第38話 買い物

 土曜日の昼。紗香が、俺のところまで来て、外出したいと言ってきた。


「あたし、買いたいゲームがあるから、出かけてくる」

「おいおい、ちょっと待て」


 いくらなんでもツッコミどころが多すぎる。中間テスト前なのになんでゲームを買うのだとか、なるべく出かけるなと忠告したにもかかわらず外に行こうとしていることとか。文句を言おうとしたところで、紗香が手を顔の前で振った。


「冗談。本当は、買いたい参考書がある。出かけていい?」

「ちょっと待て」


 俺は、冷蔵庫の扉を開ける。中にあるものを確認する。今日の晩ご飯はなににしよう。じゃがいもとにんじんときゅうりがまだある。でも、マヨネーズや卵を切らしているな。ポテトサラダを作るのであれば、買い物が必要だ。


「俺も、買いたいものがある。一緒に行こう」

「えー? こっちは本を買いたいだけなんだけど」

「たまにはいいじゃないか。近くのショッピングモールまで行こう」


 渋々、紗香はうなずく。




 というわけで、俺と紗香は、二人で出かけることにした。俺の準備はすぐに終わったが、紗香はそうもいかないらしい。玄関でしばらく待っていると、やがて紗香が階段を下りてきた。


「お待たせ」

「おう……」


 俺は、紗香を見て少し驚く。

 紗香の姿は、完全に外出用のものに変わっていた。


 楽だから、という理由で団子にしている髪をほどき、まっすぐ肩まで下ろしている。前髪の横に白い髪留め。家の中で使っているダサいスウェットを脱いで、ハイウェストの赤いフレアスカートと白いニットを身にまとっている。


「……クソ兄。じろじろ見ないでくれる?」


 俺は、悪びれず、そのまま紗香の姿を目に焼き付ける。


「何?」

「いや、おまえ、ちゃんとすればかわいくなるんだなぁ」

「は? キモい」


 そう言って、シューズボックスから、いつもは使わない黒いショートブーツを取り出す。あれ? あんまり足に合わないとか言ってなかったっけ。


「だから、何?」

「おめかししてんなぁ」

「うっさい。隠れオタクは見た目に気を使わなきゃいけないの。クソ兄とは違うの」

「はいはい」


 そんなことを話していると、親父が寝ぼけ眼をこすりながら近づいてきた。どうやら、話し声で起こしてしまったらしい。


「あれ? おまえたち、どこかに出かけるのか?」

 

 俺は答える。


「買い物にね。たぶん、一時間くらいで帰るよ。昼飯は帰ってからでいい?」

「ああ、ご苦労さん。俺はもう少し寝るわ」

「はいよ」


 そうして、パジャマ姿のまま親父は和室まで戻る。親父は、いつも休みの日は昼まで寝ている。よくそんなに寝られるものだと感心する。


「じゃあ、行くか」


 紗香が首を縦に振る。俺たちは、そろって玄関から外に出た。




 ショッピングモールは、歩いて10分くらいのところにある。


 入口を抜けたあたりで、紗香がかかとのほうをさすりながら言った。


「やっぱ、これだと足痛いわ。いつものにすればよかった」

「大丈夫か? どこかで休もうか」

「……いい。早く買って、早く帰ろう」


 心配する俺をおいて、どんどん前へと進んでいく。本人が大丈夫というのなら仕方がない。俺もあとにつづく。


 最初に、本屋に立ち寄った。紗香がほしいのは、英語の参考書らしい。


「ねえ、どれがいいか選んでよ」


 参考書のコーナーにたどり着くやいなや、そう言われた。


「どれがって言われてもなぁ。おまえはどういう参考書が欲しいんだ」

「文法メインのやつかな。最近、関係代名詞習ってるんだけど、教科書だけだとよく理解できなくて」

「それだったら、この本がいいかな」


 俺は、自分も使っていた参考書を見つけたので手に取る。わかりやすいし、練習問題も豊富についている。コストパフォーマンスがよかった記憶がある。


「わかった。これにする。クソ兄も役に立つときは立つね」


 素直にありがとうと言えばいいものを。紗香はその本をレジに持っていき、そのまま購入した。


「じゃあ、今度は俺の買い物に付き合ってもらうか」

「……あたしの用事終わったし、帰りたいんだけど」

「おまえの食べたいものを聞きながら選びたいし。お菓子も少しくらいなら買ってやってもいいぞ」

「しょうがないなぁ」


 お菓子につられるこいつは小学生か、と思いつつ、素直についてきてくれることにほっとした。エスカレーターで地下に降り、カートのうえに買い物かごをのせる。


「まずは野菜からだな」


 俺は、スマホにメモした内容を見る。足りないのは、キャベツとほうれん草か。

 キャベツを一つずつ手に取って見る。すると、紗香が突然言った。


「たぶんこれがいいんじゃない?」

「え?」


 並んでいる商品の中で、奥の方の一玉を手に取っていた。俺に、そのキャベツを見せてくる。


「芯が大きすぎず小さすぎず。葉も芯も色がきれいだし、このなかで一番おいしそう」

「おいおい、なんでそんなことがわかるんだ」


 紗香は、ふふん、と胸を張る。


「あたしのよくやってる乙女ゲーとかギャルゲーって、そういう無駄に細かい料理の描写とかよく出てくるわけ。自然と覚えちゃうんだよね」

「なるほど。じゃあ、それにしてみるか」


 俺は、紗香が選んだキャベツを買い物かごに入れる。


「次はほうれん草だ。紗香、お前の目利きを買って、選んできてもらいたい」

「はいはい」


 ぱたぱたと、紗香がほうれん草のコーナーまで駆けていく。

 ほうれん草をしばらく比較検証したあと、俺のところまで戻ってきた。


「これにする」

「ほう、その心は?」

「まず、根が鮮やかなピンク色。それに、葉っぱは、表も裏もきちんと濃い色になってるし、茎もしっかりしてる」

「よし、これにしよう」

「ちなみに、これは『ラブ・プリンセスアワー』というゲームのアランルートで、異世界から日本に戻ってきた主人公たちが、初めて買い物するときに言ってた」

「そこまでは聞いてないぞ。だが、よくやった」

「ふふん」


 妹は得意そうだ。自分の趣味で得た知識を披露するのは楽しい。その気持ちは俺にもよくわかった。

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