第52話 悶々

 おそらく、俺たち以外も一緒に行く人などいないだろう。一度、一緒に行けば、もう二度とあんな目に遭いたくないと思うはずだ。


「ちなみに、この話、絶対に教えないでよ」

「ああ、確かに。教えるとやばそうだな」


 ただでさえ、カラオケ好きの親父だ。俺たちが行くと知ったら、なにがなんでもついていこうとするかもしれない。また、藤咲を家に招いたときの惨状を考慮すると、「将来の息子の嫁に挨拶だ」と言い出したりすることも考えられる。


 ……ほんとだめだな、何が何でも隠さないと。


「もし万が一、親父が一緒に来たら藤咲にトラウマを植え付けることになる。あんな経験誰にも味あわせたくない」

「そうそう。犠牲者をこれ以上増やしちゃダメ」


 不思議なことに、親父はヒトカラを何度もしてくるくせに一向にうまくならない。どうしてそのことを知っているかというと、帰ってくるときに「何点だった」と聞いてもいないのに教えてくるからだ。


 一般的にはかなり低い点数だが、親父はそうと気づいていない。幸せな人だ。


「鼻歌を歌う時ですら寒気を感じるくらいだからな。いや、でも、あんだけ音程ずれた鼻歌をよく歌えるよな」

「あたし、上機嫌なときは近づかないようにしてる。あの鼻歌を聞いてると、耳が壊されそうになるから」

「ふんふん言ってて何の歌かもわからないのに、明らかにめちゃくちゃで気分が悪くなるもんな。親父が職場でも鼻歌を歌ってると思うと気が重いよ」

「うわ、それマジ最悪……」


 一種の公害だ。一度ノると止まらないので、何を言っても無駄だ。いつか終わるのをひたすらに待つしかない。


「音って、どうしたって防げないからマジ迷惑。ほんとにあの人友達いるのかな」

「いるのかもしれないけど、まぁ、それ以上に嫌われてるかもな」


 性格は決して悪くない。俺自身も、父親として尊敬していないわけではない。なんだかんだ頼りになるときもあるし、俺のことも温かく見守ってくれている。


 だが、それとこれとは別問題だ。


「親父の部署はデスクワークが基本だから、鼻歌が四方八方に聞こえてるだろうな。考えただけで恐ろしい」

「テレビとかで見るオフィスって仕切りとか基本ないじゃん。絶対聞こえてる」


 ほんとによく結婚できたものだ。母さんは聖人かなにかだったのだろう。


 紗香は、スマホをいじりながら、


「まぁ、あの父親のことはどうでもいいや」


 急に話題をぶった切ってくる。俺は苦笑いした。


「どうでもいいってひどいな」

「クソ兄って、藤咲さんとどこまで行ってるの?」


 突然放り込まれた質問に、俺の心臓が跳ねる。紗香の視線が、スマホの画面と俺の顔を行ったり来たりする。俺は、何のことだ? とすっとぼけた。


「何の事って……。いくら朴念仁のクソ兄でもそれくらいわかってんでしょ。恋愛の話」

「お前も、コイバナとかするんだな~」

「さっきからわざと? 質問に答えて」


 実際、わざとだった。どう答えればいいか窮してしまう。


「もう一度訊くよ。どこまで進んだの?」

「別に、俺と藤咲はそんなんじゃ……」

「嘘。隠れオタのセンサー舐めないでね。あたし、普段から人の顔色伺ってるからいろいろわかっちゃうもん」

「……なんだそれ」


 軽口をたたきながらも、俺は最善の道筋を探す。告白まがいのことをされたなんて誰にも言いたくなかった。


「藤咲さんのことどう思ってるの?」

「それ、親父と同じこと言ってるぞ」

「お、同じにしないで! だいたい、藤咲さんのいるところで言ってないでしょ」


 よっぽど一緒にされたくないらしい。かわいそうな親父……。


「そもそもなんでそんなこと訊くんだよ。おまえには関係ないだろ」

「関係ないけど……でも……」


 歯切れが悪い。もしかしたら、藤咲と接するうちになにか勘づくことがあったのかもしれない。紗香のセンサーがバカにならないのは事実だ。俺の表情の変化にも敏感に気づいたりする。


「今回のカラオケも、藤咲さんから言われたんでしょ」

「……まぁ」

「ちゃんといろいろ考えたほうがいいんじゃない。ほんとに」


 紗香の言っていることになんら間違いはない。考えなければいけないのは俺自身もわかっている。


 しかし、そのことを考える=過去のことに向き合うことでもある。自分で自分を許せるのか。ちゃんと前に進む意志を持てるのかどうか。


「ちなみに、あたしの個人的感想を言うと……」


 さっきまで見ていたスマホの画面を落とした。


「あんなにいい人いないと思う。あんなに純粋な人っているんだなってびっくりしたもん。高校生にもなれば、擦れた考えの一つや二つ持ってるものだけど、あの人はそんなこと全然ない。クソ兄みたいなどうしようもない人には、ありがたい存在じゃない?」

「どうしようもないかどうかはともかく、藤咲の性格がいいのは間違いないな」

「優しいし、可愛いし、頭いいし、人の悪口とか絶対言わなそうだし。ザ・理想の女の子って感じ。そう思わない?」

「……」


 何とも答えられない。とどめのように言われる。


「あたしは、あの美人よりも好きだな」


 ……完全に藤咲の気持ちに気づいている。そのうえでの発言だ。俺に男としての責任を問うている。


「とりあえず、日曜、ちゃんとしてね」


 それだけ言って、紗香がパソコンに向き直る。俺の存在など気にもせず乙女ゲームを立ち上げてヘッドフォンを耳につけた。話はもう終わりということだろう。


 こうなるとどうしようもないので、俺は、紗香の部屋から出る。


 自分の部屋に戻ってからも、紗香の言葉は俺の頭から抜けなかった。


 俺には責任がある。そのことは重々承知している。


 いつまでもこのことから逃げることはできない。真面目に考えなければ。


 俺は、一晩中、悶々とする羽目になった。

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