第58話 完成

 そこからの展開はスムーズだった。


 油を敷いてからフライパンに野菜を入れ、菜箸でつつきながら火を通す。途中で塩コショウを振りまき、焦げる前に皿に盛りつけた。


 江南さんの初めての料理かもしれない。


 すべて江南さんが切ったから、形はふぞろいで、大きさもちょうどよくない。でも、初めてにしては上出来だ。軽く味見をしてみるが、味付けも悪くない。


「お金をとれるレベルかな」


 やたら高い江南さんの自己評価を聞いて、俺はずっこけそうになる。


「いや、そこまでじゃ……」

「そう? ほら、200円くらいなら売れそうじゃん」

「あ、でも……別の方向で攻めれば、1000円でも2000円でも売れるかもしれない……」

「キモイこと言わないで」


 冗談はさておき、200円だと半分くらい材料費じゃないかと思った。最近の野菜は高い。


 正直これだけだとおかずとして物足りないので、もう一品くらい追加することに。


 卵焼きだ。


「あー、はいはい。卵割って、丸めればいいだけでしょ」

「まぁ、そうだけど……できる?」

「わたしを誰だと思ってる?」

「家庭科サボりまくったせいで、ニンジンの皮を剥くことも知らない江南さんだと思ってるけど」

「野菜炒め作れたわたしなら余裕」


 やたら自信がついてしまったみたいだが、野菜炒めなんて超簡単だ。卵焼きも難しくはないが、初心者は形を崩すことが多い。


 ……そもそも卵を割ることができるのか……。


 ボウルを江南さんの前に置く。卵を一つ手にした江南さんは、軽く調理台に叩きつけた。


「ひやひやするな……」

「大丈夫だって」


 ほどよくひびが入ったそれを開こうとした瞬間、殻の片方があらぬ方向に飛んで行ってしまい、内容物が斜め方向に落ちて、ボウルを外してしまった。


「……ちっ」

「舌打ちしてるけど、明らかに悪いのは江南さんだからね!?」

「わかってる。次こそうまくやるから」


 床に落ちた分は、俺がきれいに掃除してあげた。


 さすがに何度も失敗する江南さんじゃない。今度はうまく割って見せた。黄身も崩れていない。さらにもう一つも上手く割った。


 菜箸でかき混ぜて、洗ったあとのフライパンに投入する。ちなみに、この家に、卵焼き用のフライパンはない。


 弱火で熱を加えながら、フライパンを前後左右に動かし、薄く引き伸ばす。


「……」


 江南さんは集中している。少しずつ少しずつ丸め始めた。だが、


「あ」


 真ん中のほうに亀裂。そこから徐々に形が崩れていった。


 こうなってしまったものはしょうがない。最終的に出来上がったのは、一応形にはなったものの、明らかに不格好になってしまった卵焼き。


「これは、さすがに売り物にならない……」

「うん、どっちもだけど」


 これも、別の売り方をすれば、いくらでも売れそうな気はするが。


 そして、作る料理は残り一つとなった。


「ふぅ……」


 さっきまでと違い、江南さんの顔には緊張の色が見られる。それは、この料理が自分のためではなくて、他人に食べさせる料理だからだ。


 鍋の中の水を沸騰させてから、パックのお米を入れる。かき混ぜて、米が固まらないようにする。さらに、溶いた卵とネギを追加した。


 俺の指示に従いながらも、江南さんはどこか上の空だった。


 味付けの塩をぼけーっと振りかけるものだから、あわてて手を押さえつけた。


「入れすぎ、入れすぎ」

「あ、うん」


 この料理に対しては、江南さんも思い入れがあるはずだ。


 病人に出す料理として定番のおかゆ。

 俺が初めて挑戦しようとしたときに作った料理だ。


 これもまた決して難しくはない。俺が近くにいれば、失敗することはないはずだ。

 だが、問題はそこじゃない。


「……」


 江南さんは、執拗に鍋の中で菜箸を動かす。目線はずっと、水の中を舞う米粒のほうに向いている。


 静かだ。ガスで火が燃える音、湯だつ水の音、それから、江南さんの息遣い。


 料理として、一定のレベルに達することと、その料理が相手に受け入れてもらえるかは別問題だ。


 果たして、食べてもらえるのか……。


「ありがとね、ほんとに」


 いつになく穏やかな声で、江南さんはそう言った。


「たぶん、わたし一人だったら、困ってたと思うから。いろいろとね」


 きっとそれは、料理のことだけじゃないんだろう。一人で立ち向かうには、どうしても勇気がいる。少なくとも、今までの江南さんは逃げていた領域だ。


「やっぱり、料理なんて疲れるけど。今日は、これでよかったと思う。結果がどうなったとしても、必要なことだったって間違いなく言える。何もしないよりは、やっぱり当たって砕けたほうがいいからさ……」

「これからも相談くらいには乗るよ」

「……生意気」


 徐々に、俺に見せられる江南さんの本当の表情。


 それは、凍てつくような視線を放っていたころとは全く異なる、普通の女子高生としての顔だった。


 こういう顔を見せられるたびに、俺のなかで、もっと別の表情も見たいという感情がうごめきだす。それは、どう取り繕おうとしても、間違いのない事実だ。


 だから、今まで江南さんの無茶苦茶に付き合ってきたのだと思う。


 話している間に、鍋のなかのおかゆは十分に柔らかくなったようだった。江南さんにもそのことを伝える。


 江南さんは、小さくうなずいた。料理を作り始めてから、すでに1時間近くが経過していた。


 菜箸が調理台のうえに置かれる。茶碗が食器棚から取り出される。


 それから、江南さんの手がコンロのつまみに伸ばされた。


 俺は、エプロンを外して、腕の中で丸めた。


 弱弱しく揺れていたコンロの火が、その役目を終えて、そそくさとバーナーの奥に引っ込んでいった。


――――――――――――

ここから先の更新は、どうしても滞りそうです。

2章完結まであと少しなので、なるべく早く更新するようにしますが、いろいろやらなくてはならないことがありまして……。


いい報告ができるように頑張りますので、お待ちいただけるとありがたいです。

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