第30話 漫喫(19/12/30追加)

 江南さんに土地勘なんてない。だから、先導する江南さんに明確な目的地はないんだと思う。さっきから、右に行ったり左に行ったり、ふらふらしている。だが、なんとなく明かりの多いところ、人の多いところを目指していることだけはわかった。


「なぁ、ほんとどうしたいんだよ」


 さっきから俺の目に映るのは、容赦なく先導する江南さんの後ろ姿。いつもよりも若干速足な気がする。もしかしたら、少し苛立っているのかもしれなかった。


 スルーされても、俺は質問をつづける。


「こんな夜遅くに、急に人を呼びつけるなんて普通じゃないぞ。それに、すぐ帰る気もないんだろ? そのうち補導されるんじゃないか」


 実際、夜遅くに女子高生がぶらつくのは危ないと思う。


「なぁ」


 俺は、さっきの会話を思い出してた。


「さっき、お金あるか訊いてきたよな」


 江南さんは、目線だけこちらに向けてきた。それから、小さくうなずき返す。


「時間つぶせる場所を探してるんじゃないのか」


 しばらく間があった。それから、もう一度小さくうなずいた。


「それなら、駅の反対側に行った方がいい。カラオケとか、漫喫とかあるから」

「じゃあ、そっちで」


 俺はため息をつく。それならそうとさっさと言えばいいのにと思った。


 跨線橋の渡り、反対側の出口に行くと人工的な光が強くなった。駅前だけなら、カラオケと漫喫が一軒ずつある。


「はい、じゃあ、俺帰っていいか?」

「ダメに決まってるじゃん。何言ってるの?」

「……俺に案内しろという意味ではなくて?」

「なんでわざわざここに来たと思ってるの? まだ付き合って」


 有無を言わさぬ口調。一切の反論ができないのは、美人の凄みゆえだろうか。


「親と、喧嘩でもしたのか?」


 どうやら、俺の予想はそんなに外れていないらしい。江南さんは、特に反論することもなく黙々と歩みを進めていく。

 たどり着いたのは、漫喫の入り口の前だった。


「まさかとは思うが、江南さん、今日ここに泊まるつもりなの?」


 カエルみたいなキャラクターが俺たちを見ていた。これに付き合うとするのであれば、俺も漫喫に泊まらなければならないのだろうか。さすがに意味不明なので、それだけは断ろうと思いながら、一緒に中に入って行く。


 やる気のなさそうな店員が、エプロンの下をぼりぼりかきながら「いらっしゃいませ」と言ってきた。料金プランが載っている紙を手渡される。どうやら、本当に泊まるつもりのようで、8時間のプランを迷わず選んでいた。


「いやいや、俺は泊まらないから」

「別にそこまでは言ってない。あんたは、2時間の選べばいいでしょ」

「ああ、そうですか」


 仕方なく、江南さんの言う通りにする。少し奥まったところにある個室まで案内された。一緒に来たので、当然隣同士だ。


「俺は、適当に帰るからな」


 せっかく金を払ったので、少しだけ利用することにする。

 手前の個室に俺が、少し奥の個室に江南さんが入ることとなった。


 中には、デスクトップ型のパソコンが一台置かれていた。革張りの座椅子がその前に設置されている。座って天井を見上げる。


 漫喫など、行くのは1年ぶりくらいだ。ここに来るくらいなら、図書館に行くことのほうが多かった。いろんな種類の本があるし、自習室があるし、何よりも無料だ。


「……いったいなにがしたいんだ」


 江南さんはやっぱり謎な人だ。こうやって結局個室にこもるのであれば、俺をここに連れてくる意味はない。時計を見ると、すでに10時を過ぎている。勉強していたはずの時間だった。一日くらいサボっても大した影響はないだろうけど、少しモヤモヤする。






 しかし、10分くらいして、俺の個室がノックされた。個室の壁の上からそこにいる人を見ると、やはり江南さんの姿があった。


「入れて」


 仕方なく、扉を開ける。


 江南さんは、遠慮なく中に入ってきた。


「パソコンつけてないね。なにやってたの?」


 俺は、スマホの画面から顔を上げた。


「勉強」


 江南さんが画面をのぞき込む。そこに表示されているのは、〇×式の学習アプリだった。パソコンで特にしたいこともないので、結局勉強することにしたのだ。


「え? なんで?」

「中間テストが近いからに決まってるだろ。俺は、学年1位を取りたいの」

「大変だね」


 少しでもそう思うんなら、こんなことに巻き込まないでほしい。けれど、俺の気持ちを知ってか知らずか、勝手に座椅子の上に腰を下ろしてパソコンの電源をつけた。


「じゃあ、俺は、江南さんの個室に行くから」


 よくわからないが、きっとパソコンの調子が悪かったんだろう。黙って出て行こうとするが、足が動かない。よく見ると、服の裾を江南さんがつかんでいた。


「そこに座って」


 江南さんの隣をポンポンと叩かれる。俺は、首を傾げた。


「理由がわからない」

「いいから、さ」

「なんか嫌だ」

「は?」


 さっきから振り回されすぎだ。これ以上、江南さんの言うことに従いたくないという気持ちが正直あった。


「もしかして、恥ずかしがってる?」


 それでも、俺がそこで立ち止まっていると、江南さんから追撃の言葉があった。


「やっぱ童貞?」


 また、それか。


 俺は、江南さんの姿を改めて見る。


 ドキドキしていないかと言えばうそになる。江南さんは、俺と同じ世代とは思えないくらいに色気があるのだ。しかも、今日はいつもと違って、制服ではない。


 一緒に帰ったときでさえ、ここまで距離が近かったことはない。柔らかそうな唇。形の美しい目。少し動くたびに揺れる髪が煽情的に映った。


「クス」


 そして、いつものように、現れるその笑顔。


 悔しいけれど、可愛かった。心臓が跳ねた。俺は、ごまかすようにあえて不機嫌そうな顔を作る。こんなに振り回されても、強く断れない理由の一つが、これなのかもしれない。


「焦ってる?」


 まぁ、こんなふうにからかわれつづけていると、自然と不機嫌にもなるけど。


「焦ってないから。いい加減にして」

「ふぅん」


 仕方ないので、江南さんの隣に腰を下ろした。

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