第2話 雑談
「大楠君」
三時限目の授業が終わったときだった。藤咲が俺の席までやってきた。
「どうした?」
なぜか、藤咲の目が泳いでいる。意を決したように大きく息を吸ったあと、俺の机に、バンと両手を叩きつけた。
「そ、そろそろ決まった?」
「え?」
なんのことだかさっぱりわからない。
「ほら、わたしと勝負して、勝ったほうが自由に命令できるっていう……」
「ああ」
忘れていた。要するに、何を命令するのか決めたかってことだろう。
「正直、全然考えてなかった。最近、怪我でそれどころじゃなかったからな。ようやく完治してきたし、そろそろ考えないといけないな……」
藤咲はさっきから落ち着きがない。どのような命令を下されるのか、戦々恐々としているのだと思う。とはいえ、大それたことを要求するつもりなどない。
「逆に、藤咲は俺にどういう命令をするつもりだったんだ?」
「ええ? そ、そんなの何も考えてないよ!?」
明らかに動揺している。やはり、なにか目的があったようだ。
「怪しいな」
「わたしのことはいいの。待ちぼうけは嫌だから、早く決めてほしいの」
命令される立場であるにもかかわらず、急かすことに違和感を覚える。普通であれば、自分から話題に出さず、そのままフェードアウトすることを狙うだろう。
「そうだな。明日までに決めておくよ。それでいいか?」
「うん……」
困ったことに、特に藤咲にしてもらいたいことがない。だが、ちゃんと命令しないと藤咲が不満に思いそうだ。
「それとも、俺に命令してもらいたいことがあるのか?」
「ち、違うよ」
動揺するとそのまま態度に現れるんだな。可愛い。
「……後ろの二人、今日はなんだか大人しいね」
話をそらしたかったのか、藤咲が俺の背後を見て言う。当然のことながら、齋藤と進藤のことだろう。さっきから見ていたが、ずっと本を読みふけっている。おそらく、俺たちの会話など聞こえていない。
「齋藤君も進藤君も本を読むイメージはなかったけど」
「触れないでやってくれ……」
とてもじゃないが、二人が読んでいる本がエロ小説だなんて言えない。
「わたし自身も本は好きなんだけどね。ミステリとかよく読んでるもん」
「金田一〇助シリーズとかは俺も好きだよ。ちょっとグロいところもあるけど、文章読みやすいし、キャラも面白いし」
「あ、わたしもよく読んでるよ!」
犬〇家は、人が逆さまに湖に沈んでいるシーンが有名であり、おどろおどろしいイメージがある。実際、グロテスクなシーンはあるのだが、それ以上に犯人のキャラが非常に魅力的なのだ。悪人とは言い切れず、むしろかなり共感できる人物となっている。
「あの二人が読んでるのは、なんなんだろうね。すごく血走った眼をしてるけど」
「本に思い切り顔を近づけて、鼻息荒くしているから、近づかないほうがいいぞ」
一時限目が終わったあたりだろうか。齋藤の読んでいる本に興味を持った進藤は、齋藤からエロ小説を借りていた。
「大楠君も本、読むんだね。学校で読んでいる姿見たことなかった」
「たまにだよ。親父もミステリ小説が好きで、勧められて読むことが多いんだ。たぶん、藤咲ほどは読んでないんじゃないかな」
「そうなんだ。わたし、結構持ってるから、欲しいときはいつでも言ってね」
「ありがとう」
そんなことを言っている間にも、後ろの二人はふんがふんが言いながら読みふけっていた。どんな本かわからなくても、かなり不気味に見える。
「……怪我はもう大丈夫なの?」
俺はうなずく。藤咲にもずいぶんと心配をかけてしまった。
テスト初日、ボロボロの俺を見て、藤咲が涙目になってしまったのを覚えている。それだけ痛々しかったのだろう。
「ひどいよね。無抵抗の相手に、そんなことする人がいるなんて信じられない」
「まぁな。運がなかったとしか言いようがないな」
「それにしてもひどいよ……」
もちろん、警察には通報していない。関わらないことが最優先だったから、少しでも逆恨みされそうなことは控えている。
「もう全部終わったことだ」
結局、されるがままになったわけだから、苛立つ思いも当然ある。しかし、優先すべきことは俺の気持ちなどではない。
「優しいな、藤咲」
「そそそそんなことないけど!?」
顔が少し赤くなっている。面と向かって褒められるのは苦手らしい。
「そろそろ4時限目の授業が始まりそうだから、もう行くね!」
そして、藤咲は急ぎ足で自分の席まで戻る。
時計を見ると、あと30秒ほどしかなかった。
俺は、後ろの二人を再度見る。さっきからまったく動いていないんじゃないかと思うほど、体勢が変わっていない。どれだけ集中して読んでいるのだろうか。
そのとき、次の授業開始を知らせるチャイムが鳴り響く。
二人がどうするのか気になった俺は、様子をうかがう。と、二人は片手で本を持ったまま、もう片方の手で鞄の中をまさぐり、教科書を取り出す。開いた教科書を本の前に置いて、間に挟み込んだ。そして、何事もなかったようにそのまま読みつづける。
バカなのかな。
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