第47話 江南母の微妙な変化 

 いつのまにか過去のことを思い出していた。


 それは、俺が弁当を食べている途中だったからだろうか。自分の二段式弁当箱には、色とりどりのおかずが詰め込まれている。紗香、親父にも作っているから、あまり冷凍の物は使わず、手作りのものが多い。昨日の晩飯の残りも半分くらいあるが、残りの半分くらいは朝に作ったものだ。


 自分で言うのもなんだが、だいぶうまくなった。一日たりとも、料理をしない日などない。日々の積み重ねによって、少しずつ上達した。4年前と比べるとスキルが全く異なる。


 今、弁当箱に入っている卵焼き。初めて作ろうとしたときは、丸めようとしたときに形が崩れてしまってスクランブルエッグに似た有様だった。味付けも、形も、売り物になるレベルにまで成長した。


 隣に入っているごぼうの煮つけ。包丁が上手く使えず、バラバラの大きさになっていたけれど、今では均等なサイズで盛り付けられている。


 俺は、昼飯を食べる時間が好きだ。自分の料理に自信があるし、自分好みの味付けに調整しているので、単純に食べていて美味しい。新しい料理にチャレンジしたときは、冷めてもなおうまいかどうかを確かめるのがドキドキする。


「……」


 静かだ。俺も、前の二人も黙々と飯を口に運ぶ。


 そこにいるのは、いつものように齋藤と進藤――ではなく、なぜか江南さんと西川。気まずい空気だった。そもそも何でこんな目に合っているのだろうか。


 現実逃避で過去のことを思い出してみたが、どっちにしろ目の前の事実は揺らがない。ここは食堂の一角。当然ながら、視線を集めている。西川と江南さんだけでも目立つのに、そこにポツンと居座る謎の第三者。すでに付き合っているだの付き合っていないだのと言う噂もあるらしいので、さらに尾ひれのついた噂話が咲いているに違いない。


 西川が、沈黙に耐えきれなくなったようで口を開く。


「現代文の授業は、ホント眠くなるよね~。真面目に聞こうとしても、勝手に瞼が閉じちゃうんだよねー。あのセンセも注意しないしさ」

「ああ」

「寝てる間に、つけま取れちゃったよ。周りからも寝息しか聞こえないし」

「そうだな。俺もちょっと寝ちゃったし」


 とりとめもない話。実際、西川の目は少し赤くなっていた。


「てか、気づいたらもう12月も近いし……。そしたら期末だよ~。あーあ、あっという間」

「もっと嫌な知らせを言うと、一年後には受験が本格化してる」

「考えたくない~!」


 俺たちが話している間、江南さんは口を開かなかった。黙々と買ったパンを食べている。あまりたくさん食べるほうではないようで、サンドイッチとサラダパンだけ。


 機嫌が悪そうにも見えない。ただ、しゃべる気がないだけなのだろう。


「西川は、志望校決まってるのか?」


 どういうつもりかわからないが、江南さんが話す気になるまでは西川と会話していよう。


「いや~。全然。今を楽しむことしか考えてないもん! なおっちは?」

「俺は、東橋大……」

「あ、そうだったね。それなら頑張らないといけないねー」


 しばらく、西川と俺だけの会話がつづく。やがて、江南さんがパンを食べ終わったところで俺に話しかけてきた。


「ねぇ」


 会話を中断して、俺と西川は江南さんのほうを向く。


「ちょっと訊きたいことがある」


 ……もともと、この場は江南さんのお願いによって作られたものだった。


 昼休みになるやいなや、西川が俺に話しかけてきた。江南さんが訊きたいことがあると言う。そのために、この食堂まで移動し、三人で食事をとっているわけだ。


 ずっと黙っていたのは、考え事をしていたからなのかもしれない。


「何?」

「……母さんと何か話した?」


 その話か。西川と江南さんがいない間に話したことで、江南母に何らかの変化が生じたのだろうか。バレないと思っていたが。


「なんで?」

「母さんが、あんたの話をした。いい子だねって」

「それだけ?」

「それだけ」

「え?」

「それだけでも、変なものは変。他人の話をするなんて何年ぶりかわからないから」


 江南母のどうでもいいこと。それは、今まですべての他人が当てはまっていたのだろう。


「で、結局なんかしたの?」


 どう答えればいいか、俺は迷った。できれば江南さんに知られたくなかった。こういうふうに、人の事情を探るのは嫌がられると思ったからだ。


 けれど、隠せることじゃない。俺はあきらめることにした。


 全部話した。このままじゃ解決できないと思ったこと。簡単にどうしてそこで寝ているのかを尋ねたこと。


 江南さんの表情に大きな変化はない。


「ふ~ん。何か、母さんから聞いた?」

「そんなには……」

「そ」

「一応言っておくと、特に事情を探ろうってことじゃなくて……。黙ってたのは悪かったけど、別に悪気はないというか……」

「知ってる」


 そこはなぜか信頼されているらしい。


「特に深いこと訊いてないならいいよ。母さん、面倒くさいことしなかった?」

「そんなことは特にないよ。普通に、穏やかに会話しただけだから」


 途中、スイッチが入ったときはあったが、最終的に何事もなく終わった。

 この人にも、背負うものがあるんだろうと理解することができた。

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