第32話 肩(19/12/30追加)
映画は面白かった。
ド迫力な爆発シーン。スタントアクション。どれも緊迫感があり、手に汗を握った。
終盤、主人公がピンチに陥る。ビルの窓を割って、難を逃れるところを見て、思わず、おぉと息を漏らした。
最終的に、すべての敵を倒し、小さな子供を守りきった主人公は、正体を明かさぬまま去っていく。その背中が何とも言えないくらいかっこよかった。
そして、エンドロール。
俺は、そこで現実に戻される。いい作品を見終わったとき特有の寂寥感に襲われた。
熱中してしまった。時計を見ると、すでに退室の5分前に迫っていた。俺はイヤホンを外して、隣の江南さんを見る。
「江南さん」
しかし、返事はない。俺の言葉に微動だにしていなかった。
「……あれ? 江南、さん?」
よく見ると、膝を抱えながら目を閉じていた。
――もしかして、寝てる?
かすかに、寝息のような控えめな呼吸が聞こえてくる。もうすでに、時刻は12時前だ。疲れてしまったのかもしれない。
起こそうかどうか迷っていると、急に肩に重みがのしかかった。
江南さんの耳についていたイヤホンがぽろっと落ちて、小さな音を立てた。
「……」
俺の体全体がこわばる。いい匂いが漂ってくる。
思考が止まった。自分の中にある様々な感情や考えがふきとんでいく。
「……ん」
江南さんの頭が、俺の肩によりかかっていた。少し顔を横に向けると、自分の顎のしたに江南さんの髪の毛がある。そこから、かすかに人の体温が伝わってくる。
映画が終わったからだろうか。周囲が静まり返ったように感じる。聞こえてくるのは、規則正しい寝息と、自分がつばを飲み込む音だけ。あまりにも無防備な江南さんに、俺はどうしたらいいかまったくわからなかった。
普通に起こせばいいんじゃないかとは思う。だけれど、肩を揺さぶったり、声をかけたりする気になれないのは、あまりにも気持ちよさそうに寝ている江南さんを起こしてしまっていいのだろうかと考えているからだ。
「……すぅ」
あるいは、自分の体を反対側に傾けたり、強引に立ち上がったりすればいい。俺に寄りかかっている江南さんは、自然と目を覚ますことになるだろう。
「……」
が、それすらも、する気にならなかった。
美人ってずるい。ただ、気持ちよさそうに寝ているだけなのに、俺に寄りかかってしまっただけなのに、こんなにも俺を動揺させてしまう。
江南さんの寝顔を見ていて、改めて思う。
江南さんは、本当に不思議な人だ。
冷たい人だと、ずっと思っていた。
相手が善意であろうが、悪意であろうが、同様に突き放した態度をとる。そこには見えない壁があって、少しでも触れようとすると強烈な力で跳ね返そうとする。話しかける人がいるたびに不機嫌そうな顔をして、注意されるたびに苛立って、気づけば誰も江南さんに関わろうとしなくなっていた。西川以外は、だけど。
それでも、俺が説教をした日から。
急に江南さんは、他の人に見せない姿を俺に見せるようになってきた。
笑った顔。からかうような声。そして、今みたいな、安心しきった寝顔。
俺がしたことは、勝手なやつあたりでしかなかった。かつての自分を見ているようだったから、つい怒って言ってしまったことだった。先生たちのほうが、江南さんのことを考えて怒っているくらいだ。
なのに、それでも、江南さんを変えたのは俺の言葉だったらしい。
もはや、俺への意趣返しという考えはなくなりつつあった。たぶん、江南さんには江南さんの事情があるんだろう。そんな江南さんに、俺の言葉はたまたま意味のある形で突き刺さったのだと思う。
家に帰ろうとせず、漫喫なんかに泊まろうとするのはなぜだろう。そんな疑問がわいたが、きっと江南さんは教えてくれない。江南さんは自分のことをなかなか話そうとしない。
ただ、よくわからない行動や態度で、俺を惑わせてくる。
何度も大きく深呼吸をする。心臓の鼓動がまだ速い。
いつもは寝ている時間であるにもかかわらず、眠気はいっこうにやってこなかった。映画の興奮もあるが、それ以上に、江南さんと密着しているこの状況に緊張している。
けれど、いつまでもこうしているわけにはいかない。こっそり家を抜けてきたが、心配させてしまっているかもしれない。もう帰らないと。
俺は、江南さんの肩を恐る恐るたたく。
「ん……」
江南さんは、小さく声を上げたが、また眠りについてしまう。
先週まで、江南さんは授業中によく寝ていた。もしかしたら、基本的に睡眠時間が足りていないのかもしれない。こっそり起こさないように出て行くことも考えたが、難易度が高いうえ、少し危険な気がしたので起こさないといけないなと思った。
「江南さん、起きて……」
他の人の迷惑にならないように声をかけながらもう一度叩くと、江南さんがようやく目を見開いた。瞬きを繰り返す。そして、俺の顔を見上げる。
目が合った。すぐに、どういう状況なのか理解したらしい。表情を変えないまま、ゆっくりと江南さんが体を離した。
「……ん、よく寝た」
俺は、ドキドキしているのがバレないように、帰るよ、ということだけ伝えた。江南さんは小さくうなずき返した。
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