第51話 音痴な人
紗香に藤咲から誘われたことについて話すと、二つ返事で了承を得られた。誘われたことが相当嬉しいらしく、「何着てこうかな」と今からワクワクしている様子だった。しかし、俺も行くことを付け加えると露骨に嫌そうな顔をする。
「えー。なんで一緒に?」
「そんなに俺がいるのが嫌?」
「嫌」
かなりはっきりと言われる。俺は内心傷ついた。
紗香の部屋のなか。最近、藤咲が来たおかげでだいぶ部屋が片付いている。いつもは部屋の隅に貯められていたゴミもすべて回収されているし、机のうえも教科書や参考書が整理されている。
こういうふうにいつもしてくれれば楽なんだけどな。
俺は、ため息をつく。
「別にいいだろ。俺だって楽しみにしてるんだ。大人数ならまだしもたった3人だし、藤咲とは普通に話せると思うぞ」
「そういう問題じゃない。家族がいるとなんか気恥ずかしいじゃん」
「俺は全くそう思わないけどな」
思春期らしい感想だ。いつも子供扱いをしているので、そのことを危惧しているのかもしれない。
「で、どこ行くの?」
「カラオケ」
「なるほど、悪くないチョイス」
カラオケに行くこと自体は大好きな紗香。少しだけ機嫌が戻ってきたようだ。
「クソ兄も隅に置けないねー。藤咲さんとのデートで、あたしをダシに使わないでくれる?」
「そんなつもりはない。単純に藤咲も紗香と会えなくなるのは寂しいから、と言ってたからな。同じ学校だけど、やっぱり学年が違うとなかなか話す機会もないし」
「そ、そう……」
照れくさそうにする。紗香は、こういうときに素直に喜べないところがある。今も、唇の端をぴくぴく動かしているだけで、なるべく表情に出さないようにしている。
「じゃあ、藤咲にはOKと返事しておくな」
「うん」
俺はポケットからスマホを取り出して、ラインでぱぱっとメッセージを送る。ちょうど向こうもスマホを見ていたらしく、すぐに既読がついた。やがて、ニコニコ顔のスタンプが届いた。
紗香と話しながら時間を決め、藤咲に伝えると了解の旨が送られてくる。スマホをポケットにしまいなおした俺は、紗香にもそのことを伝えた。
「じゃあ、日曜13時に隣駅で。あそこならカラ館あるから」
「うん。そこでいいと思う」
家族で一度だけ行ったことがある。そこまで機種が古くないし、部屋も狭くない。
「……クソ兄と行くの久しぶりかも」
「まぁ、お前と二人で行くことはまずないもんな」
「だって、クソ兄、あたしの知らない曲ばかり歌うんだもん。懐メロってやつ? 1990年代とか2000年代前半ばっかじゃん。あたし、そんな聴かないし」
「お前も、よくわからない乙女ゲーの主題歌ばかりだろ」
「ざんねーん。あたしは最新の流行曲は全部聴いて歌えるようにしてあるから。藤咲さんの前でそんな歌選ぶわけないでしょ」
「さすが隠れオタ……」
紗香の数少ない友達にも、オタ趣味のことを隠していたはずだ。その友達とカラオケに行くときのために準備しているのかもしれない。
逆に、俺は、アニソンを除くと最近の曲にあまり詳しくない。子供のころに聞いた曲とオタ趣味で知った曲が俺のレパートリーだ。そういう意味では紗香と大差ない。
「変な曲歌うのだけはやめてよね。あたしもそうだけど、オタ趣味全開の曲を歌っても藤咲さんに白い目で見られるだけだからね」
「そこらへんは俺もわかってるよ。みんなが知ってそうな曲だけ歌うから」
紗香があまり詳しくないだけで、90年代00年代のヒット曲は、今なお聴かれているものが多い。CDがめちゃめちゃ売れていた時代だ。当時のアーティストの人気たるや、社会現象を巻き起こすレベルだったらしい。
「紗香もときどき音程外すから気を付けたほうがいいぞ。ちゃんと片耳塞いで自分の声が聴けるようにして――」
すると、顔を真っ赤にした紗香が大声を出す。
「う、うっさいな! ほっといてよ! 別に、クソ兄もそこまでうまいわけじゃないでしょ」
「そうだけど。まぁ、こればっかりは遺伝かもしれないなぁ」
そう言うと、紗香は苦笑いして視線を横に流した。
俺と紗香が一緒にカラオケに行かないのは、もう一つだけ理由がある。家族ぐるみでカラオケに行くことがないからだ。
それは、親父と一緒に行きたくないからに他ならない。
「まぁ、どっちにしても、あの父親よりはマシか……」
遠い目。
俺は今でも鮮明に覚えている。だいたい2年くらい前のことだろうか。親父が急に「カラオケに行こう!」と言い出して、断る理由もなかった俺と紗香は同伴することにした。
そのあと待っていたのは地獄。
一つ、親父は音痴だった。音程という概念を忘れてしまうくらいに高音と低音が謎の脈動を繰り返す。聞いていて怖気がしてくるレベルだった。
一つ、親父は順番を無視してくる。下手の横好きというべきか。「あ、ちょっとあれ歌いたくなった~」と思い立ったら、連続でガンガン入れてくる。文句を言おうにも、あまりにも上機嫌なものだから、ろくに聞いてもらえない。
俺たちのトラウマだった。
あれ以来、どれだけ親父に誘われようと絶対に一緒に行くことはなかった。そのため、親父がカラオケに行くときは、常に一人だ。
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