第33話 偶然(19/12/30追加)

 漫喫を出た俺は、顔を伏せながら夜道を歩く。


 寒かった。こんな時間に外に出るのは久しぶりだ。煌々と灯る人工的な光が目に突き刺さる。駅前は、この周辺唯一の娯楽スポットだ。ゲームセンターやカラオケ、パチンコなどが密集している。

 そんな場所だから、当然、ガラの悪い連中がいたりする。


 江南さんを漫喫まで送り届けることができてよかったと思う。あの性格だからそこまで困ることはないかもしれないが、あんまり一人でうろつくべきではない。


 俺は、ゲームセンターの前で立ち止まる。


 脳裏をよぎるのは、かつての記憶。


 バカだったころの思い出だ。


 不良だったころは、よくここで遊んでいた。深夜にもかかわらず、平気でほっつき歩いていた。


 忘れたい記憶だ。


 俺は、すぐに踵を返す。数歩歩いたところで、何人もの男たちがゲームセンターから出てきた。つい、その声に振り向いてしまう。


 そこには、俺と同年代と思われる集団がいた。全員、私服だったが、おそらく高校生なんだろう。そのことにすぐにわかったのは、そのなかのある人物の姿が目にとまったからだった。


 一人だけ、ひょろりと背の高い男がいる。髪の色はド派手な赤。つまらなそうな顔をして、やいやい騒ぐ他の連中を眺めている。


 楽しそうでもなく、特別不機嫌そうでもない。会話の内容にも興味がないようで、一人だけ黙り込んでいた。


 だからだろうか。ふと目を上げたそいつの視線と、俺の視線が重なり合ってしまった。


「……!」


 まずい。そう思って、あわてて視線をそらした。

 そいつらは、俺のいる方へゆっくりと歩く。徐々にそいつらの声が大きく聞こえるようになった。


「あそこで、ミスるのはだせーって」

「うっせーな。たまたま勝ったくらいで調子乗ってんじゃねーぞ」

「めっちゃキレててうける」


 深夜であるにもかかわらず、ボリュームを絞っていない。だから、会話の内容が丸聞こえになってしまう。


 早く立ち去らなければと思うのに、すぐには体が動かなかった。


「うっざ。はー、てか、あの店長マジ殴りたい」

「それ。強引に追い出しやがってよ!」


 あそこのゲームセンターは午前0時に閉店する。だから、退店せざるを得なかったんだろう。少し0時を過ぎていることから、一悶着あったことがうかがえる。


「てか、あの店長マジでキメえわ。クソデブだし」

「汗かきまくったしな。俺たちにビビッてやがんの。なら初めっからンなことするなし」

「声も震えてたぜ。やっぱ殴ってやればよかった」


 いったん間が開いた。そして、男の一人が言った。


「なぁ、ザキ」


 その瞬間、俺の肩が少し揺れてしまう。ザキと言われた背の高い男は、静かに口を開く。


「どうでもいい」


 低い声。その言葉だけで、その場の雰囲気が大きく変わるのがわかる。さっきまで文句ばかり言っていたやつらが、途端に黙り込んでしまう。

 別の男が、声を上げる。


「そうだな! こんなんどうでもいいよな! それよりさぁ――」


 急に話の内容が変わる。それでも、ザキ、と呼ばれた男は、ポケットに手を入れてまた口を閉ざす。


 集団は、俺を追い越して、俺の前を歩いていく。


 俺は、顔を上げることができなかった。のどがかわいていく。やたらと風が冷たい。


 早く行ってくれ、と心の中で祈る。

 俺のことなど気にもとめず、さっさと行ってくれ。


 そんな俺の心の声をよそに、ザキ、と呼ばれた男が立ち止まった。他のやつらは、少し先まで歩いたところで気づいて声をかける。


「ザキ、どうした?」

「いや……」


 ほんの数メートル先に、細くて長い背中が見える。そいつは、何か考えるようなそぶりを見せたあと、ちらりと俺のほうを見た。


 けれど、俺は視線を合わせない。


「……」


 ゲームセンターの前を通りかかったのは、悪手だった。タイミングも悪かった。よりによって、ちょうど閉店のタイミングで出てしまうなんて、最悪だ。


 もはや、こっちに来るなと祈ることしかできない。


「ザキ?」


 繰り返しの質問に、そいつは首を横に振った。


「いや、なんでもない」


 そして、また歩きはじめる。


 足音が遠ざかっていく。しだいに、その背中も小さくなり、夜闇に消えていった。


 俺は、そこでようやく安堵する。


 間違いなく、俺の存在に気づいていた。だから、俺のほうをちらっと見てきたんだろう。


 久しぶりに見かけたな、と思う。


 ここ最近は、夜遅くに出歩くことはなかった。外に出たとしても、なるべく駅前には近づかないように心掛けていた。


 だから、不意打ちのように顔を合わせて、驚いた。


 やはり、何も変わっていないんだなと思った。見た目も、やっていることも、あのときのままだった。


 きっと、話すことは、もうないだろう。


 それは、ずっと前に決めたことだった。過去を心の中で封印し、新しく生まれ変わると決めたあの日から。


 俺は、コートのポケットに手を入れる。つばを飲み込むと乾いたのどにしみこんだ。口の中がからからになってしまった。


 これでいいんだ。お互い、もう干渉はしない。


 家に向かって、また歩きはじめる。

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