第4話 頼み事

 着いた場所は、駅前のカフェだった。チェーンではない、個人経営店だ。

 マホガニー製と思われる丸テーブルが一つ空いていた。俺たち3人はその席に腰を下ろす。店内にはジャズミュージックが流れている。なんという名前の曲なのかは知らない。


「あんまりここ来ることないよね~」

「少なくとも、俺は初めてだ」


 メニューを見て、ブレンドコーヒーを注文する。江南さんと西川は、カプチーノを頼んだ。


「雰囲気は悪くない」


 江南さんも気に入っているようだ。数分くらいで、頼んだ飲み物がテーブルまで運ばれてきた。一口飲んでから、言った。


「それで、何の用かいい加減教えてくれ」


 店内は静かだった。一人客が多い店なのだろう。複数名で来店し、会話している客もいるが、大きな声で騒ぐような人は誰もいなかった。

 江南さんと西川が顔を見合わせる。


「なおっちってさ。料理できるんだよね」


 意外な切り口だった。てっきり勉強のことかと思っていた。


「毎日作っているから。上手いかどうかは別として、最低限の腕前はあるつもりだぞ」

「あと、家事全般もできるんだよね」

「掃除洗濯も毎日しているけど、それがどうかしたの?」


 さっきから意味が分からない。江南さんがあまり口を開こうとしないのも気になった。こまめにカップを口に運んでいる。

 西川が、江南さんの顔を見た。


「……わかった」


 カップをソーサーのうえにおいて、江南さんが顔を上げた。珍しく、言い淀んでいる。目だけを右に左に動かしたあと、


「お願いがある」


 俺は驚いた。まさか、江南さんから頼みごとをされる日が来るとは夢にも思っていなかった。とはいえ、どのような内容だろう。想像がつかない。


 江南さんの顔は真剣だった。頬がこわばっている。


「一週間でいい。うちの掃除と料理をお願いできない?」


 聞き間違いかと思う。


「すまん、もう一度言ってくれ。よく聞こえなかった」

「だから、うちの掃除と料理をしてくれない?」


 繰り返されても、内容に変化はない。俺の手が震える。落ち着こうとコーヒーをのどに流し込むが、全然動揺が収まらない。


「うち? うちって、まさか江南さんの家のことじゃないよね?」

「そうだけど」

「まさか、江南さんの家に入って、掃除と料理をしてくれないかってこと?」

「さっきからそう言ってる。察しが悪い」


 別に、江南さんの言葉の意味が理解できないんじゃない。俺の頭が、理解を拒んでいるだけだ。唐突すぎて、混乱している。


 西川が訊く。


「なおっちは、梨沙ちゃんの家に行ったことある?」


 俺はかぶりを振る。あるわけがない。そもそも場所も知らない。


「あのね」西川が、ため息をついてから言う。「梨沙ちゃんの家って、はっきり言ってかなり汚いの。ゴミ屋敷というほどではないけど、足の踏み場もないくらい物が散らかってる。ちょっと動いただけで埃が舞うし、水回りなんてカビだらけなんだよね。一回、まとめて掃除したいんだけど、人手が足りないんだよ」


「え? そんなに汚いの? やばくない? 業者に頼んだ方がいいよ」


 しかし、西川は、いや~、と手を横に振る。


「業者に頼むと高くつくでしょ。いろいろあって、そういうのは避けたいってことなんだよ。だから、わたしとなおっちと梨沙ちゃんの3人で、めちゃめちゃ頑張って掃除したいんだよ」

「意味が分からない……」


 俺が手伝わなければならない理由も、急に掃除をしたくなった理由もわからない。

 江南さんが言う。


「さすがに迷惑だよね。悪かった」


 珍しく、意気消沈した様子だった。そういえば、今日の朝、遅刻していた。そのこととも関連しているのだろうか。


「業者に頼むと高いから嫌だ、って本当なの?」

「……」


 お金がかかると言っても、数十万円かかるわけじゃない。江南さんの家庭事情は知らないが、そんなに困っているのであれば糸目をつけるような金額ではないと思う。

 だから、一番引っかかったのはその点だった。わざわざ俺たちを使って掃除をしようと思う理由は何なのだろうか。


 江南さんは、俺の言葉に目をつむる。なかなか口を開こうとしなかった。テーブルのうえのカプチーノはすでに半分ほどなくなっていた。


「隠すべきじゃなかった。訂正する」


 カップのなかのスプーンをくるくる回す。


「あんたの言う通り、業者に頼まないのはお金がないからじゃない。うちはそこまで貧乏じゃない。ただ、単純に人を家にあげるのが嫌なだけ」

「俺も人だけど?」


 くだらない揚げ足とりだっただろうか。江南さんの眉根にしわが寄る。


「そういう問題じゃない。業者なんて、お金を払うだけ。あくまで他人。信用できない人間を家にあげたくないってこと」


 一応、俺や西川は信用に値する人間と思われているということだろうか。西川はともかく、俺がそこまで信用されているとは思わなかった。


「どうして、そこまで嫌なんだ」


 訊くべきじゃないかもしれない。だが、家にあがれば、どうせ「家にあげたくなかった理由」も見えてくるだろう。


 そのことは江南さんもわかっているようだ。すごく嫌そうに言った。


「――母親を、見られたくない」

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