第27話 画鋲
他クラスなのに、一番仲のいい女子は藤咲だった。
話していて、気負う必要がない。廊下ですれ違えば、軽く雑談をする。中間テストの結果が返ってきたときには、どこが難しかったかを言い合ったりした。
仲良さそうな姿を見て、付き合っているんじゃないかと邪推する人もいた。露骨に、俺に対して尋ねてくるやつもいた。そのたびにそんなことはないと否定するが、ときに信じてもらえないこともあった。
俺は、そのままの関係で満足だった。誰かと付き合う日が来るなんて、とてもじゃないが思えない。自分にはそんな資格がないと考えていた。
そんな、ある日のことだった。
「A組の安藤ってやつが、藤咲さんに告白したらしい」
教えてくれたのは齋藤だ。二次元の話ばかりしているくせに、こういう話に耳ざとい。
俺は、なるべく平生を装って答えた。
「そうなんだ。知らなかった」
「意外と反応薄いな……」
「そう? まあ、藤咲ならそういうことも起こりそうじゃない?」
安藤というやつと話したことはない。だが、テニス部の陽キャであることは知っていた。藤咲とどういう仲かはわからないが、俺が気にする理由はない。
「それで、どうなったんだよ」
進藤の疑問に対し、齋藤はにやりと笑った。
「フラれたってさ」
「そうだよな。ここに彼氏がいるものな」
「違うって……。でも意外だな。安藤は女子に人気があるらしいぞ」
人気のある安藤と藤咲。だからこそ、こんなふうに話が広まっているんだろう。
誰が広めたのか知らないが、気づけば、その話は周知の事実となっていた。
「聞いたよ」
図書委員の仕事がある日に、藤咲にそう言ってみた。
藤咲は、きょろきょろと辺りを見渡してから、
「うん……」
元気なく答えた。
あまりしてほしい話じゃないみたいだ。当たり前か。俺以外にもさんざん訊かれたあとだろう。嫌な思いもさせられたのかもしれない。
ごめん、やっぱなし。そう言おうと思った矢先、藤咲がつつけて言った。
「どこまで聞いてるの?」
俺は正直に答えた。時期や場所、どういうふうに断ったのかさえも知っている。どうやら、フラれた安藤本人が言いふらしているようだ。藤咲を悪く仕立てようとしているんじゃなくて口が軽いだけみたいだが、藤咲からするととんだ迷惑だろう。
「……他のクラスにも、それだけ伝わってるんだね」
「たぶん、テニス部経由だろうな。うちのテニス部、やたら声の大きい奴が多いから」
「なんかごめん……」
「いや、なんで藤咲が謝るんだよ。藤咲はむしろ被害者だろ」
告白されたから、仕方なく返事をしただけ。何も悪いことはしていない。
「実はね、中学までは女子校だったの。あんまり、こういうことに詳しくなくて……。告白したりされたりすると、こんなに知れ渡っちゃうものなの?」
俺は、違うと断言する。
「付き合い始めたら、まぁ、自ずとわかるから知られるだろうけど。告白が失敗したんだったら、普通、本人たちの間でしまっておくものなんじゃないかな」
「そう、だよね……」
もしかしたら、少し嫌な目にも会ったのかもしれない。
たとえば、安藤のことが好きな女子。そいつからしたら、藤咲は憎く映るのかもしれない。心の中でどう思おうが、普通は行動に移さない。けれど、これだけ大々的になっていると一人くらいはそういう人もいるのかもしれない。
「大丈夫、か?」
心配になってそう尋ねるが、藤咲は、大丈夫だよと笑った。
「ありがたいことだもん。わたしのこと、好きだって言ってくれる人がいたなんて。それに、いつかみんなも忘れてくれると思うから」
「そう、だな……」
だが、俺は藤咲の表情を見ていて、何かあったんだろうと感じた。けれど、訊いても教えてくれない気がしていた。
藤咲が告白された件については、それ以上話さなかった。
一週間後。
それを目撃したのは、たまたまだった。
朝。学校に登校し、昇降口に着いたとき、藤咲の後ろ姿が見えた。
ちょっと早い時間なので、まだほとんど生徒は来ていない。俺は、声をかけようと近づいていった。
そのときだった。
からん、という音がした。
昇降口の床に何かが転がる。藤咲は、上履きを持ったまま床に転がったそれを拾い上げた。
画鋲、のように見えた。
あいさつしようと開いた口を、思わず閉じる。
上履きを簀子に置いた藤咲は、鞄を下ろして中からケースのようなものを取り出した。ケースのふたを開け、上履きを逆さにする。
じゃらじゃらという音。
俺は、ショックを受けた。
間違いなく、画鋲だ。靴の中に入っていたらしい。しかも、藤咲の対応を見る限り、一度や二度じゃない。
画鋲を取り除いたあと、残っていないかを確認して、上履きを履く。
そのまま藤咲は、俺に気づかず去っていった。
俺は、追いかけることができなかった。俺が藤咲の立場だったら、今の姿を見られたくない。
――大丈夫だよ
そう言った、藤咲の顔を思い返す。
一人で抱え込んでいたのだろう。すぐに気づくことのできなかった自分が悔しかった。
俺は、他の生徒が登校するまで、しばらくその場に立ち尽くしていた。
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