第16話 私服(改稿済)

 バスが、じわじわとスピードをあげて遠ざかっていく。俺は、少し離れたところからそれを見ていた。コートの襟を手で押さえるが、それでも寒くてたまらない。もう片方の手で、スマホの画面にタッチする。


 大楠 直哉:今、駅にいるけど、そっちは?

 藤咲 詩織:わたしももう着いてるよ


 駅の南口には、大きなバスロータリーがある。見晴らしがいいが、そこに藤咲の姿はなかった。駐輪場のそばで、ラインメッセージを送る。


 大楠 直哉:もしかして、北口のほうにいる? 南から行った方が近い


 すぐに返信が届いた。


 藤咲 詩織:あ、そうなんだ。すぐに向かうね。


 待つこと数分、藤咲が階段を下りてきた。手を振ると、向こうも気がつく。ラケットケースを肩にかけたまま、俺のそばまで歩み寄ってきた。


「ごめん。南口って言っておけばよかったな」

「大丈夫だよ。気にしないで」


 学校以外の場所で会うのは、初めてかもしれない。見慣れているはずの制服姿が、いつもよりも可愛らしく見える。腕時計を見ると、すでに午後5時半を過ぎていた。


「大楠君は……制服じゃないんだね」


 俺はうなずく。

 すでに、買い物も着替えも済ませている。江南さんの家を一時間ほど前に出た。一度家に帰ってから冷蔵庫の中を確認し、着替えてから必要なものを買っておいた。


「……いつもと雰囲気違うね」

「そうか?」


 俺の服装は、いたってシンプルだ。ベージュのコートに、ジーンズを身にまとっているだけ。そういえば、私服姿で藤咲に会うのも初めてかもしれない。


「藤咲は、バド部終わってそのまま来た感じだな」


 そう言うと、なぜか藤咲は、はっと目を見開いたあと、一歩下がった。


「そ、そうだよ。あんまり待たせるのも悪いかと思って」


 さらにもう一歩下がる。俺の近くを避けているのだろうか。試しに、一歩前に踏み出すと、また藤咲が後ずさった。


「い、行こうよ、大楠君」

「大丈夫だぞ」

「え?」


 なんとなく事情を察した俺は、優しくそう言った。


「汗臭いなんて欠片も思ってないから、気にしないでいいぞ」

「べ、べべべべつにそんなこと気にしてるわけじゃないよ!?」


 が、俺の言葉の効力はしっかりあったようで、俺から離れるのをやめてくれた。

 並んで、線路沿いの道を歩きはじめる。


 このあたりはあまり商業施設がない。コンビニやクリーニング店があるくらいだ。見晴らしのいい平らな土地に横並びで住居が林立している。北口のほうがデパートや娯楽施設がある。寒さに凍えながら進んでいくと、やがて大きな橋が見えてくる。


「こんなところに川があるんだ。結構大きいね」


 確かに、川幅は大きい。20メートルくらいありそうだ。橋はアーチ型となっているため、中央部に立つと高い位置から川を見下ろせる。


「あんまりきれいな川じゃないけどね。水浴びとかできる感じじゃないし」


 小さいころからこの場所に住んでいるが、川があることの恩恵を受けたことがない。


 橋を渡り、5分くらい歩くと、家の前だ。いたって普通の一軒家。黒瓦と白い壁に覆われた二階建ての家だ。玄関の前には、小さな門扉が設置されている。


「入って」


 玄関のドアを開けると、すでに妹のローファーが三和土に並べられていた。いつもと違ってそろえられているのは、藤咲が来ることに対する緊張感ゆえだろうか。


「おじゃま、します……」


 まだ親父は帰ってきていないようだ。リビングには、誰もいなかった。紗香は、おそらく自分の部屋にいるのだろう。


「そのソファに座っててくれ」


 俺は、コップに麦茶を注いで藤咲の前に置いた。そして、その足で二階に上がり、紗香の部屋をノックする。


「はい」


 紗香の返事があったので、ドアノブを回す。


 どうやら、紗香は部屋の掃除をしていたようだ。オタク趣味のものをできる限り隠し、散らかっていたゴミをビニール袋に集めている。すでにだいぶ掃除が進んだようで、傍目にはいつもの惨状がわからないレベルにまでなっている。


「来たぞ」

「わかってる。クソ兄に言われなくても、行くつもりだった」


 隠しきれなかったものをベッドの掛布団の下に隠してから、紗香が部屋を出る。俺の横を通り過ぎて、階段を下りていく。


 紗香につづくようにしてリビングに戻る。ソファの上で背筋を伸ばしていた藤咲は、俺たちに気づいてこちらを向いた。


「あ、紗香ちゃん! 私服姿も可愛いね!」


 そのとき、俺は気づいた。紗香の服装が、いつものスウェットじゃない。袖の長いピンク色のセーターと、裾の大きいボトムスを着ている。髪もほどいて、ストレートにしている。


「い、いえ、そんなことはないです……」


 どうやら、いつもの恰好でいるのが恥ずかしかったらしい。少しおしゃれな服になっている。正直、妹のそんな服装、めったに見たことがない。


「ううん、これは世の男子が放っておかないね。女のわたしでもメロメロだもん」

「わ、わたしなんてそんな……」


 褒められるのはあんまり得意じゃないのだろう。紗香は、どうすればいいか困っているようだった。俺は言う。


「二人は、勉強していてくれ。その間にご飯作っちゃうから」


 紗香がうなずく。リビングで勉強するものかと思いきや、紗香の部屋ですることにしたらしい。だから、さっきまで掃除していたんだろう。


 二人が二階に上がったあと、俺はすでに買っていた食材を冷蔵庫から取り出す。今日はカレーにすると決めていた。

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