第49話 なぜ
藤咲と二人並んで廊下を歩いていた。
手には大量のプリント。俺のほうが多く持っているが、藤咲も相当きついはずだ。クラスの人間一人につき一枚であれば、何の問題もない。しかし、一人につき何枚も配ることになる資料なので、俺も藤咲も後ろに重心が傾くほどの量を持たされていた。
これは、政治経済の先生に頼まれたものだった。城山先生ほどではないが、学級委員を自由に使っていいと勘違いしている。別の先生経由で話を聞き、職員室まで行った俺たちは、そこに山積みされた資料に頭を抱えた。
「ちょっと、きつくなってきちゃったかも」
「すまん……俺一人で持てればよかったんだが」
「あ、ううん! そんなこと気にしなくていいよ! 大楠君だけに任せるなんて絶対にしないから」
そんなことを言ってたからか、藤咲の腕に抱えられたプリントが崩れそうになる。俺は、藤咲の前に回って、そのプリントを肩で支える。
「危ないぞ」
「ご、ごめんね……」
プリントのうえのほうを藤咲がおさえる。
実を言うと、さっきから藤咲は挙動不審だった。受け答えの声が、いつもよりも少し高い。ときおり転びそうにもなるし、目線があちこちに泳いでいる。
たぶん、俺のせいだ。
結局、今の今まで返事ができていない。そのせいで、藤咲はいつ俺の返事が来るのかとビクビクしているのだと思う。必ず、どこかのタイミングで、と考えているが、なかなか自分の気持ちを整理できていない。
「なにも、わたしたち二人に任せなくてもいいのにね。こんなにたくさんあるって知ってたら、他の子にもお願いしたのに」
「あの先生、そういう配慮できないからな。たぶん、『プリント俺一人じゃ運べない、とりあえずあの二人に頼むか』くらいしか考えてないよ」
いい先生ではある。教育熱心だし、だからこそこれだけ大量のプリントを作ってしまう。
あとはもう少し俺たちのことを気遣ってくれるとありがたい。
「これ、内容見た?」
「ううん。わたしは見てない」
「さっきざっと見たけど、なんか別の参考書のコピーみたいだった。難しそうだったから、配ったところでほとんど見る人はいない気がする」
「えぇ……そうなんだ」
オタク気質なところがあって、授業中も生徒の反応など無視して過熱することがある。一人でべらべらしゃべって、結局本筋とは関係のないところに着地することもざらだ。
あまりテストに役立たないから、熱心に聞く気のない生徒も多い。話自体は面白いのだが、いかんせん話が長すぎる。
「大楠君は大丈夫? わたし、腕が疲れてきちゃった」
「大丈夫大丈夫。どうにかなるレベルだから」
「うん……」
沈黙。プリントが重いせいで、早く歩くことができない。次に何を言おうかと考えるけれど、ぱっと思い浮かばなかった。
普段であれば、何も考えなくても話題がつづく。藤咲とはそれくらい気安い仲だ。
今は、俺にも心に引っかかりがあり、うまく接することができない。
藤咲もそれは同じみたいだ。何を話そうか考えていて、しかし、すぐには思いついていない様子。しばらく、無言の時間がつづく。
教室までは、まだもう少しある。普通に休み時間を楽しんでいる生徒たちが俺たちのわきを通り過ぎていく。
「あの……」
沈黙を破ったのは藤咲のほうだった。なに? と返すと、藤咲はすごく言いづらそうに、
「食堂では、江南さんと何話してたの?」
俺は言葉に詰まった。
あのとき、かなり多くの生徒にその現場を目撃されていた。藤咲の耳に入るのも当たり前だろう。
「……それは」
「ごめんね、意地の悪い質問しちゃって」
「いや……」
今の状況を紗香に見られていたら、烈火のごとく怒られそうだ。
「やっぱり、答えられない?」
どうしようか迷った。全部を話すことはできないが、少しくらいは教えたほうがいいのかもしれない。ただ、かなり繊細な問題である以上、慎重さが求められる。
藤咲は不安そうな表情を浮かべている。俺はそこで決心がついた。
「……ある頼みごとをされているんだ」
言った。心の中で、江南さんに謝る。
「その内容を詳しく説明することはできない。でも、それはかなり重たい問題で。俺も、よくわからない形で巻き込まれた感じだから、そこまで深く入り込んでいるわけじゃない」
「うん」
「そのことで、江南さんから話があったんだ。もう大丈夫だって」
「そう、なんだ……」
嘘ではないと示すために、藤咲の目をまっすぐ見据えた。これくらいの情報であればもっと早く教えるべきだったかもしれない。
「だから、深い意図とかあるわけじゃないんだ。こういうふうに、江南さんや西川と一緒に行動することはほとんどなくなると思う」
「一つ訊いてもいい?」
「え、うん」
藤咲の足が止まる。それに合わせて俺も足を止める。少し間をおいてから、藤咲が言った。
「そんなに大事な問題なのに、どうして、江南さんは大楠君に頼んだりしたのかな?」
俺は答えられなかった。それは、俺自身もわからないことだからだ。
でも、そこにはなにか理由があるような気もしている。
「なにか、あるの?」
「いや……」
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