第50話 母
山崎とつるむようになり、俺の素行はますますひどくなった。
山崎は喧嘩を繰り返してばかりいた。自然と俺もその渦中に巻き込まれていった。
どうやら、俺は喧嘩が強いらしい。
喧嘩を重ねるにつれ、俺はどんどん名前が知られるようになった。山崎も同様だった。
二人でいつも誰かと争っていた。理由は、あまり覚えていない。同じように喧嘩ばかりしている連中がいて、なぜかそいつらと行動範囲がかぶっていた。意味もなく仕掛けては、勝ったり負けたりを繰り返していた。
もう、なんもかんも、めちゃくちゃになってしまえ。
そんな気持ちもずっとあったように思う。
山崎と出会ってから、半年以上経過した。
そのときにはすでに、俺と山崎の存在は、ある程度名が知られはじめた。年上相手であっても臆することなく勝負を挑んだ。たとえ負けても、再戦し最終的には価値をもぎ取ることもあった。
喧嘩というものが、好きだったわけではない。
ただ、喧嘩していると気分が落ち着いた。
理由はよくわからない。自分の中にある衝動が吐き出されていくのがよかったのかもしれない。みじめさとか、苦しさとか、いろんな感情が、全部暴力として消えていく。殴られても、ボロボロになったとしても、不思議と清々しさがあった。
センスの悪い服を着て、山崎と会う。
山崎と、真面目な話やくだらない話をしながら歩く。そして、喧嘩相手が見つかれば、片っ端から仕掛けていく。夜の遅い時間であろうが関係なかった。ときおり、補導されそうになっても、全力で逃げた。
家に帰ると、いつも母親が待ち構えていた。怪我を負った俺を見て、いつも母が心配そうに声をかけた。
(ねえ、どこに行ってたの? その怪我はどうしたの?)
泣きそうな顔をしていた。何度も何度も、夜に出歩かないでくれと頼まれていた。けれど、そんな言葉を聞く気は毛頭ない。うっとうしいとしか思っていなかった。
(うるせえな! 邪魔なんだよ、どけ!)
肩をはねのけ、汚れた格好のまま家に上がる。
自分でも、どうしてここまでいらいらするのかわかっていなかった。反抗期、と言われてしまえば終わりだが、とにかく逃げたい気持ちでいっぱいだった。
また、学校で勉強をすると考えると怖気がする。
せっかく、今は気持ちよくなれているんだ。邪魔しないでくれ。
そう思った。
ある日のことだった。
山崎が言った。
「俺と戦わないか?」
俺は、パックの牛乳をちびちび飲んでいた。え? と訊き返す。
「お前と俺で、勝負しよう」
全部飲んで、コンビニの前のごみ箱に捨てる。
いつか、そういう提案をされると思っていた。一度も戦ったことがなかった。だから、俺は二つ返事で了承した。
「ああ」
体格は、明らかに山崎に軍配が上がる。それでも負けるつもりはなかった。
そして、勝負の日。
家からこっそり抜け出して、予め決めていた場所に行った。
俺と山崎は、人の少ない公園の中で向かい合う。勝敗の決定方法は簡単だ。最終的に立っていた方の勝ち。
燃えていた。山崎が強いことはすでに分かっていた。こいつに勝てれば、俺は最強だと思っていた。
……5分後、立っていたのは俺だった。
倒れ落ちる山崎の姿。山崎は、執拗な俺の足攻撃に耐えきれず、立ち上がることができなくなった。
(ああ、くそ)
山崎は、悔しそうに言う。うれしい気持ちでいっぱいだった。やってやったぞと思った。
そのあと、絶望に叩きこまれるとは思っていなかった。
少し休み、山崎が歩けるようになったのを確認したあと、別れた。
家へと向かう道に、大きな横断歩道がある。4車線の道路で交通量が多い場所だ。すでに夜遅いにもかかわらず、いくつもの車が行きかっていた。
赤信号であることに気づき、足を止める。
と、反対側に、母がいた。母はどうやら俺を探していたらしい。きょろきょろ見渡しながら歩いて、それから俺の姿を見つけた。そして、胸をなでおろす。
面倒だな、と思った。どうせ、また怒るんだろう。俺のことなんか放っておけばいいのに。
青信号になったのを確認して、横断歩道を渡る。母はその場で待っていた。歩道に乗り上げたとき、ちらと母を一瞥しただけで、そのまま通り過ぎようとした。
袖をつかまれる。
振り払うが、またつかまれる。あきらめて、母のほうを向いた。
(もう、何も言わないから。早く帰ってきて)
悲壮な顔をしているのがうざかった。俺は、ますますいら立つ。
(うるせえな)
同じ言葉しか返せない。それくらい、返答を考えるのが面倒だった。
俺は踵を返して、もと来た道を戻ろうとする。もう少しぶらぶらしてから帰ろうと思ったからだった。
空気が切り裂かれる音。
そのとき、
(危ない!)
俺の背後から、悲痛な声が響いた。
え? と思ったが、そのときには遅かった。
ふと顔を横に向けると、そこには猛スピードで走るタンクローリー。足が動かない。驚きと恐怖で足が地面に縫い付けられた。
母が俺の腕をつかんで引っ張る。
俺は、その力に従って、歩道のほうに投げられる。
母もそのまま一緒に歩道に倒れこもうとしていたが、とっさに動いたからだろう、サンダルの片方が脱げてしまっていた。
バランスが崩れ、横に倒れる。
一瞬だけ、目が合った。
そして、タンクローリーが目の前を勢いよく通り過ぎる。
大きな音がした。人と車がぶつかる音。あわててブレーキをかけて、地面とタイヤがこすれる音。
何が起こったのか、理解できなかった。
ゆっくりと立ち上がる。
さっきまでそこにいた母の姿はなかった。あるのは、タイヤ痕のついた道路だけ。
どこに行った?
トラックの進行方向に目をやると、20メートル以上離れた場所に、電柱にもたれかかるように倒れる母の姿を見かけた。
心臓が跳ねた。
呼吸が止まった。
体から、温度が逃げていく。母さん、というつぶやきは、口の中で消えていく。
歩み寄る。
一歩ずつ。一歩ずつ。
慎重に。
しだいに、その光景が鮮明になっていく。
トラックの運転手が運転席から下りて携帯電話で誰かに電話している。その声は耳に入らない。
ただ、そこに倒れる母にしか目が行かない。
すぐそばに立った俺は、ある事に気が付いた。
頭が、へこんでいる。
まるで、空気の抜けたバスケットボールみたいに。
頭がおかしな形に変形していた。顔は真っ赤に染まっている。そして、口元から、つー、と垂れる血。
手を握る。そんなわけはないと思った。そんなことが起こるわけがない。
母の目が少しだけ開いていた。もしかして、最後の最期の残りカスのような灯だったかもしれない。
小さく口が動いた。
(ごめんね)
母の手が俺の手から離れる。
自分の中の世界がそのとき、壊れた。
そのあとどうなったのか、俺は詳しく覚えていない。
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