幕間 懐かしさ
「あ」
「お」
俺は、目の前に立つ人を見て足を止めた。夕暮れどきの帰り道。影が長く伸びるバスロータリーのうえに、その男はポケットに手を入れて立っていた。
山崎博義。人目を引く赤髪に高い身長。気難しそうな顔をしてぼんやりと空を見上げていたが、俺の存在に気づいて吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。
吸い殻を捨てて、その長い脚を一歩一歩こちらに進めてきた。
「……久しぶりだな」
山崎と会うのは、紗香を貶めようとした不良について、動向を訊いて以来だった。かれこれ、一か月くらいが経過している。
「……ああ。よくその服装で煙草吸えるな」
「ん?」
学ランを着崩しているが、明らかに高校生とわかる出で立ち。補導されてもおかしくはない。交番は駅の反対側だが、誰かに見咎められる可能性は十分にある。
「はっ、問題ない。しかめ面で吸ってるだけで誰も近寄ってこねえからな」
「怖い顔にもそういうメリットがあるんだな。まぁ、髪が赤いし、普通の高校生とはまず思われないだろうな」
「そういうことだ。コスプレとでも思われてんじゃねえの」
今になっても、よく他の不良とつるんでいた覚えがある。しかし、今日の山崎は一人きりだった。まだ喧嘩の日々を過ごしているせいか、唇の端に小さな切り傷がある。並んで立つと、向こうの背が大きくて圧倒される。
「食うか?」
山崎はポケットからよくわからないお菓子を取り出す。三角錐の形をしたグミのようなもの。なんとなく受け取った俺は、ビニールを開封して口に放り込んだ。甘ったるい味がする。正直、あまり好みではなかった。すぐに、ち、と舌打ちされる。
「……おまえはすぐに顔に出るよな。もうやらねえから安心しろ」
「悪いな」
確かに、昔から山崎は甘いものが好きだった気がする。
「ちょっと遠出する機会があってな。珍しいと思って買った」
山崎も一粒口に入れる。
「まぁ、普通のスーパーやコンビニでは売ってなさそうな感じだな」
「だろ」
懐かしさが俺の心の奥に灯った。
中学生のころにも、こんなことはあった。
山崎に対して、気を張りすぎていたかもしれない。つるまない=話さないということではない。今も昔も、山崎はいいやつのままだ。こうやって、たまに出くわしたときに話す分には何の問題もない。
「……あの不良たちは相変わらずなのか?」
ふ、と笑って、山崎が答えた。
「やはりシスコンだな。もうとっくに問題は解決しただろ。あいつらがお前らに関わってくることは今後ない」
「……うるせえな。なんとなく聞いただけだ」
あれから顔を見かけることは一度もなかった。俺にこだわる理由をつぶし、俺に関わると損する理由も与えた。自分でも、もう問題ないと確信している。
山崎は、さらにもう一粒くわえた。
「人なんてそう簡単に変わりはしない。あのクズどもは、相変わらず俺にビビってるし、弱い奴をいじめて楽しんでるさ。お縄につくのも時間の問題かもな」
「ゲーセン、とか?」
「まぁ、ゲーセンもそうだな。他にも、学校でカツアゲしたり、道端でオヤジ狩りしたりすることもあるらしいぞ。言ってるだけだから、どこまでほんとかわからないがな」
「そうか」
……山崎も昔から大きな変化はないが、少しだけ変わったところもある。
以前よりも雰囲気が落ち着いた。元々、元気よく走り回るタイプではないが、キレやすいところがあった。しかし、今は舌打ちする程度で済んでいる。
「その傷は、あいつらとは関係ないよな」
「あ? ああ、これ?」
さっきから気になっていた。山崎の口元の傷。
「俺があいつらなんかに傷をつけられると思うか。ありえないな」
「そういやそうか」
「これは、まったくの別件だ。大した傷でもないし、お前が気にする必要ない。そんなことより、お前の傷はどうだ」
「俺の傷はほとんど塞がりつつある。まぁ、多少は跡が残ってるけどな」
まだ一枚だけ絆創膏が貼られている。もうそろそろ外してもいいかもしれない。
「端から見ると、俺がおまえにカツアゲしているように見えるのかもな」
「え?」
周囲を見渡すと、心配そうにこちらを見ている人影。確かに、今の俺はオタクっぽい風貌。いかつい奴に絡まれているように見えなくもない。
俺が見ると、相手は立ち去っていく。
やはり、山崎は目立つ。だから、山崎のそばに立つ俺も注目を集めてしまう。
「それか、あれだな。不良を説得する委員長というところか。制服が違うから、同じ学校とは思われないだろうが」
なぜかはわからないが、山崎は機嫌がよさそうだ。久しぶりに俺と話せてよかった――なんてことは考えていないだろうけれど、俺をからかえて楽しいのかもしれない。
「相変わらず性格が悪いな」
「なんか言ったか?」
「いや」
俺は、ため息をつく。もうそろそろ話を切り上げて、買い物に行くか。家の冷蔵庫には、ほとんどストックがなかったはずだ。最近は晩飯を作る時間が遅れているから、早めに帰った方がいいだろう。
「俺はもう行くわ」
「ああ。じゃあな」
山崎が俺の横を通りすぎる。ゆったりと歩くだけでも、周囲に威圧感をばらまいている。久しぶりにまともに会話して楽しかったのは、俺も同じだった。
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