第42話 空白

 大楠 直哉:でも、職場ころころ替えるとバレるリスク高まらない?


 いつか、うちの学校の生徒や先生が通う場所に当たってしまいそうだ。江南さんの家は、学校から徒歩で通える範囲。バイトのために遠出するとしても、いくつも都合のいい場所があるとは思えなかった。


 江南 梨沙:逆。ずっと一緒のところで働く方がリスクだから

 大楠 直哉:なんで?


 そもそも、わざわざやめたり、新しいバイト先を見つけたりするのは面倒だ。俺だったら絶対に替えないだろう。


 江南 梨沙:同じ場所にずっといると面倒なことになる、いつも

 大楠 直哉:わからん。どういうこと?


 江南さんのことだから、集団生活になじめないのかもしれない。しかし、語られた内容はそんなことではなかった。


 江南 梨沙:たとえば、カラオケでジュースを運ぶとするでしょ。そうすると、酔ったサラリーマンとかが変に絡んできたりする。「かわいいね」とか「連絡先教えて」とか。だんだんとうわさになって、嫌いなタイプの人間が寄ってくるようになる

 大楠 直哉:そういうことね


 それなら無理もない。学校でも江南さんは有名人だ。どれだけ不愛想にしていても、隠しきれないオーラ。こんな人が一般社会に解き放たれたら、それは面倒くさいことになるに決まっている。


 江南 梨沙:客だけじゃない。一緒に働いている人たちも、しつこく言い寄ってくるときがある。よくわからない恋愛沙汰に巻き込まれたくないから、少しでも面倒な兆候が出たらさっさといなくなる。数えてる範囲だけでも、10回は替えたから


 うちの学校と同じようなことが起きていたわけだ。ただし、学校と異なる点は、簡単に場所を移ることができる点だ。身の危険も感じただろうから、替えて当たり前だろう。


 江南 梨沙:バイト先で同じ年齢同士が固まると、なんでか知らないけどライングループとか作りたがる。シフトとかは店長と話してるし、誰かにシフトを替わってもらうなんて機会もないから、連絡先の交換なんて必要ない。最低限の人間関係でお金をもらうだけでいいのに、本当にうっとうしい

 大楠 直哉:そういうのは俺もわかる気がする

 江南 梨沙:というわけで、だいたいろくなことにならないわけ。わかった?


 美人には美人の辛さというのがあるんだな、と思った。


 大楠 直哉:てっきり、江南さんが人とまともに会話できないからだと……


 どうせこういうと怒るんだろうな、と思いながら打つ。しかし、そのあとの江南さんの返信は意外とそっけなかった。


 江南 梨沙:はいはい

 大楠 直哉:何、その反応

 江南 梨沙:言われ慣れてきたから、もうなんにも思わないってだけ。はいはい、悪かったね、人づきあいが苦手で


 大楠 直哉:少しは努力をだな……

 江南 梨沙:するわけないでしょ。仲良くなって何かいいことがあるの? ないでしょ?

 大楠 直哉:まぁ、そうかもしれないけど


 確かに、江南さんの場合、人づきあいがうまくなっても面倒なことに巻き込まれやすいだけかもしれない。女同士だと、恋愛についてシビアだと聞く。同じ人を好きになって、けれどそのうちの片方だけ恋愛が成就すると二人の仲も悪くなる。そうでなくとも、ニコニコ笑っている江南さんには男が大量に寄ってきて、他の女子からあらぬ反感を招く。


 大楠 直哉:まぁ、バイトの件はわかったよ。あんまり無理しないようにね。せっかく先生からの心証もよくなってきたところだし、遅刻するのはもったいない。

 江南 梨沙:そうかもね


 面倒なことに巻き込まれるのは俺もごめんだが、せっかく乗り掛かった舟だし、できることはしたいと思っている。


 大楠 直哉:西川も俺もいるし。何かあれば相談に乗るしさ


 だから、そうメッセージを打った。


 すぐにそのメッセージに既読がつく。


 しかし、しばらく反応がない。


 時計の針が進む音。一分、二分と経過しても、スマホは震えない。さっきまで遅くとも一分以内に返信が届いていた。何かおかしなことを言ったのかと不安になり、自分のメッセージを読み返すが変なところはなかった。


 ――寝落ちしたか?


 江南さんは気まぐれな人だ。そういうことも十分にありうる。返信を打とうとしたところで意識を失ったのかもしれない。5分くらいが経過して、もうあきらめようと思った矢先、急にスマホが震えた。


 江南 梨沙:生意気


 憎まれ口ではあるが、悪い意味ではないのだということは伝わってきた。


 5分くらいあとの返信にもかかわらず、すぐに既読をつけてしまったのは、ずっと返信を待っていたみたいで妙に気恥しい。俺はごまかすように次のメッセージを打つ。


 大楠 直哉:明日は学校来るの?


 既読がついてから、返信が届くまでにほとんどラグはなかった。


 江南 梨沙:行くと思う。マスクはするけど

 大楠 直哉:それはよかった


 気づけば、1時間近くラインのやりとりをしていた。見上げた時計は、11時。そろそろ勉強を再開しないといけない。


 大楠 直哉:じゃ、明日学校で

 江南 梨沙:うん。じゃ


 それきり、俺はスマホをスリープにする。ベッドから立ち上がり、エナジードリンクを口に含む。エアコンで気温が上がったせいか温くなってしまった。


 顔を叩き、気合いを入れなおして、再び問題集に意識を傾けた。

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