3. 高校1年生

第21話 入学式

 今から二年くらい前のこと。



 体育館の中で、何百人もの生徒が立ったまま前を見ている。


 教頭の答辞に始まり、知りもしない校歌の斉唱を経て、校長の話に移ったところ。

 高校の入学式の真っ最中。近くにいる生徒たちは、少し緊張した様子だった。それもそのはず、俺たちは新しい学校に入学したばかりだからだ。


 新しい校舎。新しいクラスメイト。新しい制服。


 見渡す限り、知らないものばかり。


 すべてが新鮮に感じられる。俺は大きく息を吸う。


 ――ここから、全部やり直さなければ。


 誰も俺を知らない場所で、今度こそ、まともな学校生活を取り戻す。


 全ての誤りは中学生の時だった。

 中学受験の反動で、俺は荒れてしまった。先生の言うことに意味もなく逆らったり、悪い奴とつるんで喧嘩を繰り返していた。髪を金髪に染め、派手な服を身にまとい、多くの人に迷惑をかけてきた。


 ――それが一変したのは、不良になって半年後。


 俺は、大切な人を失ってしまった。

 もう二度と、あんなことを繰り返してはならない。


 そんな決意をもって、今日の日を迎えていた。


 この学校の校長がステージに立って、とりとめのない話を延々とつづけている。話題が二転三転し、もはや何の話をしているのかもわからない。おそらく、真面目に聞いている人など一人もいないだろう。


 長話をBGMにして、周囲の生徒を見渡す。


 知っている人は誰もいない。俺の過去を知ってそうな者もいない。


 そういう学校を選んで受験した。そもそも、俺がいた中学は、高校にエスカレーターで上がれるので、普通の人はそのまま学校に留まることを選ぶ。


 誰も俺を知らない環境でもう一度生まれ変わる。ちゃんと友達を作り、勉強をして、ときにくだらないこともして、まともな青春を過ごしていきたい。


 ――そのためにも、知られてしまったら、何の意味もないんだ。


 俺は自分の恰好を見下ろした。

 見た目は、出かける前に何度も確認した。ブレザーのネクタイをきちんと締めた。シャツをズボンの中に入れ、新しいベルトを少し強めに巻きつけた。髪型は、いたって普通の黒髪ショート。多少ダサいかもしれないが、不良と思われることはないはずだ。


 校長の有難いお話が10分を越えたところで、隣から声が聞こえてきた。


「なげーな」


 坊主頭の男子生徒が立っていた。すぐ後ろには太った男子生徒もいる。


「だりぃ」


 同調するように太っている方も言う。ちょっと声が大きく、目立っている。

 他の生徒たちは、静かにしたままだ。高校生にもなれば、見た目に気を遣う生徒も増える。また、空気を読んで行動することも求められるようになる。けれど二人は、まったくそういったものに気を使っているように見えない。


 だからだろうか。俺は、つい、二人をまじまじと見つめてしまった。


「あ」


 俺の視線に最初に気づいたのは、坊主頭のほうだった。すぐに手を顔の前に出す。


「わりぃ」

「いや……」


 別に、責めるつもりなんかない。そういう意味の「いや」だった。むしろ好感を持ったくらいだ。優等生でいようと決めたとはいえ、根っこの部分は反骨心が残っている。


 坊主頭は、俺の顔色を窺っている。どうしようかと悩んでいると、相手の顔がにやっとした笑みに変わる。


「おまえも、ちょっとなげえな、って思ってるだろ?」


 さっきと打って変わって、小さな声で再度話しかけてきた。俺はうなずく。


「もう10分くらい話しつづけてるからね。話もめちゃくちゃだし」

「だよなぁ。あれって、絶対自分でも何話してるかわかってないよな。さっきまで自分の子供の話だったのに、いつのまにか最近の野球部がいいところまで行った話になってるし」

「そう、だね。俺、眠くなってきたかも」

「今日は早く帰りたいんだよなぁ。イーファンが発売したばっかだから、ずっとそれやってたいっていうかさ」


 初対面の俺に対して、ここまで積極的に話せるのはすごいと素直に思った。


「確か、昼前には帰れたはずだよね。今日は教科書とかもらうだけでしょ」

「入学式なんてやらなくていいから、もう教科書配ってくれよ、なぁ?」


 まったく同じ考えだ。おそらく、中学時代の俺であれば、無視して途中で帰っていたと思う。もちろん、二度とそんなことはしないけれど。


「齋藤」そのとき、後ろに立つ太った生徒が言った。「先生睨んでる」


「あ、まじか」


 俺も隣の坊主頭も、すぐに前に向き直る。校長の話は、前年の夏がどれくらい暑かったか、地球温暖化は存在するのかということに変わっている。


 俺の腕に何かが当たる。坊主頭が前を見ながら、肘でつついてきていた。


 それから、俺の耳にこそこそっと話しかけてくる。


「お前も、たぶん、オタクだろ?」


 にぃ、と笑いかけてきた。

 俺は驚いた。そんなふうに思われるとは。


 たぶん、そのときの俺の表情は、端から見れば意味不明だったと思う。実際、坊主頭は、俺の顔を怪訝そうに見てきた。


 うれしかった。きっとニヤニヤ笑っていた。


 これが、齋藤や進藤と交わした最初の会話。


―――

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