけぞらせる。
首をかしげる。
「どうした?」
「あの、あのね……」
妙に歯切れが悪い。机の上に置かれたミネラルウォーターのペットボトルを一瞥してから、血走った眼で言った。
「ま、また3人で……どうかな?」
最初、なんのことかわからなかったが、数秒考えて理解した。
「……ええと、もしかしてカラオケのことか。前回俺が行けなかった……」
「そう……。リベンジってことで……どう?」
断る理由は全くない。俺は、藤咲の勢いに気圧されながらこくこくとうなずいた。
「紗香には俺から伝えておくよ」
藤咲の顔がぱぁっと明るくなる。
「よかった……! じゃあ、また連絡するね……!」
「おう」
ぱたぱたと駆けて自分の席に戻っていく。さっきまで藤咲と話していたはずの女子生徒が小さくガッツポーズをしていた。
――いい加減、はっきりさせないとな……。
人差し指で頬をかく。
やっぱりこういうのは変な気分になる。
西川たちと違ってあまり声は大きくなかったし、ほとんど周囲には聞こえていないはずだ。後ろの斎藤や進藤たちもいないし、隣の席も空席のままだ。
「F〇CK……!」
不穏な声が聞こえてきたので、びくっと体を揺らす。その声のするほうにいるのはカマスだ。爪を嚙み、死ねという感情を視線に込めていた。見なかったことにして前を向きなおすが、その背中から死ね死ねオーラが伝わってくる。
やっぱり、俺って恵まれているのかもしれない。知らぬ間に敵を作っているなんてことも普通にありそうだ。
今後は気をつけようと思いながら、汗ばんだ手でペンを握り締める。
―――――――――――――
SSはあと1話の予定です。
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