第37話 警戒

「山崎……がなんでお前に」


 思い出したくない名前だった。かつて、俺が不良だったころ、一緒につるんでいた相手。不良をやめてからは、ほとんど会わなくなっていた。


 山崎に会いたくないがゆえに、自分の家の近くをぶらつかなくなった。遊ぶときは電車に乗ってどこかに行く。せいぜい買い物ぐらいでしか、近所を歩くことはない。

 たまに、その顔を見かけても、気づかれないように立ち去っていた。


「……そんなこと知らない。急に、『おまえ、直哉の妹だろ』って話しかけてきた」

「……それで?」


 今、山崎がどうなっているのか俺は知らない。しかし、以前に見かけたときは、風貌が大して変わっていなかった。赤髪のままだし、襟を正さぬ出で立ち。俺と同い年だから、すでに高校生のはずだ。


「それで、『そうだけど、何?』って返したら、そうか、って言ってどっかに行っちゃった。あたし、覚えてる。あの人は、間違いなくクソ兄の友達だった人」

「本当に、それ以上特に何もなかったんだな?」

「うん」


 山崎とつるんでいたときのことを思い返す。


 ろくなことをしてこなかった。よく知らない他校生と喧嘩ばかりしていた。深夜にもめて、補導されたこともある。


 いつも、一緒だった。


 そのときは、山崎といるのが、一番楽しかった。


「ちょっと、そこにいてくれ」


 俺は、あわてて玄関まで行き、扉を開ける。


 顔だけ出して、辺りを見渡す。


 誰もいない。そこには、静まり返った夜闇があるだけだ。


 ほっとして、扉を閉める。今も、家の前に立っているんじゃないかと考えてしまった。


 今度は、リビングのほうへと向かう。窓の外を見る。


 そちらにも誰もいなかった。殺風景な景色が視界に広がるだけだ。


 紗香さやかのところまで戻ると、言われた。


「警戒しすぎじゃないの? 一応、友達だったんでしょ」

「そうだけどさ」


 別に、ここまで警戒するほど悪い奴ということじゃない。いいところもあった。じゃなければ、一時期だけとはいえ、仲良くなることなんてできない。


「クソ兄、怖い顔してる」

「……」

「あの人って、すごく背が高いんだね。近くで見ると、185くらいあるんじゃないかっていうくらい。コワモテだし、うちの学校にはまずいないタイプ」


 聞けば聞くほど間違いない。山崎だろう。


 どうして今さら、というのが本音だ。つるんでいたときからすでに4年が経過している。


「ちなみに、話しかけられたのはどこだ?」


 俺の質問に、紗香は背後を指さした。


「あっちの、駅のほう。ここから100メートルくらい離れたところ」

「そうか」


 別に、家が特定されているわけじゃなさそうだ。


「あいつ……山崎だけだったか? 他に人はいたか?」


 紗香はかぶりを振る。


「誰もいなかったよ。一人だった。離れたところにも、不良っぽい人はいなかった」

「わかった。ちょっと気を付けてくれ。なんなら、今後は俺が送り迎えする」

「いや、いいよ。そこまでしなくて」


 山崎自体はそこまで悪い奴でなくても、一緒にいる奴がどうかまでは保証できない。


「とりあえず、なにかあったら俺を呼んでくれ。すぐ駆けつけるから」

「大げさだな。はいはい、わかったよ」


 明日、明後日が休みでよかった。それに、来週の月曜日から中間テストだ。テストのときはいつもより帰りが早い。そのぶん、山崎たちと鉢合わせする確率も減るだろう。


「土日もあんまりぶらぶらするなよ。なるべく家にいて、そうだな、勉強しておけ」


 そう言うと、紗香は不満そうな顔をする。


「え~なんで? クソ兄の友達そんなにやばいの?」

「そういうわけじゃないけど」


 いや、でも、今はどうなんだろう。


 当時の山崎は、荒かったけど、無茶苦茶なことはしなかった。少なくとも、俺の妹というだけでなにか悪いことをしでかしたりしないはずだ。だけど、それは4年も前の話。すでに、あのころの山崎から変わってしまっているかもしれない。


「もし、土日に外出するなら……そうだな、俺と一緒に行こう」

「え? 嫌だ」

「おまえが心配なんだ。一応、おまえは、顔だけなら可愛い部類だからな」

「お、クソ兄らしからぬセリフだね。ここが戦場なら、死亡フラグが立つかもね」

「勝手に人を殺さないでくれ」


 なんにせよ、今の状態を放置することはできない。


 場合によっては、直接山崎と話をしなければならないかもしれない。だが、今は特に被害があるわけじゃない。とにかく、家族の安全確保を優先しよう。


「心配性なのは今に始まったことじゃないか。はいはい。言う通りにしてあげますよ~」


 そう言って、紗香は階段を上がっていく。


 悪態はつくけれど、意外と素直だ。いつも世話を焼いているが、なんだかんだ拒むことは少ない。慣れているから、兄=そういう面倒な生き物として諦めているのだろう。


 俺は、紗香が立ち去ったのを確認してから、大きく息を吐く。


 山崎。山崎博義ひろよし。当時、近くの公立中学の生徒だった。


 近いうちに、また会うことになるかもしれない。そんな予感がひしひしとしていた。


 ――とにかく風呂に入ろう。


 俺は、洗面所の引き戸を開けた。



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次回

妹とのデート回

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