第49話 暴力

「……っ!」


 どうするべきか、俺の心は決まっていた。


 動きがスローモーションのように見える。


 木の棒が近づいてくる。その姿がどんどん大きくなる。不良は歯を食いしばりながら、跳ねあがって叩きつけようとしている。


 俺は、少しだけ横にずれて、腕を前に出す。


 棒は、俺の腕に直撃する。


「……」


 思ったよりは痛くない。やはり、以前に抱いていた印象に間違いはない。こいつらは喧嘩慣れしているわけじゃない。さっき、チビをいじめていたときでさえ、煙草や川の存在を利用していた。


 だが、すぐに脇腹に大きな衝撃を食らった。


 俺は、大げさに横に転がる。俺に襲い掛かったのは一人だけじゃない。距離を離し、元居たところに視線を向けると他にも2名の不良が立っているのが見えた。


「お?」


 草むらのなかで、仰向けになって寝転がる。大したダメージではない。起き上がれないほどなんかではない。にもかかわらず、露骨に顔をしかめ、痛そうに蹴られた場所を手でおさえる。


「おいおいおい、なんだこいつ。クソ雑魚じゃねえか」


 調子づいたリーダーは、さっきまでが嘘のように楽しそうな笑みを浮かべていた。


「は、はは。いいじゃん。わざわざ向こうからボコられに来てくれたみたいだぜ。ありがてえじゃねえか、おい」


 ゆっくりと俺のもとに近づいていく。俺は、その様子を横目で見ながら、痛そうに体を丸めた。とぎれとぎれに呼吸し、唾液をだらんと垂らす。


「さっきはよくも偉そうにしてくれたな!」


 リーダの足が俺の腹に勢いよく下ろされる。


「いっ……!」


 ……鳩尾に入った。


 こればかりは本当に痛い。きつい。


 視界が一瞬、暗くなる。痛みで、視界が歪んでいく。


「おいおいおい、なんだ? ふがいねえな。何とか言ってみたらどう、だ!」


 今度は足が顔に叩きつけられた。


 鼻がつぶされるような感触。靴の滑りどめが頬をひっかく。


「ほらほら、ほらよ!」


 何度も何度も。


 顔が踏みつけられる。


 痛い。痛い。痛い。


 踏みつけられるたびに、強烈な痛みが襲う。


 俺の苦しむ姿が楽しいのか、踏みつける力が徐々に強くなっていく。痛いとか苦しいとかそんなことも考えられない。


「……っ」

「俺をコケにしやがったのがわりいんだ。てめえはこのまま死んでしまえ」


 おい、とリーダーが叫ぶと、取り巻きたちがうなずく。


 俺の襟をつかみ、無理やり立ち上がらせる。


 痛みのあまり、顔を上げることができない。すでに、俺の顔は腫れ上がっていることだろう。目だけを持ち上げて、リーダーの顔を見た。


 リーダーは、にやにやと笑っている。


「聞いたぞ、昔のてめえの話」


 俺の髪の毛をつかむ。


 強引に顔を持ち上げられる。風が吹くたびに、顔にできた傷が痛む。


「何年か前まで、結構ワルだったんだってな」


 うるせえ。俺は、にらみつける。


「けど、ママが死んじゃってから、腑抜けになったらしいなぁ」


 げらげらと汚い笑い声が聞こえる。


 その笑い声は、一人だけじゃない。その場にいるほとんどがあげていた。

 さっきまでボコられていたチビだけは、他の不良に肩を組まれてしゅんとしていた。


「大事な大事なママに会わせてあげまちょうか~」


 挑発だというのはわかった。実際、俺の心は怒りに支配されていた。


 お前たちに、なにがわかる。


 あの苦しみ。悲しみ。すべてが崩れていくような気持ち。


 俺の世界は、あの日以来一変してしまった。後悔しなかった日なんて一度もない。


 けれど、だからこそ、俺はやらなければならないことを見つけたのだ。


 俺は手をあげず、にらみつづけた。


 そんな姿が気にくわなかったらしい。不良は舌打ちをする。


「あーあ。泣いて許しを請えば、許してやったのによぉ。どうにも、まだボコられたりねえようだなぁ」


 頬を片手でつかまれる。


 俺は、無言を貫く。


「どうなっても知らねえからな!」


 そして、飛び上がって俺の腹に思い切り蹴りを入れる。


「ぐぇ……」


 言葉にならないうめき声が漏れる。背中が地面に勢いよく叩きつけられる。


 そこからのことは、俺には正しく認識できなかった。


 繰り返される蹴りや殴打。痛みだけが繰り返し俺の脳裏を苛んでいく。


 視界が揺れる。上と下がわからなくなる。ずっと世界が回っている。


 何か声が聞こえる。気色の悪い声だ。その声が降るたびに、俺の体が痛みを覚える。空を見ていたと思ったら、土の匂いを嗅いでいる。顔が地面に埋まるくらい押し付けられたあと、俺の体が宙を舞っている。硬い拳がつきささる。ざらざらの靴がつきとばす。くらくらする。痛みを抱えているのか、どうなのかもわからなくなってくる。ただ、俺の視界は跳ねに跳ねる。土を食べる。唾液が口から吐き出される。平衡感覚などとうに死んでいた。自分の体なのかどうかもわからなくなってくる。体の動かし方がわからない。声の出し方がわからない。ぼんやりと、回転する世界を見ているだけの時間がつづく。


 やがて、世界が回転を止めた。


 どうやら、一段落着いたらしい。


 どれほど時間が経ったのかもわからない。視界はほとんどつぶれ、耳が機能しているか怪しくなっている。


 かすかに広がる光景は、不良たちの顔だけだ。


 もう、俺にはどうすることもできない。


「ざまあみろ。てめえみたいな雑魚、俺にはわけなかったってことだ」


 どうやら、まだ耳は生きているらしい。


「じゃあな」


 見慣れた景色だった。視界を靴底が占めたと思ったら、俺の顔に衝撃が走る。


 もはや、バランスを保つこともできない。そのまま背後に倒れ落ちる。


 水音。息苦しさ。水が傷にしみこむ感覚。目の前が、黒くてゆらゆらしたものに埋め尽くされる。


 それで、川の中に突き落とされたのだと分かった。


 手を伸ばしながら、俺は思った。


 これは、罰なんだ。過ちを犯した、俺の罪なんだ。


 母を失ったとき、それから、紗香に危険が迫っているとわかったとき。どちらも自分のせいだということがよくわかった。


 俺は、本当にバカだな。なんで、こんなにもどうしようもない人間なんだろう。完璧にやろうとしても、いつも失敗ばかりしてしまう。


 そのとき、俺は、4年前のことを思い出していた。

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