第31話 緊張(19/12/30追加)
江南さんは、ブラウザで動画配信サイトを開いた。
どうやら、一緒にそれで動画を楽しもうということらしい。俺は、マウスを動かす江南さんの様子をじっと見ていた。
結局、隣に座ってしまったことを後悔する。
やっぱり、江南さんの隣は緊張する。ファミレスで、勉強を教えたときは平気だったけど、今は個室の中で二人きり。しかも、勉強という名目すらない。
これは、一種のデートなのではないだろうか。
その割に、デートっぽさが皆無だが、少し意識しだすと緊張してきてしまった。江南さんの横顔をまじまじと見るのは初めてだ。息遣いまで聞こえてきそうだ。少し手を伸ばせば届く距離に、圧倒的な美人がいる。そのことが俺の鼓動を速めていた。
「ねぇ」
だから、急に話しかけられたとき、悪事を見つけられたような心地がした。
「あんたって、こういうの好き?」
俺は、極力動揺を顔に出さないようにして、画面を見た。
そこには、映画のタイトルが表示されていた。ハリウッドらしい。今の時代、映画を動画配信サイトで見られる時代だ。どうやら、一緒に見たかったらしい。
映画の時間は一時間五十分くらい。ちょうど、俺が漫喫を出る時間くらいに終わる。
「アクション映画は嫌いじゃない。いいよ。それで」
「じゃあ、これにしよ」
江南さんはその映画を再生する。しかし、音が流れない。よく見ると、PCにはヘッドフォンが挿し込まれている。ここは、他の客も利用しているので、スピーカーモードにしたら迷惑だろう。
どうしようか考えていると、江南さんが、ポケットから白いイヤホンを取り出した。ヘッドフォンを抜き、代わりにそれを挿し込む。
「はい」
そして、江南さんから、イヤホンの片方が手渡される。
戸惑っている俺をよそに、江南さんは右耳にイヤホンを入れた。おい、マジかこの状況。一つのイヤホンを二人で使うとか、まるで恋人みたいじゃないか。
もちろん、江南さんにそんな意図はないんだろう。まだ浅い付き合いだが、江南さんがこういうのに無頓着な性格なのはわかってきた。
おそらく、ここでまた戸惑っていると、「童貞」とからかわれることになるんだろう。ならば、もう知るか。恥も外聞も捨ててしまえ。俺は、躊躇していたのがバレないように、なるべく平然とした表情を意識して、イヤホンを左耳に突っ込む。
画面に集中しよう。この状況を冷静に考えていたら、頭がおかしくなりそうだ。
映画が始まって10分くらいして、俺はマウスでオプションをいじる。
慣れていないので、あんまり操作方法がわからなかった。でも、フィーリングで選んでいったら目的の項目があったので、クリックして設定を変える。
やっとこれで映画に集中できる。そう思ったとき、江南さんがイヤホンを外して俺に話しかけてきた。
「勝手に字幕に変えないで」
そう、さっきから日本語吹き替えで映画が流されていたのだ。
俺は、映画を見るとき、字幕で見ると決めている。別に、吹き替えをディスるつもりはないが、字幕のほうが、演者の声が直接聞けるので臨場感があると思っている。
久しぶりに吹き替えで見ていると、慣れていないからか、違和感がすごかった。
「貸して」
「あ」
強引にマウスを奪い取られる。そして、すぐに吹き替えに戻されてしまう。
俺もイヤホンを外して、江南さんに文句を言う。
「字幕にしてくれないと、集中できないんだけど。俺、吹き替え嫌だ」
「わたしも、字幕は嫌だから。なんでわざわざ分かりにくいほうにするの?」
「は? 字幕のほうが雰囲気出ていいだろ。吹き替えなんて邪道だね」
「字幕なんて、よく誤訳あるじゃん。吹き替えのほうが再現性高いと思うんだけど」
「俺は、ある程度英語が聞き取れるから、誤訳があろうが楽しめるから」
「自慢? さすが童貞」
どうして童貞という言葉につながるのかわからない。
マウスを奪い返そうとするが、江南さんが反対側にリモコンを置く。強引に手を伸ばせば届かないことはないのだろうけど、そうすると江南さんの体に触れることになる。
「……」
にや、とした顔で俺を見てくる。どうやら、見透かされているらしい。
童貞、という言葉が、言外に伝わってくる。
どうにかできないだろうか。俺は懸命に考えを巡らせる。別に、吹き替えで見ても構わないのだが、負けっぱなしなのが嫌だった。
江南さんの左手の下にマウスが置かれている。マウスを取ろうとすると、江南さんの手に触れざるを得ない。
どうせ、俺には無理だと思ってるんだろう。
俺は、意を決して、江南さんの左手のうえに俺の手を重ねた。マウスから江南さんの手を引きはがそうとする。
「……」
驚いたように、江南さんが目を見開いた。それから、ふぅん、という感じに、かすかにほおを緩めた。
江南さんの手を介して、またオプションをいじる。そして、再度字幕に切り替えた。
俺は、それを確認したあと手を離す。
内心、動揺がすごかった。江南さんの手は、俺よりも冷たく、小さかった。その繊細な指先に触れるたびに、何とも言えない感慨に襲われた。
江南さんは、触れられた自分の手を見ている。マウスは江南さんの手中にあるのは変わらない。けれど、そこからまた吹き替えに戻そうとはしていなかった。
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