第53話 待ち合わせ

 結局、すぐには結論は出なかった。その代わりに、俺に降りかかってきたのは江南さんからのライン。そのラインには、早速土曜にお願いできないかという内容が書かれていた。


 もちろん、料理を手伝う件のことだ。


 藤咲たちと一緒に遊ぶのは日曜日。当然、何の問題もないので、二つ返事で了承した。


 これで、江南家に行くのは最後だ。


 若干の後ろめたさはあるものの、今さらやめるなんて選択肢はなかった。江南さんから、最初にこの依頼を受けたときと同じ。自分のできる限りのことをしたいと思っている。





 土曜日。


 約束は夕方くらいだったので、それまではひたすらに勉強と、ときおりゲームをした。一応、科学部のはしくれとして、ある程度のレベルは保っておきたい。レーシングゲームは、期間を空けると感覚が狂ってうまく操作できなくなることがある。


 そんなふうに過ごしていると、あっという間に家を出る時間となった。身だしなみを整えてから、玄関へと向かう。と、階段の足音が気づいたのか、紗香も一緒になって一階に降りてきた。


「なんだ? 紗香」

「どこ行くの? 買い物って感じじゃないね」

「ちょっとした野暮用だ。ちゃんと夕飯時には帰るから」

「ふーん?」


 どこか怪しんだ表情。しかし、それ以上の追及はしてこなかった。これ以上訊いてもどうせ答えないと思われたのかもしれない。


 電車に乗って、待ち合わせ場所である駅の出口に到着した。


 まだ、江南さんは来ていない。スマホの画面を見ているが、特にメッセージはない。待っていればそのうち来るだろう。


 10分くらいして……


「いたいた」


 背中から声が聞こえた。すぐに江南さんの声だと分かった。遅れたことにちょっと文句を言おうと思って振り返った瞬間、俺はその言葉を飲み込んだ。


 久しぶりの私服姿。いつぞやに、深夜に呼び出されて以来だ。


 ハイウェストのスカートに、紺色のニット。そのうえから黒いコートを身にまとっている。


 前に見たときよりも、少しおしゃれな格好になっている気がする。女性のファッションのことなどよくわからないが、無意識に黙り込んでしまうくらいよく似合っていた。


 紗香も似たような服は持っていたと思う。なのに、今の江南さんからは高校生を超越した色気が醸し出されている。実際、駅前を歩く人の注目を集めていた。


 しばらく黙り込んでいたら、江南さんがクスっと笑った。


「口開いてるよ」


 俺はあわてて手で口元を覆う。バカにされたのがわかったのでむかついた。しかし、反論する気も起きない。


「どう、この恰好。久しぶりに服買ったんだけど」

「……いいんじゃないか。普段と比べて全然雰囲気が違う」

「そ。ま、ちょっと高かったけど、悪くない買い物だったかな」


 今日は、いつもよりも江南さんの機嫌がいい気がする。いや、食堂で話したときもそうだった。江南母の調子がよくなったことが、江南さんにも良い影響を与えているのかもしれない。


「バイトしまくってたから、自分の金は結構あるからね。あんたの腑抜けヅラを見られただけでも、収穫は十分」

「ちょっと驚いただけだから! んだよ、まったく……」

「はいはい」


 油断してしまったことが悔やまれてならない。勝ち誇った顔をされてしまった。


 俺と江南さんは、並んで歩きはじめる。


 肩と肩が触れ合いそうな距離。ドキドキしてしまっている自分がいた。こんな心境を表に出したらどれだけイジられるかわからないので、懸命に表情を押し殺す。


 西川と三人でいるときとは緊張感が違う。


 江南さんと二人で江南さんの家に行く。そんな事実に気づいて、なんだか変な気分になる。隣を歩く江南さんの姿には慣れているはずなのに、髪の毛が揺れる感じ、空気を介して伝わってくる体温が、やたらと俺の脳裏をかき乱していた。


 いつも帰るときとは逆方向。分岐点であるいつものT字路を抜け、街の奥に入りこんでいく。


 しばらくお互い黙っていたが、江南さんが急に噴き出した。


「な、なんだよ……」

「ううん、なんでもない」


 このまま口を開かないでいると、また江南さんに「童貞」と言われてしまう。そう直感した俺は、適当な話題を探す。


「バイト今どれくらいしてるの?」


 とりとめのない話題。さっきも少し話題に上ってたから、違和感はないはずだ。


「ん? ああ。今は週3。月曜と水曜と金曜。休みの日は入れないことにした」

「それも機嫌がいい理由?」


 江南さんの顔から疲れも引いている気がする。決断してからの実行が早いなと思った。長期休暇で一回だけバイトをしたことがあるが、やめようと思ってすぐやめられる雰囲気じゃなかったと思う。


 それでも強引に自分のペースで動くあたり、本当に江南さんらしい。


「そんなに機嫌よさそう?」

「自分が普段どれだけ不機嫌そうか理解していないのか……?」


 俺や西川といるときは大分マシではある。それでも一般人と比べて明らかに不愛想だった。当然、俺たち以外に対しては、不愛想なんてレベルじゃない。


「おおげさ。今に始まったことじゃないけど」

「まあ、でも。落ち着いたようならよかったよ。風邪ひいていたときなんて、西川、すごい心配してたから」

「それもおおげさ。ま、心配かけたのは悪かったと思うけど」

「ったく……」


 いつもこれだけ機嫌がよければ、俺も西川ももっと楽なんだけどな。しかし、俺が知らないだけで、元々の江南さんはこういう人間だったのかもしれない。


――――――――――――

2章20話・38話を手直しするので、次の更新は少し遅れます。

話の内容は変えません。

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