5. 前に進むということ

第46話 おかゆ

 俺が最初に覚えた料理はおかゆだった。


 それまで料理を作ったこともなかったから、卵焼きすら作り方がわからなかった。今となれば信じられないことだが、それだけ母親に頼りっぱなしだったということだ。


 俺がふさぎこんでいた間、紗香も父も料理にチャレンジした。しかし、どちらも致命的なまでに不器用で、俺に運ばれてくる食事はいつも出来合いのものばかりだった。俺が復活してからもしばらくその調子がつづいたが、そうはいかないときが訪れた。


 紗香が体調を崩したのだ。


 熱は38度くらい。病院に連れていき、症状をおさえる薬はもらったが、食事はほとんど喉を通らないようだった。こうなれば、定番のおかゆの出番だ。そう思って、キッチンの前に立った俺は、なにをすればいいのかわからず愕然とした。


 ――そもそも、米を炊いたことがない。


 いつも食卓に運ばれてくるのは、湯気の立ったふかふかの米。しかし、精米された米粒が、どのような経緯を経てああなるのか知らない。水に入れて沸かせばいいと思うが、どれくらいの米の量でどれくらいの水を入れればいいのだろうか。


 すぐに俺はネットで調べた。いろいろな情報が混在していて、どれをもとにすればいいかわからない。ひとまず、俺はカップ一杯分の米を研ぎ、鍋に入れた。水をちょうどよさそうなレベルまで入れて、火をつける。


 塩を振りまいて、水を沸騰させる。卵とねぎを合わせていれてから、鍋のふたを置いた。


 意外と大変だ。おかゆなんて、大した料理じゃないと思っていた。いや、実際に大した料理じゃないけれど、俺が慣れていないからそう感じるだけかもしれない。


 30分くらいで、もういいかと思って火を止めた。食べてみたが、ほとんど味がない。さらに塩を追加したうえで、梅干しをちぎって入れた。器によそおうとして、失敗に気がついた。


 ――量が多すぎる。


 食欲のあまりない紗香一人で食べられる量じゃない。一合というのがどれほどの量か全くわからなかった。カップに入れたときは少なかったから油断していた。


 仕方なく、あとで自分も食べることとして、一部だけを茶碗によそった。お盆のうえにレンゲをのせて、紗香の部屋まで運ぶ。


 紗香は汗をかきながらベッドに横になっていた。すでにだいぶ寝たから、もう眠気はないと先ほど言っていた。


(なに、それ?)


 部屋に入ったとき、匂いに気がついたようだ。俺は、「おかゆだ」と返事をした。


 紗香はとても驚いていた。


(え? なんで? お兄ちゃんが?)


 上半身を起こし、俺の手にあるものをまじまじと眺める。見た目は悪くないはずだ。机のうえにお盆を置いた。


 ベッドから這い出てきた紗香は、毛布を身にまといながら言う。


(あ、ちゃんとおかゆだ)

(なんだと思ってたんだお前は)

(いや、もう料理なんかできない遺伝だと。お兄ちゃんは違ったんだね)


 まだ「お兄ちゃん」と呼んでくれていたころの紗香は、キラキラとしたまなざしをこちらに向けてきた。ちょっと誇らしかったのを覚えている。


(ネットで見たらこんなの誰でもできる)

(はいはい)

(ベッドに戻れ、食べさせてやるから)

(いや、そこまではいいよ)

(そんなフラフラで何言ってるんだ)


 顔は赤くなっているし、目元が落ちくぼんで見える。足元がおぼつかないのか、体が微妙に揺れている。


 渋々、紗香はベッドに戻った。俺は茶碗とレンゲだけ持ってベッドのわきに寄る。すくったおかゆをふーふーしたあと、紗香の口元に運んだ。


 口に含まれた量はほんの少量だった。本当に食欲がないのだろう。


 しばらく咀嚼していたと思ったら、紗香が一言。


(しょっぱいし、すっぱい)


 露骨に顔をしかめた。もしかしたら、二回目の塩が多すぎたかもしれない。


(そうか……?)

(ほら、これお兄ちゃんも食べてみてよ)


 逆に俺の口元に突き出される。俺もそれを食べてみたが、確かに言われた通りだった。


(すまん……)

(やっぱり遺伝だね)


 ――悪くないと思ってたのにな……。


 量の失敗に気をとられて味のことを忘れていた。


(味が薄いならまだしも濃すぎるのは直せないしな……。作り直すからいったん戻る)

(いや、いいよ)


 紗香は、そう言った。


 俺の手から茶碗を奪い、一人で黙々と食べ始める。正直なところ、食欲がないときに食べられるレベルじゃないと思うが、食べる手を止めない。紗香なりに気を使っているのかもしれなかった。


 悔しかった。今度こそ、美味しいものを作ってやろうと決意した。


 結局、紗香は茶碗のおかゆを完食した。詰め込むみたいに食べていたから、やっぱり無理していたのだろう。


(よく全部食べたな)

(まぁ、一応)


 俺に茶碗を突っ返し、顔を背けて寝転がる。失敗作だったとはいえ、ちゃんと食べてくれたなら作ってよかったと思った。


 紗香の部屋を出て、キッチンに戻る。食器を洗ってから、残ったおかゆと向き合った。


 ――食べるしかないか。


 美味しくできているなら問題なかったが、あの味だと全部食べ切れるか自信がなかった。


 鍋にスプーンを突っ込んで直接食べてみる。やっぱり美味しくない。


 ――でも、あいつが完食したのに俺が食べないわけにはいかないか。


 もはや意地だった。30分くらい時間をかけて、俺はおかゆを完食した。


 4年くらい前の思い出だ。

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