第6話 依頼
次の日。
「藤咲」
後ろの女子と喋っていた藤咲は、俺の声に振り返る。おしゃべりをやめて、前髪をいじりながら体ごと俺のほうに向けた。
「大楠君、どうしたの」
「単純な話だよ。約束の件、どうするか決めたから」
まだ一時限目の授業も始まっていない。だが、さっさと言っておこうと思った。
「あ、早速。ありがとう」
「お礼を言われることじゃないよ。言うことを聞いてもらうのは俺のほうだから」
藤咲と話していた女子が、え? なんのこと? と驚いたように尋ねた。俺たちは簡単に事の経緯を説明する。と、その女子は、少しだけにんまりとした。
「詩織。頑張れ」
それだけ言って、席を立ちどこかに行ってしまう。お邪魔だと思ったのだろう。教室を出たのを確認したあと、緊張した面持ちで藤咲が訊いてきた。
「それで、なんて命令することにしたの?」
「ああ、それなんだけどな」
俺は、自分の考えを伝える。
「藤咲には、紗香の勉強を見てもらいたいんだ」
「へ?」
予想外だったのか、藤咲がきょとんとする。
昨日のことを思い出す。江南さんたちと別れて家に帰った俺は、急いで料理を作ったり洗濯をしたり風呂を炊いたりした。すべてを終え、くたくたになった俺はソファの上で横になった。
(クソ兄)
そんなときに話しかけてきたのは、紗香だった。紗香の手には参考書。期末テストは一か月ほど先にもかかわらず勉強していたらしい。俺は少し感動した。体を起こす。
(どうした?)
(わからないところがある)
そうして、参考書の説明書きを指さす。俺は、参考書を紗香の手から奪い取って示された箇所を読んでみた。なるほど。確かに難しいかもしれない。
教えるが、すぐには理解してもらえない。仕方なく、紗香の部屋に入り、付きっきりで勉強を見た。最近になって、勉強が難しくなったらしくついていけなくなったようだった。
ちょっとまずいかもしれない。そんなことを思ったとき、ふと藤咲の言葉を思い出した。
紗香の家庭教師をやってもらえたら。
そんなことを考えたのだ。
「無理そうなら、断ってくれて構わない。紗香が最近勉強で困っているみたいなんだ。あいつも人の目を気にするやつだから、あんまり悪い点数を取りたくないんだと」
「そうなんだ。妹さん……」
藤咲と紗香に面識はなかったはずだ。依頼の内容も重いし、断られることも覚悟していた。
しかし、藤咲はすぐにうなずいた。
「いいよ」
俺は、面食らった。なんでも命令していいと言っていたが、本当に受け入れてもらえるとは思っていなかった。
「本当にいいのか? 藤咲の時間を大分奪うことになるかもしれないけど」
藤咲はバド部に所属している。週に4回くらいは部活があったはずだ。部活のない貴重な日や、休みの日の時間を費やすことになる。本来であれば、お金を払って雇うことも考えなければならない。
「大丈夫。部活がないときは、あんまりすることもないから。たまに友達とカラオケとかに行くくらいだもん。大楠君のためなら、それくらい問題ないよ」
「ありがとう」
とはいえ、いつまでも勉強の面倒を見てもらうわけにもいかない。藤咲には藤咲の勉強がある。その邪魔はできない。
「とりあえず、一、二週間くらい見てくれると助かる。それ以上はいい」
「うん、わかった。いつから教えたほうがいい?」
「いつからでもいいけど。できれば早い方がありがたいかな」
「……今日からでも大丈夫だよ。今日は、部活もないから」
「おお。マジか」
なら、すぐにでも藤咲と紗香を会わせないといけないな。俺は、スマホを取り出して、ラインを開く。そして紗香に向けてメッセージを送った。
すぐに既読がつき、返事が届いた。ちょうどスマホを見ていたようだ。
大楠 紗香:OK
俺はスマホをポケットにしまいなおす。藤咲が訊いてくる。
「どうしたの?」
「善は急げだ。今日の昼休み、空いてるか? 紗香もまじえて3人で昼飯を食べよう。顔合わせだ」
果たして、二人がお互いをどう思うのか想像がつかない。紗香は、表向きはいい子ちゃんを演じているが、実際のところはかなりのオタクだ。真面目な藤咲と波長が合うのか、気になるところだ。
「そういうことだったんだ。わたしは全然問題ないよ」
「りょーかい」
またスマホを取り出す。とりあえず、食堂の近くの自販機前で待ち合わせることにした。食堂では何を食べても自由だ。
「じゃあ、またあとで」
俺は、その場を立ち去る。席に着き、1時限目の授業開始を待っていたところで、俺のスマホがまた震えた。
大楠 紗香:で、どういう人なの? その人。
紗香は、意外と人見知りなところがある。初めて会う人に緊張しているんだろう。
大楠 直哉:藤咲っていう優しい先輩だよ。おまえも気に入ると思う。
藤咲が他人から嫌われている姿を見たことがない。そういう意味では安心だ。
大楠 紗香:結局その人、了承してくれたんだ。ナンパ目的だったら嫌だからね。
大楠 直哉:そんな心配はない。女子だからな。
すると、目ん玉が飛び出たスタンプが送られてくる。そんなに意外かな。
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