第7話 昼食

 昼休みになり、藤咲と俺は食堂まで向かう。

 下級生の教室は、階下にある。紗香が先に来ていた。藤咲を見るや、一瞬だけ目を見開き、すぐに挨拶する。


「兄がいつもお世話になってます。妹の紗香です」


 そのとき、藤咲の口が固まった。


「か」

 か?


「かわいい!」


 藤咲が、紗香の頬を手で挟み込んだ。興奮し、目を輝かせていた。

 俺は、改めて紗香を見る。紗香は、学校では猫をかぶっている。おしゃれをちゃんとするので、先生に注意されない程度にメイクをし、髪をきれいに整えている。とてもじゃないが、普段、パソコンの前で怪しい笑みを浮かべているようには見えない。


「大楠君の妹ちゃん、こんなにかわいい子だったんだ……すごい」


 ようやく、藤咲が紗香を解放した。


「か、かわいいなんてそんな。あたしなんて、藤咲さんに比べたら」

「そんなことないよ! 紗香ちゃん本当に本当にかわいい」

「ありがとうございます……」


 珍しく紗香が照れている。容姿はいいが、あまり友達が多い方じゃない。本当に親しい人間にしか心を開かないタイプだ。褒められるのもあんまり慣れていないのだろう。


「あの、兄とはどういう関係で?」


 信じられないというように、俺と藤咲を見比べている。


「今ね、一緒にクラス委員長をやってるの」

「なるほど……でもいいんですか。あたしの勉強を見るなんて……」


 すでに、紗香は警戒心を解いているように見える。たぶん、藤咲の人の良さがわかったのだろう。


「もちろんだよ。あ、ここにいつまでもいるわけにもいかないから早く行こう」


 紗香がうなずく。


 食堂に足を踏み入れた俺たちは、隅の方の空いている席に腰を下ろした。紗香と俺は弁当を持参しているので、それをテーブルのうえに置く。藤咲は、パンを買ったらしい。


「紗香ちゃんのお弁当も、もしかして大楠君が作ってるの?」

「ああ」


 俺の弁当と紗香の弁当を交互に指さす。


「一人作るのも二人作るのも、大して手間は変わらないからな」

「あ、ほんとだ。中身同じだね」


 あんまり見られると恥ずかしい。手抜きがバレてしまう。

 今日の弁当の中身は、ウィンナーとほうれん草のおひたし、ジャーマンポテトだ。全部昨日の晩御飯の余りものだった。


「紗香は、好き嫌いが多いから、いつも野菜を入れてるんだ。残したりはしないから、入れておけば、基本的に食べる」

「人前でそういうこと言うのやめてよね」

「悪い」


 初対面の人の前で、紗香の悪いところをいちいち言うべきじゃなったな。紗香は、俺を鋭い目で見たあと、藤咲に視線を移した。


「藤咲さんは、時間、大丈夫なんですか? あたしのために時間を使って大丈夫ですか?」

「勉強を教えること? 大丈夫だよ。部活が終わったあとでも、時間はあるから」


 藤咲は意外と乗り気だった。こういうふうに人に教えるのが好きなのかもしれない。


「大楠君は、紗香ちゃんに勉強を教えることあるの?」

「まぁ、たまに」


 昨日のように、紗香から訊かれれば教える。だが、自分から積極的に教えようとしたことはなかった。なんだかんだ、やることがいっぱいあるから、そこまで面倒を見きれていない。その点では、非常に申し訳なく思う。


「兄は、いつも家で忙しそうにしてますから。それに、今までは自分だけでどうにかなっていたんですが、最近はそういうわけにもいかなくて……」


 その言葉に共感したらしく、藤咲が首肯する。


「そうだよね。確かに、そのころから急に勉強が難しくなった気がする。数学も、微分積分の難しい内容に入って行くもんね」

「ちなみに、藤咲さんの成績って……」


 俺が代わりに応える。


「前回は、2位だった。要するに、俺の次に頭がいい」


「さりげない自慢どうも。じゃあ、すごいんですね。そんな人に教えてもらえたら、すごくありがたいです」

「紗香ちゃんは、今どんな感じ? 言いたくなかったらいいよ」


 目の前にいるのが、学年1位と2位だからだろう。紗香はすごく小さな声で、平均点くらいです、と答えた。一応、フォローしておく。


「紗香は要領のいいやつなんだ。成績上位にこだわってないから、そのくらいの成績でお茶を濁してるんだよ。本気出せば、もっと上に行くポテンシャルはある」

「恥ずかしいからやめて、ほんと」

「……悪い」


 俺のフォローが下手だったようだ。大人しく口をつぐむ。

 紗香と学校で話す機会が少ないから、どのように接すればいいのかわからない。

 紗香は、黙々とほうれん草を箸でつまむ。


「兄からは、今日から勉強見てくれるって話でしたけど。いいんですか?」

「うん。そのことで相談したかったのもあるの。どこでやろうか」

「えぇと……無難なところで行けば、図書館とかですかね」


 うちの学校の図書館には自習室もある。だが、あくまで自習するための場所なのであんまり声を出せないかもしれない。そう言うと、紗香は、そうかもと素直にうなずいた。


「ファミレスか……それか、うちですれば?」

「え!」


 俺の言葉に反応したのは、藤咲だった。紗香がなぜか頭を下げる。


「……兄がすみません。この、下心の塊のような発言、あとできつく言っておきます」


 すると、藤咲が慌てた様子を見せる。


「別に気にしてないよ。わ、わたしは大楠君の家でもいいけど。わたしの家から一駅しか違わなかったと思うし……。でも、迷惑なら、ファミレスでいいよ」

「……ファミレスでお願いします」


 よく考えたら、家にあげるのはまずい。紗香の部屋は、かなり趣味が丸出しだ。


「じゃあ、そうしよっか。ライン教えてくれる?」

「はい」


 そこからは滞りなく話が進んだ。俺は、弁当を見て、まったく箸が進んでいないことに気がついた。あわてて、ご飯をかきこむ。

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