第31話 本

 犯人の安藤は、テニス部に所属している。


 うちのテニス部は強いわけではない。ただ、もともと部活に力を入れていないうちの学校では、強さなどあまり関係ないことだ。少し顔のいい奴が、トーク力を持ち、運動部に所属しているだけで、女子からはそこそこモテる。


 肌が少し色黒で、身長は平均くらい。目がぱっちりしていて、どちらかというと可愛い系の部類に入る。テニス部のやつらとつるんでいる姿をよく見かけた。


 俺との面識は、もちろんない。話したことさえもない。


 クラスも部活も異なる。たぶん、人間関係もほぼかぶっていない。


 ――さて、どうするか。


 この件に関しては、慎重に対処する必要がある。藤咲に、これ以上危害が加えられないようにすることが何よりも大切だ。効果的な手段を取らないと、状況をさらに悪化させるだけだろう。仮に、藤咲から情報を得たことがバレた場合、藤咲をまた怖い目に合わせるかもしれない。





 俺は、安藤の様子を逐一確認していた。


 朝の登校。休み時間。移動教室。


 どこかで、安藤は必ず動く。藤咲への嫌がらせはつづいている。嫌がらせは、安藤個人で行っているはずだ。となると、そのときに安藤は一人になる。


 だが、すぐには隙を見せない。クラスが異なると授業の日程が異なるので、なかなか他クラスの動向を追うのは難しい。




 放課後。


 俺は、家に帰らず、部活にもよらず、テニス部の練習が終わるのを図書室の中で待っていた。今日は当番ではないため、特にやることもない。勉強道具を広げて、ペンを動かしながら、意識は窓の外に向けている。


 天候は、昨日が嘘のような晴天だった。暖かい日差しがグラウンド全体に照りつけている。


 窓の外では、さまざまな運動部が練習を行っていた。


 テニス部は、3学年で60人くらいいる。グラウンドの半分くらいを占領し、ラケットでボールを打ち合う。


 そのなかに、安藤もいた。


 正直、テニスのうまさはよくわからない。そこそこのスピードのラリーが対戦相手との間で繰り広げられている。


 爽やかに笑う姿は、とても藤咲に嫌がらせしている人物のものとは思えなかった。


 3時間くらいして、ようやくテニス部の練習が終わった。


 時刻は午後6時。空の一部が赤く染まっている。あと30分くらいで日が沈むだろう。


 俺は、勉強道具を片付けて、図書室を出た。


 階段を上り、自分の教室に戻ると、そこには誰もいなかった。


 自席のうえに鞄を置く。

 部活をしている者は、部室やグラウンド、体育館にいる。部活をしていない者は、すでに帰宅している。だから、よほどのことがない限り、今の時間帯の教室には用がない。


 だからこそ、廊下から足音が聞こえたとき、俺は「しめた」と思った。


 俺は、立ち上がって廊下側の壁に寄りかかる。ここで見られたら何の意味もない。教室の前を足音が通り過ぎるのを待ってから、足音の正体をドア窓から確認する。


 そこには、安藤がいた。


 安藤は、でかいラケットケースを背負って、汗に濡れた髪をタオルで乾かしながら歩いている。そして、すぐに隣の教室に足を踏み入れた。


 音を立てぬように、慎重にドアを引いて、廊下に出る。


 こっそりと、隣の教室の様子をうかがう。


 中には、安藤しかいなかった。きょろきょろと辺りを見渡して、誰もいないかを確認しながらラケットケースを教卓のうえに置く。


 いったんドアから離れて、しばらく待つことにする。


 隣の教室からは物音が聞こえてくる。何をしているのかはわからない。ギィィという不気味な音。藤咲は、嫌がらせが進行するにつれ、教室に私物を置かないようになった。たとえば、机の中は空っぽになっているはず。


 俺は、そろそろいいかと思い、ドア窓から中をのぞく。


 安藤は、藤咲の机の前に立っていた。その目は、練習中が嘘のように冷たい。手にはカッターナイフが握られていた。


 ギィィという音がまた響く。


 もう片方の手には、一冊の本。その本を、藤咲の机のうえで裂いていた。


 なんだろう。目を凝らして、その本を眺める。


 そして、気づいた。


 その本は、俺と藤咲が話し合って決めた図書室の本――クイズの本だった。本屋で、藤咲とデートしたことも思い出せる。


 ――クソ


 ……腹が立った。


 もともとむかついていたけれど、これ以上ないくらいはらわたが煮えくり返った。

 どうやって、それが藤咲の提案した新規本であることを知ったのだろうか。


 俺の視線などつゆ知らず、安藤はクイズ本にナイフを突き刺しつづける。紙が粉々になっていく。一塊だった本が、徐々に小さなパーツに分解されていく。


 ――もういいだろう。


 俺はドアを思い切り音を立てて開けた。


 びくっと安藤の体が揺れる。あわてて隠そうとしてももう遅い。ずかずかと歩み寄り、俺は言った。


「なにしてる」


 藤咲の机のうえには、隠しきれなかった紙片が大量に落ちている。安藤が背中に隠したものを強引につかみとり、床の上に落とした。


 もはや、原形をとどめていないクイズ本。俺は、怒りを極力抑えて拾い上げる。


 安藤は、怯えたようなまなざしで俺を見ていた。

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