第39話 隠し事

 これだけ無防備になった江南さんは、初めて見る。


 弱みを見せているという意味では、江南さんらしくない。けれど、俺たちの存在など気にもせずやりたいことをするのは江南らしいと言えばらしい。なんにせよ、俺は江南さんのことを知らなすぎるのだ。


 話すようになって、まだ2か月も経っていない。気が強くて、人づきあいのうまくない江南さんしか知らない。本当は、まったく異なる一面もあるのだろうか。かつて、藤咲が言っていた。ショッピングモールで見かけた江南さん。小さな男の子が泣いているところに颯爽と現れ、優しい笑顔で相手をしていたという。


 それは、きっと人違いでもなく、気まぐれでもなく、江南さんの本質の一部なのだろうと信じられるようになってきている。


「西川……さっきの言葉ってどういう意味なの?」

「え?」

「無理してる、とか、一人で背負ってる、とか……」

「ああ、うん」


 言いづらそうだ。本人の許可なしに話していいか迷っているのかもしれない。


「言いたくないんなら別にいいけど……」

「……誰にも言わない?」

「そりゃもちろん」


 誰かに言いふらすほど俺は命知らずではない。あとで江南さんが知ったらめちゃくちゃ怒ってきそうだ。


 西川は、小さな声で言う。


「梨沙ちゃん、かなりバイトしてるの」

「バイト? うちの学校バイト禁止じゃなかったっけ?」


 うなずいている。誰にも話してほしくない理由が分かった。ただでさえ先生からの心証が悪い江南さんが校則違反していると気づかれたらどうなるのかわからない。


「わたしも、あんまり詳しいこと知ってるわけじゃないけどさ。学校のあとに何時間もバイトして、休みの日もバイトしてるらしいよ。睡眠時間もあんまり足りてないんじゃないかな」

「……知らなかった」

「自分のことをべらべら話してくれるタイプじゃないから、これ以上のことは本当に知らないけど。苦労しているのは間違いないよ」

「そうか……」


 このことを西川が教えてくれたのは、俺に対する信用があるからなのだろう。あるいは、俺に話したことがばれても、江南さんがそこまで怒ることはないと判断しているからかもしれない。


 もしかしたら、と俺は思う。


 バイトをしている理由は、決してお金だけが理由ではないんじゃないだろうか。この殺風景な部屋。自分のプライベートスペースなのに、あまりにも生活感がない。それは、この家にあまりいたくないという意志の表れと感じられた。


 だから、なるべく外に用事を作り、家に帰らないようにしている。そう考えると少ししっくりくる。


「どうしようか~、なおっち」

「う~ん」


 はっきり言って、目的はすでに潰れてしまった。江南さんの様子を見ることはできたが、これ以上、どうすることもできない。江南さんなしで勝手に掃除を進めるのも良くない気がするし、もう帰るしかない。


「少しだけ待って、起きないようだったら帰るか」

「そーだね」


 体調の悪い江南さんを強引に起こすこともできない。俺たちは、江南さんのそばで床に腰かけた。座布団やクッションがないのも江南さんらしい。


 しばらくお互い黙っていたが、やがて西川が、あ、と声を出した。


「ねえねえ。なおっちって、あんどぅーと知り合いなの?」

「あんどぅー? 誰それ」

「安藤。あれ? 知らないの?」


 安藤、安藤。頭の中を探っていって、ようやく思い出した。俺が高校一年生だったときに藤咲に嫌がらせをしていたやつだ。あれから目立った行動を一切していないので、存在を忘れかけていた。


「そんなやつが、確かテニス部にいたような、いなかったような……」

「そうそう、テニス部。なんか、このまえ見たんだよね~。なおっちのことを話してるの」

「……どうせろくなことじゃないんだろ」


 死ね、とか、くたばれ、とか言われているに違いない。


「……ほら、なおっち、梨沙ちゃんと付き合ってるんじゃないかって噂になってるじゃん」

「不本意ながら」

「最近、わたしと梨沙ちゃんと一緒にいるところも見たらしくって。なんかなおっちのことをボロカスに言ってたんだよね~。『あいつの本性はゲス野郎』とか『藤咲をたぶらかしたうえに江南を脅して付き合おうとしてる』とか」

「あのさ、そういうこと俺にわざわざ教えなくていいから。心の中にそっとしまっておいてくれよ」

「いや~、なんでなおっちがそこまで言われなくちゃいけないのかわかんないから、なんかあったのかな~って」

「ないよ。あるわけないだろ。部活もクラスも一緒になったことがないんだから」

「そうだよね~」


 しかし、あいつ、まだ懲りていないのか。俺は呆れた。


「でも、そんなこと言ってるわりに、なおっち見かけると露骨に避けようとしたりするんだよね。よくわかんないけど」

「気のせいじゃないのか」


 あの日のことは、誰にも話していない。話すとどうしても藤咲の嫌がらせの話になってしまい、藤咲に不快な思いをさせてしまう。


「まぁ、今後気を付けるよ。俺もあんまり関わらないようにしよう」


 それからもしばらく西川と話していたが、一向に江南さんが起きる気配がない。結局俺たちは、そのまま江南家を後にすることに決めたのだった。

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