第40話 邂逅

 ショッピングモールを出る。


 手には、先ほど買った食料品。舗装された道を二人で歩いていく。


 紗香とこうして出かけるのはいつぶりだろうか。近ごろは、なかったような気がする。


 紗香の足取りは軽い。手当てをしたおかげだろう。買い物をしていたときと違い、ときおり跳ねるようにして足を前に出している。


「ねえ、昼ご飯は何作るの?」


 もうすでに、13時を過ぎている。親父も腹を空かせているだろう。


「焼きそばでも作るかな。キャベツも買ったしちょうどいい」

「いいね」


 親父も紗香も料理ができない。教えようとしたこともあるが、なかなか上達しなかった。そもそも、覚える気があったのか、今となっては怪しく感じられる。


「たまには、おまえが作ってみるか?」


 しかし、紗香は首を横に振る。


「面倒くさいからいい。勉強もしなきゃいけないし」

「ほんとか?」

「ほんとほんと。直前になったらやる気出すタイプだから」


 紗香の成績は、中の中といったところだ。多少の波はあるものの、おおむね平均点近くを安定してとっている。もともと上位を狙っていないから、当然の結果ではある。


「クソ兄が真面目過ぎるの。毎回毎回一位取る必要ないよね。そんなことしてたら疲れちゃいそう」

「毎日こつこつやっていれば、そんなに大変じゃない。高校生なんて、意外と勉強していないもんだ」

「自慢?」

「そういうわけじゃない。お前も、毎日こつこつやれ、ってこと」


 俺だって、受験生みたいに一日10時間勉強しているわけじゃない。机に向かって勉強しているのは、あくまで4時間だけ。それでも、集中して頑張っていれば、学年一位をキープすることはできる。


「1時間でも勉強するの嫌なのに、毎日なんて絶対いや。いい? 高校生には楽しいことがいっぱいあるの。今しかできないことをするべきなの」

「それが、ゲームとかゲームとかゲームなのか」

「そうそう」


 たぶん、俺の一日の勉強時間と同じくらいゲームをしている気がする。


「勉強ばっかりしてて、楽しいの?」


 紗香が訊く。


 俺は、その言葉に対して、迷わず思う。


 楽しい。


 苦しいことも多いけれど、それでもやはり楽しいと思う。無理をしている自分もいる。懸命に逃れようと、ひたすらに走り続けている自分もいる。


 でも、俺にとっては、これが最善なのだと思う。


 今日だって、楽しかった。久々の、妹とのデート。くだらないことで言い合うのも、紗香の面倒を見るのも、楽しい。


 当たり前と思えるこんな日常も、守りつづけなければならない貴重なものだと思っている。


「ちゃんと毎日充実してる」


 俺の返答に、紗香は疑わしげな視線を向けている。


「まぁ、いいけど。クソ兄って、やっぱり変わってる」


 そうかもしれないな、と俺も思う。




 話しているうちに、家の近くまでたどり着いていた。


 今日は少しだけ肌寒い。風が吹くたびに、寒気がうなじから肌を伝う。もう秋も深まってきた。曇り空の下、どんよりとした空気がまとわりつく。


 家が見えてきたところで、紗香の足が止まった。


 どうした? と言おうとして、気づいた。


 家の前に誰かがいる。


 どきっと心臓が跳ねる。俺は、そこにいる人物の顔に見覚えがあった。


 スラっと長い脚。細身の体。ジーンズのポケットに手を突っ込みながら、その男は立っていた。


 鋭い目つきが、その横顔からのぞく。その顔は、未だに俺の記憶にはっきりと残っていた。


「あの人……」


 紗香のつぶやきは、冷たい風にさらわれ上空にあおられる。


 赤髪の男は、インターホンのまえで大きく息を吐いている。


 俺は、声を出さずに近づいた。


 その姿が、鮮明に見えてくる。俺の体がこわばっていく。五メートル、四メートル、三メートル。紗香の背中を追い越して、それでも前へと進んでいく。


 ……どんな言葉をかければいいのだろうか。


 一緒に遊んでいたのは、今から4年前。それから、話す機会は一度もなかった。


 距離が1メートルを切ったところで、男が俺の存在に気がついた。


 俺の顔を見て、驚きに目を見開く。


 目と目が合った。そして、その瞬間、4年前の記憶が一気に蘇っていく。


 懐かしいと思った。月日が経っても、俺のなかで、こいつの存在はあまり薄まっていないのだと気づいた。


 男は言った。


「久しぶりだな」


 俺は答える。


「ああ、久しぶりだ」


 知らないフリをしてもよかったのかもしれない。無視して、家の中に引きこもってしまってもよかったのかもしれない。


 だが、それをする気にならなかったのは、過去に感じていた罪悪感が、再び俺の脳裏をよぎったからだろうか。


 ……あまり変わっていないな。


 久しぶりに話して、まず感じたことがそれだった。


 あの頃、話していた時の感覚と大きな違いはない。もしかしたら、向こうもそう思っているかもしれない。


 どうして、今さら、会いに来たのだろうか。


 先日、紗香に声をかけたのは偶然ではない。明確な意図をもって、俺に近づいている。


 そう考えたとき、言われた。


「あんまり、変わってなさそうだな」


 その言葉に、なぜか安心感を覚えている自分がいた。


 男――山崎博義ひろよしは、少しだけ笑っていた。

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