第29話 駅(19/12/30追加)

 次に江南さんからラインが届いたのは、その日の夜のことだった。


 江南 梨沙:ちょっといい?


 俺は勉強中に、スマホが震えていることに気がついた。仕方なく、部屋を出ることにする。リビングに入ってから、返信を打った。


 大楠 直哉:なに?


 すでに、午後9時だ。風呂も入ったし、掃除や片付けも終わっている。あとは、勉強して寝るだけだと思っていた。


 江南 梨沙:あんたの家の最寄りってどこ?

 大楠 直哉:は?


 意図がまったくわからない。江南さんはいつも唐突だ。


 江南 梨沙:そっちに行く。ちょっと付き合って。

 大楠 直哉:なんで?


 俺の家を特定して、郵便受けにくさやを入れるとか、殺害予告をするとかしたいんだろうか。俺に対する恨みが、これほどの行動力を実現するのかもしれない。


 江南 梨沙:いいから。どうせ勉強してるだけでしょ。

 大楠 直哉:嫌だ

 江南 梨沙:ちなみに、すでにわたしは電車の中だから。

 大楠 直哉:……どういうことなの?


 さっきから疑問符つきのラインしか打っていない。はてなマークが頭の中にずっと浮かんでいる。


 江南 梨沙:方角が合ってるかどうかもわからないけど。

 大楠 直哉:あんまり遅くなると補導されるぞ。今からでも帰れ。

 江南 梨沙:無理

 大楠 直哉:だからって、なんで俺を巻き込もうとするんだ

 江南 梨沙:……ちなみに、今、下り方面の電車に乗ってる

 大楠 直哉:で?

 江南 梨沙:今、2つ目の駅に着くところ。


 明らかに、俺の家の最寄りだった。


 大楠 直哉:親が心配してるんじゃないのか? 何度も言うが、帰れよ

 江南 梨沙:何度でも言うけど、無理


 俺の質問に答えようとしないのはわざとなんだろう。どの問いかけに対しても、きれいにスルーされてしまう。


 西川に言ってくれ。西川なら、俺なんかと違って、もっといい返事をしてくれるんじゃないか。あんなに、江南さんのことを心配していたのに。


 そう打とうとする前に、また、スマホが震えた。試すように、俺に問いかけてきた。


 江南 梨沙:ねぇ、お人好しで、真面目なあんたは、わたしをこのまま放置できる?


 俺はその言葉に答えない。自分は質問に答えないのに、俺には質問をぶつけてくる。


 江南 梨沙:今、その駅に着いた。


 数秒間、俺の頭がフル稼働し、いろんな考えを巡らせた。しかし、結局出た結論は、江南さんの思う通りの答えだった。


 大楠 直哉:……そこで下りろ。駅まで行く。





 コートを羽織って、駅まで行くと、がらんとした駅の入り口に、一人の女が立っているのが見えた。


 江南さんは、私服姿だった。緑色のセーターに、黒のロングスカートを身にまとっていた。

 たとえ、人がごったがえしていたとしても、すぐに江南さんの存在に気づいたと思う。地味な服装であるにもかかわらず、やっぱり目立っていた。


 スタイルの良さ。圧倒的な容姿から発せられるオーラ。人の目は、この存在を決して無視することはできないのだろう。


「ホントに来た」


 ホントに、という言い方にかちんとくる。そもそも、来るように言ったのはそっちじゃないか。しかも、俺の返事を聞く前に勝手に電車で移動して。


 いくらでも言いたいことはあったが、それでも口に出せたのはたった一言。


「ふざけんな」


 いろんな思いを含めたこの言葉に対して、江南さんは無表情で受け流した。


「……」


 沈黙。ときおり、俺たちのそばを行き過ぎる人が、こちらをちらりと見た。駅のほうに、電車が近づく音が聞こえる。しばらくして、電車から降りたと思われるたくさん人が、俺たちを避けながら夜の街へと消えていく。


「ここまで来てやったんだ。いったい何がしたいんだ? 教えてくれ」


 再度静まりかえった駅の前で、俺はそう尋ねる。自分でも、お人好しだと思った。つい最近まで、話したこともなかった相手。そんな相手が、了承も得ずに、俺の家の近くまでやってきた。会ってやる義理なんかない。

 江南さんは、顔色一つ変えずに言った。


「お金はある?」


 質問に対する答えではなかった。それでも素直に首を振ってしまうのは、やっぱりお人好しなんだろうか。


「ここって、あんまり人多くないんだね。まだ9時半くらいなのに」

「住宅街だからな。娯楽もあまりない。こんなところに来たって、いいことなんかないぞ」


 だから、今の時間帯、帰る人くらいしか駅を利用していない。


「別に、悪いところだなんて思ってない。いいんじゃない、これはこれで」

「そんなことを言うために、ここに来たのか?」

「違う」


 初めて、俺の質問に対して返答があった。俺は重ねて質問する。


「じゃあ、なんだ?」

「……」


 が、肝心なところはやはり答えない。まつげの長い瞳で、俺の顔を見るだけだ。


「理由を答えないんなら、俺はもう帰るぞ」


 脅しでないことを示すために、迷わず踵を返した。そして、そのまま歩きはじめる。

 二歩、三歩と進んでも、江南さんの反応はなかった。10歩目でも変わりがないので、つい気になって、後ろを振り向いてしまう。


 そこには、さっきと全く変わった様子のない江南さんの姿があった。


「クソ……」


 ここで立ち去らないと、思うつぼだ。でも、俺の足は動かなかった。なぜか、俺のなかで、このまま行ってはいけないという予感が生じていた。


 また、江南さんのもとまで戻る。


「さっきから、なんなんだ! いい加減にしてくれ!」


 そう怒るも、江南さんにとって俺など怖くないだろう。怖がるどころか、なぜかほおを緩めて、言った。


「お人好し」


 クソ、やっぱり帰ってやろうか。


 けれど、どうするか判断がつかない。江南さんは、そんな俺に対して、小さく言った。


「行こ」


 どこへ? という質問にも、江南さんは答えない。

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